明日が来るのが苦痛だった。

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見つけてくれてありがとうございます。

元No.1風俗嬢 nana です。

私は
18歳の時、教師を志し沢山の希望を胸に
東京の大学に進学しました。

私服での通学も、毎朝メイクをするのも
新鮮でとても楽しかったことを覚えています。
しかし、ある日人混みを歩いていると突然
過呼吸を起こしてしまったのです。
それから、講義を受けていると
手が震えだし汗も止まらず、
周りから白い目で見られ、いたたまれず
教室を抜け出す日々が増えていきました。

楽しかったはずの学校が苦痛なものへと
変わっていき、キラキラした
未来への希望が失われていきます。
明らかに様子がおかしいと感じたのは
ある朝、大好きなメイクができなくなって
いたことがキッカケでした。

下地を塗っては涙が流れ
ファンデーションを塗っては涙が流れ
アイシャドウ、アイライナー、リップ
全て涙で流れ落ちていきました。

それから私は、外に出ることが怖く
急速に社会から逃げ始めてしまいます。

そのような生活を2年。
精神科で鬱病と診断された私は、
大学では留年し、友達もおらず
這うように近所のスーパーに行き食料を
なんとか調達。
なんでもいい、食べられる物を
最低限口に運んでは、不安で嘔吐し
天井を眺めて1日が過ぎていきました。

生きていても仕方がない、
そう思った私はその日の夜
初めて救急車のお世話になりまして、

薬を大量服用し記憶にないのですが
その状態でアパート周辺を徘徊していたそうです。
(通りすがりの人が救急車を呼んでくれたようでした。)

田舎から泣きながら飛んできた両親に
負の感情をぶつけ、物を投げつけ、
今思うと恐ろしいくらいに
大切な両親を傷つけました。

とにかく明日が来るのが怖かった。

とにかく生きていたくなかった。

腕はズタズタでした。
懐かしいです、もはや。

腕の傷は今もしっかり残っています。

自分が自分と闘った証として、
その傷は今となっては愛おしいものです。
少しは強くなったかしら。

結局、大学は中退し
露頭に迷って始めたのが風俗。

ただ、その選択が当時の私を救うことに
なったのはもう少し先の話。

今日はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

nana

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