【ショートショート】「ハズレの同居人」

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ゲージのガラスを指で小突くと、
中にいるカメレオンが目を覚ました。
寝そべっていた枝から、
右前足と左後ろ足、
左前足と右前足を交互に離し、
伸びをしている。
その様子が可愛らしくて、
思わず笑ってしまう。
あまりにも可愛いものを見ると笑ってしまうことを、
私は2年前に「カメちゃん」を飼い始めてから知った。
すっかり起きたカメちゃんは、
左右の目を別々の方向に動かしながら、
口をパクパクとさせている。
私はその様子を眺めながら、
ゲージの置いてある机の引き出しを開け、
2枚の色のある下敷きを取り出す。
赤、青、それらを合わせた紫。
1色ずつカメちゃんの前に掲げる。
緑色の体表は、それぞれの色に従って変わる。
なんて健気なんだろう。
また可笑しさが込み上げてくる。
私はその遊びを繰り返しながら、
(カメちゃんが巨大になって、
会社をぶっ潰してくれればいいのに。)
なんて妄想に耽っていると、
不意に背後のドアがノックされた。
コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン、コンコンコン……
無視しているのに、3回も4回も。
きっとあいつだろう。
面倒だが、付き合いというものがあるから仕方ない。
溜息を吐き、ドアを開ける。
すると案の定、
そこには「ハズレ」の方の同居人がいた。
「何?」尋ねると、
そいつはモジモジとし、
長い前髪の隙間からニキビだらけの肌を覗かせながら、
「今忙しい?」とこちらの機嫌を伺う。
「用事によるかな。」
私がそう言うと、
ただでさえイライラしているのに、
躊躇いがちに何かの紙を渡してくる。
受け取って見ると、
習い事でやっているとかいう、
アコースティックギターの演奏会のチラシだった。
「よかったら……。」
と照れ臭そうに鼻を擦る。
「なんで休日にわざわざ素人の演奏なんて
聴きに行かなくちゃいけないんだ!」
そう言いたいのをぐっと堪え、
精一杯笑顔を作る。
「へぇ凄いね!
だけど土曜か~。ちょっと友達と会う予定があるんだよね。
今回はパスで。ごめんね!」
断る時は勢いが大事だ。
付け入る隙を与えてはならない。
私は捲し立てるように言うと、
片手で謝意を示し、
もう一方の手でドアを閉めようとした。
しかし、流石は「ハズレ」の方。
肩を入れて閉めるのを阻んで、
「じゃあ私、出るのやめようかな。
他の人に迷惑かかっちゃうけど。」
と言ってきたのだ。
おいおいおい。
それじゃ私のせいで、
発表会が台無しになるみたいじゃないか。
閉口していると、
さらにそいつは、
「っていうかその友達との予定、
私も行っちゃダメ……?」
そう言いやがった。
もちろん、
ハズレの方の同居人を友達に紹介したことはない。
そんなバイ菌を押し付けるような真似、
私は絶対にしない。
なのに、こいつときたら……。
私は奥歯をギリギリと鳴らしながら、
崩壊した笑顔で、
「無理っ。ごめんね!」
と無理やりドアを閉めた。

次の日の夜。
憂鬱な月曜日を乗り越え、
ようやく自宅まで辿り着いた私は、
ベッドに雪崩れ込むことしか考えていなかった。
玄関でパンプスを蹴るように脱ぎ、
廊下を転がるように歩くと、
自分の部屋のドアノブに手をかける。
……これは、何だ?
私は手を止めた。
自宅の各々の部屋のドアは、
プライベートを守るために外側から鍵をかける仕組みだ。
その鍵穴の周囲に、
何かで引っ掻いたような無数の傷がつけられている。
それは明らかに、
針金のようなものを、
無理やり鍵穴に入れようとした形跡だった。
まさか……。
嫌な予感がして、
慌てて中に入り、
カメちゃんの様子を見る。
どうやら、何もされていないらしい。
ほっと溜息をつくが、
鼓動は速いままだ。
それどころか、額に冷たい汗が浮かぶ。
私は廊下に出ると、
隣の部屋のドアをノックした。
「はい。」
現れたのは、「アタリ」の方の同居人。
鍵穴の件について尋ねると、
やはり「俺じゃない。」
とのことだった。
「本人には?」
聞かれて、かぶりを振る。
きっとやつは、
私に構って欲しくて堪らないんだ。
だから問い詰めるのだって、
やつを喜ばせることになる。
しかし何も手を打たないというのも……。
悩みが顔に表れたのだろう。
「アタリ」の方の同居人が、
「俺が言っておこうか?」
と提案してくれた。
私は少しの間考えた後、
「人を介すと話がややこしくなるから。」
と断った。
そして、
「風呂入れてあるよ?」
と言われたので、
自分の部屋に鍵がかかっているのを確認してから、
洗面所に向かった。
脱いだ服を洗濯機に突っ込み、
バスルームに入る。
湯は張ってあるが
シャワーで済ませてしまおう。
私はレバーを引いた。
立ち込める湯気を突き抜ける、無数の線。
その中にいると、
気の緩みと共に疲れが実感され、
眠気に変わり、
膨らんできた不安を頭から追い出してゆく。
だからなのだろう。
その時の私は、背後への注意を怠っていた。
不意に、背中が触られる。
振り返り、悲鳴。
そこには裸の「ハズレ」の同居人がいた。
「入ってるよ!」
パニック状態になり、
見れば分かることを叫ぶ。
するとやつは戸惑いの表情を浮かべながら、
「一緒に入りたくて……。」
と言った。
絶句していると、
「アタリ」の同居人が、
何事かとやって来て、ドア越しに状況を尋ねた。
やつは、
「私はただ、一緒に入りたくて……。」
と繰り返す。
その後、「アタリ」の同居人が、
「いくら同性だからって……」と、
当たり前のことを蕩々と説教してくれたので、
やつは出て行った。
私は湯に浸かったが、
粟立った肌は中々戻らなかった。

次の日の夕方。
私は一度自宅に戻ると、
カメちゃんを連れて実家に向かった。
少なくとも1週間はいる予定だった。
両親に理由を尋ねられたが、
私は適当に濁し、
私がいた頃のままになっている部屋に籠もった。
真夜中。
実家は会社から遠いので、
翌朝は早く起きなくてはならないのに、
中々寝付けないでいた。
頭の中を支配していたのは、
やはりやつだった。
なぜあいつは、
私に執着するのだろう。
友達はいるだろうに、
なぜ私を特別視するのか……。
いや、あいつだけじゃない。
あいつほどじゃないが、
ほとんどの人が私に必要以上の干渉をする。
会社の同僚たち、取引先の人々、
アパートの大家だってそうだ。
「趣味はあるんですか?」とか。
「彼氏はいないの?」とか、
なぜ踏み込もうとするのだろう。
どれほど仲良くなっても、他人は他人だ。
人間は自分の都合の良い「形」にはならない。
自分の凹凸に対して、
完璧に合う凹凸を持つ人はいないのだ。
だから凹凸が衝突しないように、
適切な距離を保つんじゃないか。
あるいは、皆が言うように、
私が寛容ではないだけなのだろうか。
自分の形を変えて、
相手の凹凸を受け入れる度量がないのだろうか。
私は冷たいのか。
だとしたら、なぜ?
どうして私は、
やつを受け入れないのだろう。
確かに、やつの容姿や態度は嫌いだ。
荒れた肌、貧相な体格、
あの冴えない見た目で、
卑屈でおずおずとしながらこちらの様子を伺うのが、
気に入らない。
だけど、それはどうしてだろう。
瞼の裏で眼球を忙しなく動かしながら、
また寝返りを打つ。
秒針が音を立てて焦燥感をつつく。
あぁ、煩わしい。

2日後の夕方。
仕事中に電話がきた。
連絡してきたのは、警察だった。
要件は、
やつが万引きをしたから迎えに来てほしい。
とのことだった。
どうやらやつは、自分自身で問題を処理できず、
代わりに連絡先として私の名前を出したらしい。
私は心からの溜息を吐くと、
会社を早退して家の近所にある交番に向かった。

やつと並んで、
家までの道を歩く。
会話はない。
する気も、ない。
やつが話したがっているようだから、
なおさら口をきいてやらない。
目の前には帰宅途中の小学生がいる。
他の友達に背負わされたらしく、
背中だけではなく、
腹や肩など、
全身を使って沢山のランドセルを運び、
時折、遙か先にいる友達に向かって叫んでいる。
中々進まないから、
私たちの足も遅くなる。
カレーの匂いの乗った生暖かい風。
「あのさ……。」
やつが何か言おうとする。
私はそれを、
「次何かトラブルを起こしたら、
出て行ってください。」
とだけ言って制す。
横目で見ると、
やつは俯いている。
その長い髪の内側から、啜り泣く声。
抑えているようで、
周囲に聞かせているのは明らかだ。
それを無視しながら、
私はなぜ自分がやつを嫌っているのかを理解した。
こいつは昔の私と似ているのだ。
自分の寂しさを埋めるために人を振り回す、
あの頃の醜い自分が、
勝手に表に出て行動しているかのような存在だ。
だから私は嫌っているのだ。
だったら、これでいい。
歩くスピードを速め、
小学生の手前で横道に逸れ、
やつとの距離を広げていく。
「待って」と聞こえるが、構わない。
私は成長したのだ。
人には依存しない。
「構ってほしい」とか、
「自分の言うことを聞かせたい」っていう気持ちは
ペットで埋め、
人とは適切な距離感を保つ。
たとえ相手が、
自分の子供であっても。
「ママ、待って!!」
また背後から呼ばれたが、
私は「ハズレ」の同居人を置いて行った。

読んでいただきありがとうございました。
全ての子供が「大人」に育てられますように。
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