破滅の連鎖から自他を守る”許す技術”

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はぁ?何この人💢
コイツあたおか📛
単細胞❌
気難しすぎ🆘
もう#%$☆&※❗️

...色々ありますよね。

でも、もしもですよ?想像してみてください。
もしも自分が、その人の生まれ育ちだったら、どうだったでしょうか???

絶対そうは成っていませんか?
なるほどですね…

でもそれって根拠を問われると、どうでしょう?
気持ちは解りますが、根拠ありませんよね。

そうなんです。

気質は生まれ持つものだし、不幸に育てば人格的に問題を抱えてしまうし、たまたま不運が重って荒れることも有るものなんです。

幸運な人が、何の理由もなく急に破壊的言動に及んだり、荒れたりしているわけでは無いんです。本人が望んでサイコパスになったり粗雑になったりするわけでも無いんです。

じつは、私の父は本当に色々あって、ずっと苦しめられていますが、しかし不運な生まれ育ちを知り、現状の重なる不運も鑑みると、仕方がないことに気づき苦しくなります。

今年になって、自分の歩みが写っていたであろう古いアルバムを「どうせ誰も観たがらないだろう」と全て焼き捨てた父の哀しみも、私の至らぬ部分が影を落としているのは間違いなく、申し訳なくも思います。せめて晩年くらいは幸せ一杯で過ごしてほしいのに…。


話を戻しますが、たまたま幸運の人が己の幸運な立場から、たまたま不運な立場の人を見下し、排除していく選民的な社会に貴方が居るとしましょう。

もし幸運だった貴方が予期せず不運に転落してしまったら、問答無用で叩かれ排除されてしまいます。末恐ろしくないですか?

このことは、単純に年齢(世代)でも同じように言えてしまいます。

誰でも加齢して、いつか高齢者になり、自分より若い世代から支えてもらうしかない弱い立場になりますが、そのときに貴方が邪魔者扱いゴミ扱いされたら如何でしょうか?

運良く高齢者施設に入れても、なんだかんだの制裁を受けて、早めに”処分”されてしまうのが当たり前になったら???

不運も、加齢も、本人の努力では如何にも出来ないからこそ お互い様 なんです。たまたま自分の幸運ポジションから、たまたま不運な人を蔑むというポジショントーク的な生き方は不毛です。

つまり、許す技術も、生きる知恵の一つであり、その知恵を共有する努力も必要なんです。

もちろん何でも許して良いわけでもありませんが、もし誰かに苦しめられる事があったら、まず深呼吸で落ち着きながら、その人の生まれもった気質や育ち、置かれている立場に思いを巡らせることで、自他を破滅に導く不幸の連鎖を抑えられるかもしれません。
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