学ぶことの秘訣

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学生時代は半ば強制されてきた「学び」は、自分がどうなりたいか、何をしたいかといったことを実現するために、年齢に関係なく必要になることだ。「学ぶ」とは「真似ぶ」からきているということらしく、当初はまねることが中心であったのが「学び」の本質だ。確かに昔の職人は徒弟制度で、師匠から教わるというよりも、やっていることを見て自分のものにするというのが当たり前だった。

江戸時代も論語を学ぶために、まず暗唱して言葉自体をまねることから始まった。ただ、まねること自体で本質までつかめるかどうかというと、これは別の問題だ。「論語読みの論語知らず」という言葉がある通り、うわべだけで知ったように感じてしまって、それ以降深堀せずにいれば、本質を理解しないまま知ったように感じてしまう

これはどういった学びでも起こりうることだ。
社会人がセミナー、研修に参加をして「ああ、よいセミナー(研修)だった」で終わってしまっていては、何の意味もない。聞くだけで良い、結果の出るセミナー(研修)というのは基本的にはないだろう。こういったものは、自分の仕事に役立てるために時間を取っているはずなので、そこに結び付かないと意味がない。

学ぶということは、読書を通じてもできる。
読書は、先人の知恵や経験を文章を通じて学ぶことになる。脚色されている部分や主観で判断されている内容も多分にあるが、これまでの歴史の中である程度スクリーニングされているものなので、特にマスターピースとして今にまで残っているものは間違いないだろう。

自己啓発では、「7つの習慣」「思考は現実化する」「原因と結果の法則」
といったものは目標設定や成長への考え方やコミュニケーションの取り方といった部分では、読んでおくうえで重要であるといわれているが、さすがに何千万部と発刊されているものには確かなものがあるのだろう。

また、中国古典なども広く世界中で読者を獲得している。論語、老子、孟子、墨子や韓非子といったものから貞観政要、呂氏春秋といったものなども広く読まれてきているから、時代の変化に関係なく本誌的な部分を語っているものとして読むことで多くの学びがあるだろう。

学ぶ以上は、それを結局実践につなげることが、特に社会人になってからは重要だ。学びを実践につなげるには、いかに実践につなげるかを考えながら学ぶことが必要だ。語学にしても、テキストを読むだけで実践できるようになるのなら、だれでももっと語学が堪能になっているだろう。それが実現できていないのは、学びながら実践に生かすことができていないからだろう。

実践を伴った学びができる環境であれば、成長も早いだろうが、なかなかそれは難しい。留学などは、まさにそういった環境を強制的に作ることになる。強制的に環境を作れない学びは、どうすればよいだろうか。

一つは、リアルに実践するイメージを持つことだろう。
リアルにイメージすればするほど、実際に学びをどう実践に生かすかも明確になる。

そして、イメージしたものをすぐに行動につながる一歩を踏み出すことだ。行動になるから実践される。どんな小さな一歩でも良いから行動にする。これが学びを実践につながるためのまさにはじめの一歩になる。

行動につなげられないものは、学びとはいえない。
学びというのは、真似ること。つまり行動することだ。
それさえできれば、どんな学びも自分の身になり、生きたものとなる。

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