過去(トラウマ)との対峙の仕方 その4「禅僧・雪担」

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まず、断っておくが、私は、特定の宗教団体に属している訳ではない。
ごく普通の日本人で、家は代々、浄土真宗で仏教徒だが、特段、寄付をしている訳でもなく、お経を唱えられる訳でもない。

大昔の先祖は、一向一揆に参加して、信長と戦っていたかもしれないが、今は寺にも行かない。
盆暮れ、彼岸には、墓参りに行くようにはしているが、行けない時には行かない。
ちなみに、盆暮れ、彼岸に墓参りというイベントが日本にあるというのを知ったのは、20代も後半の頃であった。
「スピリチュアル」の「ス」の字も無い家に育った。
父は、仕事がハードで、盆休みもなく、そもそも父母には、墓参りする習慣がなかった。

祖父が、仏壇で何やらお経を唱えているぐらいだった。
(後々、これがとても重要な事だったと気づくのだが…。)


さて、ここで唐突ではあるが、とある禅僧に登場して頂くことになる。
曹洞宗・東山寺(新潟県三条市)の川上雪担(故人)という坊さんである。
「雪担老師語録」という本が、Amazonで中古で買えるので、興味のある人は読んでみるといいかもしれない。
しかし、ここでも、断っておくが、私は曹洞宗に帰依している訳ではない。
小難しい仏教用語は、さっぱりわからない。
単純に、この坊さんに、普通の言葉で、相談に乗ってもらったのである。
ちなみに、この坊さんは、新潟なのに、綺麗なベランメエ調の江戸っ子訛りでしゃべる。
また、なかなか、エッジな人で、今から20年以上前にネット上で、色々な悩み相談にのっていた。(もちろん、禅問答だがw)

この禅僧との出会いも、経緯があるのだが、今回は、その事には触れない。

この時、私は確か、30代後半だったかと思う。
娘も3人できていたが、倒産したり、リストラにあったり、どうもうまくいかない。
なんとかしようと色々動いてみるが、駄目であった。
その事を相談しに、東京からはるばる雪の中、10年ぶりぐらいに、新潟県の三条迄、来たのだが、和尚の返答は、開口一番

「覚えてねえな。」

だった。
その後も、よくある禅僧にありがちな態度で、北極のブリザードのようにつれなかった。
とにかく、埒が明かない。

その時、どういった流れか、私が子供の頃・DVを受けた経験があると話をすると、一言、

「そうかい。それじゃ〜、何やってもうまくいかねえだろうよ。」

と返されたのである。
そして、こう続けてきたのである。

「親も子もねえ」

倫理の鏡のはずである坊主が言うセリフとは到底思えない。
そして、

「とりあえず、座って、父親と母親を殺してみな。」

と続くのである。
凡そ、常識では、考えられないやり取りである。

実は、先立った私のパートナーは、私がDVを受けて育った事を心配して、随分、心療内科やセラピーを受けさせてくれていた。
私自身も、多くの心理療法の本を読んで、自分の状況について理解し、対処しようとした。
例えば、「チェーン」。
これは、DVを受けて育った親は、愛情を受けて育った経験が無く、お手本が無い為、自分の子供にもDVをしてしまうという傾向の事を言う。

これについても、セラピーを受けたり、Happyなドラマを見たりしてお手本を覚えて、自分の娘にそのような事をしないで、一応、育てる事ができていた。

(長女は、今年、24歳になり、次女、三女にも、一度も怒鳴ったこともなく、手もあげずに済んだ。仕事はサッパリだったが、正直、私は、これだけで自分の人生のタスクは終了したし、良くやったと思っている。)

現代医療・心理療法的には、私は正常であった。
「うつ」でもなく、薬も飲んではいなかった。
つまり、一定の決着をつけていたと思っていたのだ。

それが、どうも、違うらしい…。

私は、3日間の集中・座禅会に参加する申込みをして、東京に帰った。

「俺は、正常の筈だ。 普通に生活できる筈だ。 DVの過去にも決着はついたし、今は、親とも仲直りしている。」

東京に帰る新幹線の中で、何度も、いままで受けたセラピーや、読んだ本の内容を思い出していた。

「親の事も許せたはずだ。怒りは無い。そうじゃないんだろうか?」
この時、私は、「許す」・「許さない」といった事に、こだわっていた。
そこが、根本的に違うと気づくのは、大分、後になる。
西洋的な心理療法は、「教会で告白すると許される」という価値観がベースにあるのか、全般に、加害者と対話したり、加害者の事情を思いやったり、セラピーと会話をしたりして、親子関係・人間関係を修復しようと試みる。
対話や、コミュニケーションがベースになるのだ。

しかし、どうも、座禅は、そうではないらしい…。

(暴力には、) 

「親も子もねえ」 

(悪い者は、悪いんだ。恨みがあって、怒りがおさまらないなら、殺してみな!!)

って事か…。

正に、信長の「比叡山焼き討ち」である…。

田んぼ一面の白い雪が、高速で流れていく。
新幹線の車窓を見ながら、私は、少しびっくりしていたし、意外でもあったが、何故か、ホッともしていた…。

「坊主って、あんな事を言うものなのか…?」

新幹線の揺れが気持ちよくなった私は、いつのまにかウトウトしながら、東京迄、少し眠った。


                              (つづく)















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