「小説家になろう」に投稿された小説2000作品のタイトルを分析してみた

記事
コラム
 今回の「実験」の元ネタになるのは、フランコ・モレッティ『遠読 〈世界文学システム〉への挑戦』だ。本書で収録されている論考「世界文学への挑戦」でこのような言及がある。

 合衆国は精読(close reading)の国だ。だから、この思いつき(※大滝注:前段落にある「野心的になるほど、(テクストからの)距離を遠くとらなくてはならない。」を受けている)が拍手喝采を浴びるなんて期待はしていない。だが、(新批評から脱構築へいたるあらゆるその転生の形式で)精読がかかえた問題は、ごく小規模のカノンに依存せざるをえないことだ。(中略)テクストをいかに読めばいいかはわかっている、さあ、いかにテクストを読まないか学ぼうではないか。遠読──繰り返させてもらうなら、そこでは距離こそが知識をえる条件なのだ。

 この「遠読」の宣言は小説を書く人間からしたらあまり好意的に見えないかもしれない。「小説を読まずに文芸批評を行う」と読めてしまうため、その対象に自作がさらされると「ないがしろにされている」感じがしないでもない。ただ、「遠読」とは「精読」の否定ではなく、むしろ「補完」に当たる。精読というアプローチ方法では扱えない問題を取り上げるための手法と位置付けられる。上記の引用は以下のように続く。

それさえあれば、テクストよりずっと小さく、ずっと大きい単位に焦点を合わせることができるようになる。技巧、テーマ、文彩──あるいはジャンルやシステムについて。そしてもし、ずっと小さなものとずっと大きなものとのあいだで、テクスト自体が消えてしまうことがあるとしても、そう、だれかが「テクストなんかなくてもよい」と言うのがもっともな場合もあるだろう。システムをまるごと理解しようとするなら、なにかを失うことを受け入れなくてはならない。理論的知識には代価がつきものだ。現実は限りなく豊かだが、概念は抽象的で貧しい。だがこの「貧しさ」こそが、それを扱うことを可能にし、結果として理解に至る道筋をつけるのだ。これぞ、まさに「テクストなんかなくてもよい」の理由なのだ。

タイトル分析の事例

 以上、「遠読」とは、「精読」とは対象のテクストへのアプローチであり、精読の射程外を扱う方法として提案された手法であることを確認した。その具体的な方法例として、語の出現パターンや使用法、関係性などの定量評価が挙げられ、それを通して作品群が織りなす生態系の像を立ち上げようとする。
 この事例についてもまた、モレッティの著書の中で取り上げられている。今回試しにやってみた「タイトル分析」については、論考「スタイル株式会社──七千タイトルの省察(一七四〇年から一八五〇年の英国小説)」で行われていて、調査対象の作品の「タイトルの長さ」「各年の小説の刊行数」「市場規模とタイトルの長さの相関」「固有名の使用」といったデータを元に対象時代の英国文学を「読」んでいる。

小説投稿サイトについての研究事例

九州大学の本田らによる研究「利用者投稿型小説投稿サイトにおけるキーワードの多様性動向分析」はぼくの問題意識に近い先行研究だ。背景として「なろうは異世界ばっかで、ニコニコ動画はボカロばっかじゃん」みたいなものがあり、この研究ではこの現象を定量評価を試みている。

今回やったこと

 小説投稿サイト「小説家になろう」の新着小説のタイトルを1000作品抽出し、それについての計量分析を行った。使用したのは無料のテキストマイニングツール「ユーザーローカル」だ

今回使用する図は以下の3つ。

共起ネットワーク:文章中に出現する単語の出現パターンが似たものを線で結んだ図。出現数が多い語ほど大きく、また共起の程度が強いほど太い線で描画される。
ワードクラウド:スコアが高い単語を複数選び出し、その値に応じた大きさで図示しています。色が品詞に対応している。
2次元マップ:文章中での出現傾向が似た単語ほど近く、似ていない単語ほど遠く配置されり。距離が近い単語は色分けして、グループにまとめた。


「小説家になろう 総合」の結果

共起ネットワーク
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ワードクラウド
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2次元マップ 
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(備考)
 ・異世界転生、ならびにそれに準ずる概念にほぼ制圧されてる。

「小説家になろう」と「カクヨム」の比較

特徴語の2次元マップ 
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読み方
・左にいくほど「小説家になろう」だけに使用されがちに、右にいくほど「カクヨム」だに使用されがちになる。
・上下について、上にいくほど使用されかたが限定的に、下にいくほど一般的な使われかたがされる。

(備考)
・「小説家になろう」のタイトルは、「カクヨム」に比べて動詞が多い傾向にある。
・動詞が使用されると、タイトルが文章になる。つまり、タイトルが長くなる傾向があり、これについてはタイトルの字数比較などして検証の余地がある。
・長いタイトルは詰め込める要素が多く、これを利用したタイトル設定はSEO対策に似た趣がある。「ネット記事のタイトル」と「なろう小説のタイトル」の比較をやってみるのもよい。

「小説家になろう SF」の結果

共起ネットワーク
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ワードクラウド
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2次元マップ 
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(備考)
・「小説家になろう」のSF小説ではVRゲームを題材にした作品が主流である。
・上記の特徴は「小説家になろう」で人気のいわゆる「俺TUEEE」系作品と相性が良いようにおもわれる。「チート」「スキル」と行った単語がSF作品と異世界転生系作品で使われかたにどんな共通点・差異があるかを検証するとおもしろそう。
・なろうSFにおける「星」とは?

「小説家になろう 純文学」の結果

共起ネットワーク
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ワードクラウド
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2次元マップ 
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(備考)
・「なろう純文学」で特徴的なワードは「少女」である
・少女と似た意味で使われる言葉に「雨」、「死ぬ」、「愛」があり、これを強引に繋ぐと「雨の日に出会った病弱な少女が死ぬハートウォーミングなお話」が「なろう純文学」の王道になる(冗談)
・なんか淡いかんじを適当に出せば純文学になるとおもっているのか(知らんけど)

おわりに──「ランキング」と「書籍化」の呪い

 以上、別に大したことはしていないが「小説家になろう」の投稿作品のタイトルでいろいろ遊んでみた。何がどうだとか言い切れるような成果はない。一定量の情報群があれば何らかの構造を勝手に有するのは当たり前すぎるので、「どんな構造が見られたか」だけでなく「なぜこの構造が生じるのか」が合わせて語られるのが理想だ。ただ、「なぜ生じるか」問題は構造の背後にあるがゆえに指摘するのは難しく、ひとまず見えた構造をポンと出しておくだけでも無駄ではないだろう。

 正直なところ、ぼくは「小説家になろう」に投稿される作品やユーザーにあまり良い印象を持っていない。厳密には、「#RTした人の小説を読みに行く をやってみた」という企画をはじめてから、凄まじいスピードで「小説家になろうユーザー」への不信感が募っていってしまった。もちろん、一人一人はそんなに悪いひとじゃないんだろうなと思うんだけれど、「批評」を軸としたこちらの意図を見ずして、機械的にRTしてはコピペの「読んでくださいメッセージ」をリプライに飛ばしてくる。まるで上司に「500件アポ電入れろや」と言われてやっているブラック企業の営業マンみたいだ。
 なぜかれらはそんなことをするのか何人かに聞いてみたところ、最大の目標として「書籍化」があるという。実際に「小説家になろう」には人気が人気を呼び書籍化にたどり着いた作品が複数ある。「サイト内で人気が出れば編集者から声がかかる」という事例がユーザーにとっての「ランキング」の重要度を押し上げ、かれらをTwitterでの営業活動に駆り立てている。閲覧数がランキングの指標に入るがゆえ、実績のあるキーワードの組み合わせによるタイトルの長文化が戦略の1つとなっているようだ。まあ、本気で書籍化を狙ってるという層は少なく、自作の閲覧数を伸ばしたりポイントあげたりするのがたのしい…という層が一番多い気がするけれど、それでも別に上記のような評価軸での最適化が起こることには変わらない。冒頭に挙げたようなライトノベルの書き手〝だけ〟がマナーもクソもない行為をしてしまうのは、小説投稿サイトに生じた力学にそうさせられているからではないかとぼくは考えている。

 そしてこうもいえる。それは、「小説投稿サイトに小説を書かされている」のではないかという仮説であり、この根拠は「なろう小説はタイトルに動詞が多く、長い文字数の中にキーワードをはめ込む〝SEO対策〟によく似た性質を持っているかもしれない」という考察に由来する。ぼくはこの業界について完全に門外漢であるわけだけど、「小説家になろう」というサイトの独特さが「書籍化」に由来するものであるとして、なぜそこまでして「書籍化」にこだわるのか、「書籍化」の夢を見るのかがぼくにはよくわからない。仕事として小説を書く以上「本になってもらわないと困る」という事情はわかりつつも、あわよくば書籍化のためにがんばるのは何だか別の話に思えてならない。小説のために小説をしてほしい。やっぱりぼくはそう思う。友人に「なろう(とライトノベル)と小説はちがうらしいよ」といわれた。ぼくもそうおもう。ライトノベルはラーメン二郎みたいなもので「あれはラーメンじゃなくて二郎だよ」というかんじによく似ている。

 いろいろと考えた結果、極力ぼくの方から「小説家になろう」のライトノベル風の作品・作者には今後近寄らないことに決めた。前提としている考えがちがいすぎるし、出会ってしまったところでお互いにとって有益なものは何もない。これは捉え方次第では「実作者・批評家としての敗北」に他ならず、非常に打ちのめされた気持ちだ。でもまた元気が出たらもう一度かれらの作品批評をやってみたいとはおもう。表面上の良し悪しではなく、1つの作品が持つ特色とそれが纏った環境を示し出すような批評を、WEB小説でも広くなされて欲しいと切に願う。

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