はじめましてのご挨拶♡私のプロフィールをご覧ください

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◆たんたんのプロフィール公開◆

ココナラ電話相談の出品者様を見ていると、皆さん過去に随分とお辛い経験をなさっている方が多いなと感じます。

それを乗り切ったノウハウで「”同じ苦しみを今感じている人”に寄り添って癒します。」そんなサービス展開をされていますね。

実は私も同じで、過去に色んな悲しくて辛いことをたくさん経験してきました。

同じ経験・同じ環境を経験した人にしか解らない想いが必ず存在する、と私は常々感じています。

☆あの辛い頃、私にも親身に寄り添って相談に乗ってくれる人がいたら随分違っただろうな…

☆今苦しんでいる方に、こんな私だからこそ救いの手を差し伸べられるんじゃないかな?

☆苦しみを癒してあげることが、私の幸せにも繋がるんじゃないかな?

☆苦しんでいる人を放っておけない!私が必ず助けて見せる!

そんな想いでココナラ電話相談をはじめました。

暗い過去を乗り越えて今は元気いっぱい!の私が、あなたに少しでも元気や癒しを提供できたら嬉しいです。

では、これから私の過去にあったストーリーを共有していきます。
少し長いので第1章~第2章に分けてお伝えしていきますね。

ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しいです。


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☆~私の経歴【幼少期~学生時代】編~☆
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◆父からのDVを受ける◆

私は物心がつく頃から既に、父親からのDVに合っていました。
主に母、兄、私に対して怒鳴る・叩く・蹴るなんてことはもはや日常。

ちょっと気に入らないことがあると、テーブルをひっくり返す、皿やコップを投げまくる、壁を殴る…。まるで漫画みたいな話ですがこれも日常です。

ちなみに、こちらから話しかけることは、ほぼ無視。会話した記憶がありません。

しかもちゃんと働いているのに、お金をほとんど家に入れてくれないので、ぎりぎりの貧乏生活を送っていました。

母親はいつも泣いていて、「もう出ていく。」が口癖。兄は母親に出ていかないでと毎晩泣いてすがっていました。

ただ、私だけ異様に優しくされるときがあり、逃げようともがいたり叫んでも無理やり抱きしめられたり、膝にのせてご飯を食べたりしていたこともありました。

もしかしたら性的な虐待を受けていたのかもしれませんが、実は幼少期の記憶が私にはほとんどありません。

強すぎるストレスを大人になったら忘れることがある、とカウンセラーの方に言われたことがあります。

私が小3の時、父親の単身赴任が決まり、家庭内はいったん平和になりました。しかし、今度は母親が男をとっかえひっかえして、家に居なくなることが増えました。

私の小学生のクラス担任の先生とダブル不倫の状態になったこともあります。

この頃に私は強く思いました。
「この世に、上手くいく結婚生活や恋人関係なんて無い。」と。

これは、後の私の恋愛志向に大きく影響を与える出来事でした。

恋愛できる年頃になっても、自分自身で関係性を壊してしまってばかり。
愛されたり、恋愛感情を向けられることが気持ち悪かったんです。

「だって、どうせ裏切るんでしょ?上手くいくはずないし。」と。
だから若いころはまともに恋愛したことはありません。

育った環境がどれほど人生に大きく影響するか…。

だから今、恋愛関係で苦労している方は一度自分の生い立ちにいったん想いを馳せてみるのも一種のセラピーになるかもしれませんよ。

そのお手伝いをさせていただけると嬉しいです。

◆いじめにあう◆

小学生・中学生時代にはいじめに合うという体験もしました。

「オムレツを作るのが難しかった。」と言ったクラスメイトに「そんなことないよ。トントンしたら上手にできるよ。」と言ったことがきっかけでした笑
まぁ、無視されるとか、カバンを隠されるなどの、かわいいいじめ。
「父の暴力に比べたら大したことじゃない」と平気な顔をしていたから、余計いじめられたよう気しますが…笑

次は中学生のとき、転校してきたヤンキーに目を付けられ、女子のほとんどからいじめられる、なんてこともありました。

でも元から男子とは仲が良かったので(特にボス的な人)、被害が少なくて済んだような気がします。

女子特有の上下関係やネチネチした感じに一切協調できなかったので、いじめられても仕方なかったのかもしれませんね笑

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☆~私の経歴【大学生~20代】編~☆
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◆パニック障害・うつ病・言語障害を患う◆

もともと絵を描くことが好きだった私は美大に入学しました。しかし、2年目に退学します。

理由はたくさんありますが、一番は「ボーカリストとして音楽アーティストになりたい」と思ったからです。(実は母は元プロボーカリストだったので、その影響だったかもしれません。)

早速、東京の音楽専門学校の試験を受け、特待生として合格を果たしました。

しかし、新しい環境に馴染めず、パニック障害になり、さらにうつ病も併発。実家で療養するために泣く泣く断念しました。

そして「悪いことは重なるな~」という事件が次々と私に降りかかります。

まず、大学時代にできた彼氏に私のメンヘラが原因で振られました。
それが原因でパニックとうつ病がかなり悪化して引きこもりに…。

主な症状は、カーテンを開けられない・ベットから起き上がれない・お風呂に入れない・涙が止まらない・お薬が無いと生きていけない・眠れない・自分が嫌で仕方ない・周りと比べて焦る・毎日死にたくなるなど…。

言葉にできないくらい、本当に辛かったです。
「こんなことじゃ人前で歌を歌うことなんて一生無理だ。」と絶望しました。

うつ病は偏見を無くすためなのか「心の風邪」「脳の病気」と例えられたりますが、そんなのぶっちゃけどうでも良い!

「とにかく楽にしてくれよ!死んでもいいいから!」と私は思ってました。

そして、引きこもりながら、自分の将来について考えまくった結果、夢を諦めようと決意しました。

一生食べていけて、誰にでもできる仕事(←今思うと偏見ですね)につこうと決めて医療事務の資格をとりました。

上手く舵を切ったおかげでうつは楽になり、私は心機一転病院に勤め始めました。

しかしここでまた災難が降りかかります。病院の激務に耐えきれず、今度は適応障害になってしまい、退職を強いられました。

「自分は何してもダメなんだ…」「普通に生きていくことも出来ないんだ…」
と思いつめ、そのストレスで言語障害になりました。

主な症状は人と目を合わすのが怖い、訳の解らない怒りや悲しみが沸いてくる、話そうとしても言葉が出て来ない、など。

うつ、パニック・言語障害のトリプルパンチに打ちひしがれてあっという間に体重は10キロ減。

身体はだるいし、生きる気力も楽しみも一切なし。

誰に助けを求めていいかも解らないし、どうせ誰も助けてくれない…。
当時はそんな風に思ってとても孤独でした。

ここからさらに、私の人生は紆余曲折・波乱万丈になっていくのですが、
それはまた次のブログでお伝えできればと思います。

◆まとめ◆

冒頭でも述べましたが、幼少期から割とハードな環境をサバイブしてきた私だからこそ、同じ苦しみを抱えている人の支えになることができる!

と、確信しております。

ココナラには「誰か助けて…」「悩みを聞いて」「ただ側にいて欲しい」という方がたくさん集まってきます。

そんな方を見つけると、私はどうしても他人事とは思えなくなります。

すぐに話を聞きに行って、少しでも楽になる時間を一緒に過ごしたいと思わずにはいられません。

これからも、よりたくさんの方々のより所になれたら…と想い、スマホ片手に毎日過ごしております。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次回もすぐにアップしますので、また読んでいいただけると幸いです。

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