社会不適合?普通にできない。でも、“普通”なんてないんですよ。

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人にはそれぞれ、生きてきた環境や考え方、得意不得意がありますよね。

思考が成熟し始めて、集団生活を送るのは小学校高学年~でしょうか。

そして、社会にはポンっと投げ出されてしまいます。そして普通は、周りの価値観によって形成されていますね。

極端なお話ですが、時代によって普通とは簡単に(もちろん、変えた方々の苦労はあるでしょうが)がらりと変わってしまうものです。

服装も働き方も生き方も、時代を超えればいともたやすく変わるものなのです。

なにが言いたいのかというと、そうした流動的なものに振り回されてしまうのは勿体なく、また同じ人間が一人もいないこの世界で、みな同じで生きる必要はないという事です。

たとえば、人付き合いが苦手。人といると非常に疲れてしまう。楽しかった予定だとしても、帰るとぐったりとしてしまう。

「そんなのみんな同じじゃない?」「みんな多少なりとも一人の時間は必要でしょ。」

そうではなく、だれかといるとHPが一気に減ってしまうくらい疲れてしまったり…

人の顔色をうかがってしまったり、嫌われないように振舞ったり。あとから、「ああ、なんであの時にあんな風に言えなかったんだろう。なんでこうしてしまったんだろう」と、一人反省会をしたり。

ですが、私は思うのです。

一人で生きていったって、死ぬ事はない。生きていく術はある。

たとえば、家を借りる保証人だって今は業者がいる時代です。

そして、同調圧力に添うために頑張りすぎてはあなたの個性を殺してしまいます。

これは持論ですが、人は無意識に行っている事こそその人の才能であると私は思います。

好きな事に集中して取り組める事、他人の気持ちに寄り添える事、内向的である事も、外交的である事も。


自分は周りのように普通に振舞えない。人生が辛い、生きにくい…

私がどんなに肯定的な言葉をかけても、それは全くの無力かもしれません。

ですが、誰にだって必ず才能があり、個性があります。

あなたが当たり前にやっている事、それは誰にでも出来る事じゃないかもしれませんよ。

人生を終わらせず、まだ生きてみようかなと思ったら、どうか自分が生きていきやすい道を選んで下さい。誰かに蔑ろにされたり、馬鹿にされたりする理由はあなたにはありません。自分は価値のある人間であると、心のほんの片隅であっても忘れないでください。


あなたが心から穏やかな時間を送れますように祈っています。


紗雪乃
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