話を戻しますが、たまたま幸運の人が己の幸運な立場から、たまたま不運な立場の人を見下し、排除していく選民的な社会に貴方が居るとしましょう。
もし幸運だった貴方が予期せず不運に転落してしまったら、問答無用で叩かれ排除されてしまいます。末恐ろしくないですか?
このことは、単純に年齢(世代)でも同じように言えてしまいます。
誰でも加齢して、いつか高齢者になり、自分より若い世代から支えてもらうしかない弱い立場になりますが、そのときに貴方が邪魔者扱いゴミ扱いされたら如何でしょうか?
運良く高齢者施設に入れても、なんだかんだの制裁を受けて、早めに”処分”されてしまうのが当たり前になったら???
不運も、加齢も、本人の努力では如何にも出来ないからこそ
お互い様 なんです。たまたま自分の幸運ポジションから、たまたま不運な人を蔑むというポジショントーク的な生き方は不毛です。
つまり、許す技術も、生きる知恵の一つであり、その知恵を共有する努力も必要なんです。
もちろん何でも許して良いわけでもありませんが、もし誰かに苦しめられる事があったら、まず深呼吸で落ち着きながら、その人の生まれもった気質や育ち、置かれている立場に思いを巡らせることで、自他を破滅に導く不幸の連鎖を抑えられるかもしれません。