【超ショートショート】「不忍池」など

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「不忍池」

上野公園の不忍池を歩いていると、
濛々と茂る草木に囲われて弱まった街灯の光の下に、
一人の女性が立っている。
その脇を抜けながらチラリと見ると、
白いシャツにホットパンツ、
黒いハイヒールを履いている。
髪は金色で長くゴワゴワとしており、表情は分からない。
シャツのボタンは外されて、
中に何も着ていないのか、素肌が覗く。
思わず胸元に視線が移る。
「おい」
声をかけられて体がビクッと跳ねる。
罪を咎める口調だったから、だけではない。
その声は明らかに男のものだったのだ。
恐る恐る視線を上げると、
髭の生えた角張った顎が視界に入り、
次いで顔の全容が見える。
ポカンと開いた目と口。
それを見て、俺も全く同じ表情をする。
「……俊。」
男が俺の名前を呟く。
そこにいたのは、
間違いなく親父だった。
俺たちは数瞬の間目を合わせた後、
慌てて逸らし、各々の足元に落とした。
言葉はない。
俺は硬直した状態で、
必死に知っている親父の姿を浮かべた、
「出世をしなければ人間じゃない」を合い言葉に、
悪い成績を取った兄に手を上げていた、
あの恐ろしい親父の姿を。
俺は初めて自らトラウマを呼び起こし、
現実を塗り潰そうとした。
しかし女装している老人は、
親父の声で話しかけてきた。
「金貸してくれ。」
俺は堪えきれずに走り出した。
これ以上辛い現実を受け止められない。
公園を出て横断歩道を渡ると、
ガードレールに凭れて呼吸を整える。
喉から笛のような音が鳴り、
視界が汗で滲んでいる。
しかし俺は理解してしまった。
親父は男娼をしているのだ。
背後で葉が音を立てて落ちた。

「郵便ポストの生き物」

郵便ポストの投函口から、
黄色い触手がニョロニョロニョロニョロ。
中にいる生き物が舌なめずりしている。
奴等は、ヤドカリにとっての貝であり、
チョウチンアンコウにとっての誘引突起である郵便ポストを使って、
間抜けな人間共が手を震わせて書いたラブレターなんかを、
美味しくいただくのだ。
ちなみに、「メェー」と鳴く。

「処理水」

科学的な根拠を「放出」した国と、
デマを「放出」した国。
どちらが汚いだろうか。

「コップを落とす」

「コップなんて、
何でもないと思っているんでしょう?
どうせ新しいのを買えばいいんだからって。
どうせ破片を拾えばいいんだからって。
どうせそれをするのは自分じゃないんだからって、
適当に考えているんでしょう?
だから毎回気が緩んで、
手を放してしまうんでしょう?
でもコップを落とすっていうのは、
大変なことなんですよ?
ほら。」
リビングで仁王立ちになっている妻の、
胸の高さから落とされたコップが、
両手を後ろ手に縛られて、
仰向けに寝転がされた夫の顔面に落ちる。
同棲を始めた時に買った、
赤と青のコップには、
種類は違うものの同じ量の汗が堪っている。
しかし割れてしまっている分、
赤の方が先に溢れたというわけだ。

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