セックス依存症と性被害について

記事
コラム
摂食障害や依存症から回復したい。

でも、自分との向き合いが辛くてできない。向き合うと悪化してしまった。
そんな、心の傷が深い繊細さんでも安心して取り組める、辛い深堀をしない、簡単かつシンプルな方法をお伝えしています。

依存症・摂食障害当事者カウンセラーのMICHIRUです。

摂食障害、アルコール依存症、性依存症、買い物依存症、共依存、インターネット依存症、の多重依存症(クロスアディクション)からの回復者です。

幼少期に性虐待をうけたことや、のちに性被害をうけたことがきっかけで18歳でセックス依存症を発症した話と、
セックス依存症が止まるまでの話を書きました。

性依存症について

性依存症は、幼少期に性虐待を受けたり、年齢問わず性被害を受けていると、発症の一因になります。

自助グループには、男女その他問わず性虐待、性被害者が何人もいました。
家族からの精神的、情緒的、身体的虐待やいじめも発症の一因です。

性虐待や性被害によって、摂食障害になる女性も多いと感じます。
(長年当事者の話を聞いてきた経験から感じたことです。統計があるわけではありません)

性被害者が性依存症を発症すると、男性は加害者になる比率が比較的高く(痴漢行為やレイプ、のぞき、デートDVなど)、

女性は被害者(セックス依存症によるレイプなどの性被害、望まない妊娠、性病など)になる比率が比較的高いとわたしは感じます。
(あくまでも話を聞いてきた経験から感じたものです。統計があるわけではありません。)

もともとの性的な差異だと思われます。

わたしが性依存症のグループに参加していたとき、比較的若い男性の性被害者もおりました。

男性からの性被害を受けたのがきっかけで依存症になった方でした。

男性はよく性加害を性依存症として扱われますが、それよりも多いと感じるのは、風俗への依存からの借金問題、マスターベーションへの依存で女性と関係が持てないことや、セックス依存症からの不倫行為によっての家庭崩壊です。

私自身の問題の始まりは…
今振り返ると、小学生の時からマスターベーションをはじめましたが、すでに偏った性癖がありました。

いじめの苦しさを紛らわすのと、ピアノの練習がいやなのと。それらの苦しい感情を麻痺させて逃げるためにするようになりました。

ピアノの置いてある部屋は、自宅1階の祖父の会社の応接室でした。主にそこでマスターベーションをしていました。

練習している音は玄関を出て、自宅側の門までいかないと聞こえなかったため、練習をしてなくても母にはばれませんでした。

当時は、公園の植え込みや、ごみの不法投棄場の付近や空き地など、あちこちに成人向けのポルノ雑誌やポルノ漫画雑誌が捨てられていました。それを拾ってきて見ながらマスターべーションをしていました。

わたしがいつも引き込まれたのは、女性が凌辱されるものばかり。レイプやSMものなど。当時はもちろんそんな言葉は知りませんでしたが。

今の性癖のベースがすでにありました。

感情からの逃れるためのマスターベーションはエスカレートし、ひどい時には授業中に行っていたことも。

今思うと、感情を麻痺させるためにマスターベーションを行っていた時点ですでに性依存症の入り口に入っていました。


中学生になって大好きなバンドができて、そのメンバーに恋をしていました。
中学時代はその人との関係を妄想してが多かったので、まあノーマルぽかったかなと。この頃は乙女でしたね(笑)

アルコール依存症を発症しビールを大量に飲んでいたからか、母方の祖母(グラマーでした)の遺伝なのかわかりませんが、わたしはバストの発育が良くて、中2の時にもうすでにかなり目立っていました。ジャンパースカートの制服だったので、余計目立ちました。

仲良しの友達の家に遊びに行ったとき、女の子3人でしたが、ふざけて胸をもまれて感じてしまい、ものすごい自己嫌悪に陥りました。

そのあとから、ほんの3年前まで胸の性感はほとんどありませんでした。どうやら自分で封印したみたいです。

はっきりした時期は思い出せませんが、幼稚園の時の記憶があります。
わたしは自宅近所の20代くらいの男性のアパートで遊んでいる(?)
男性に、いい加減さっさと帰れと怒鳴られました。

わたしはなぜ、怒鳴られたのか理由がわからずきょとんとしている。
不思議に思いながら、ひとりでその部屋を出る。

どうやら、性的ないたずらをされたようでした。内容や状況を思い出せないのですが、直観的にそう思いました。
自ら記憶を消したみたいです。

4年生の時、ひとりで近所の空き家の庭で遊んでいるとき、いわゆる露出狂に性器を見せられました。

近寄ってきて、触ってよと言われました。わたしは恐怖で固まりそうになりましたが、必死でもう帰るからと、その空き家の裏の壁を越えてとなりの家の庭に逃げ込みました。

そこのおばさんに、「すみません、変な人に声をかけられて、助けてください」と言って、裏から逃がしてもらいました。

家に逃げ帰るときに、その男性が道を曲がっていくところで、にらまれたのを覚えています。

中学から一人で使うことになる部屋に逃げこみ、毛布を被って、暗くなるまで震えていました。

6年生の時も最初は一人で遊んでいるとき、次に友達と遊んでいるときに同じ痴漢に遭遇。

両方とも逃げることができましたが、このことは、小学生、中学生の時の通学途中の電車での痴漢も含めて、長い間トラウマとなっていました。

高校時代は路上で何回か痴漢未遂がありました。ほぼ金髪でピアスをしていたので、ヤンキーのふりをして怒鳴りつけようとしましたが恐怖でが声が出ず、逃げるのが精一杯でした。

このころは、弟の隠しポルノ漫画(ノーマルな内容がほとんど)をこっそり持ってきたり、じぶんでそういった漫画雑誌を買ってマスターベーションをしていました。漫画やアニメ以外のリアルなものは気持ち悪いと感じて見れませんでした。

飲酒の症状が進行し、アルコール依存症の診断をもらう少し前に性依存症を発症しました。


今思うと、この時がはっきりした発症でした。

大学受験の日でした。あいかわらずの二日酔いで、試験大丈夫かなと思いながらも電車で試験会場に向かっているときに痴漢にあいました。

いつもなら恐怖と不快感で固まってしまうのが、なぜか、異常に興奮して、その男性を引きずりおろしてホテルに連れ込みたい衝動にかられました。

このときまだ、男性とのセックスの経験はありませんでした。男性と付き合った経験もなし。
なのに、そうなった。

何とか身を離して、別の車両に移り難をのがれましたが、頭と体の両方で起こった衝動がなかなか収まらず、暗記もどこかに吹っ飛び、氣持ちを鎮めるのがやっとでした。

自分でも、なんだこれ?わたしおかしくなった?としか思いませんでした。
試験は落ちました。まあ、大学はすべて落ちたので(笑)

そのあと、性衝動に見舞われてセックス依存症の発症になったのは専門学校に入った後、居酒屋のアルバイトを始めてから。

それまでは家でただ泥酔する薬物としてしか飲んでいなかった酒を、飲み会で楽しく飲む経験をしてから、外で飲み歩くようになりました。

実家住まいで月10万以上のバイト収入があったので、ほぼ毎日のように飲み歩きました。バイト代は全部酒と過食に消えました。

最初のお酒での入院のあとにバイトもどってしばらくしたころ、バイト先の飲み会の参加のあとに、終電がなくなり、アルバイト10人ほどで男性社員のアパートに転がり込みました。
たしか、女性は私ひとりでした。

かなりの泥酔状態だったので、部屋について少しだけ飲んだ後、雑魚寝で寝落ちしました。

ふと、下半身に違和感を感じて目を覚ましました。
気が付くと、部屋にいるのはわたしとその男性社員のみ。
性器に指を入れられていました。
恐怖で声も出ず、寝ているふりをしました。

さらにエスカレートしそうになり、恐怖で体が固まってましたが、何とか起き上がりました。

セックスをしつこく迫られましたが、なんとかその場を逃げ出しました。

誰にも言えず、でも、お酒や過食のためにお金が必要でバイトをやめることもできず、

幸い広い居酒屋で、その人の働いている場所に近づくことなく、3か月以上顔を合わさないようにして何とか働きました。

泥酔して何も考えずに男性の部屋に行った自分が悪いと思い、誰にも言えずに10年以上自分を責めていました。

(15年以上後の話ですが、自助グループの仲間に初めてこのことを話せたときに、

「MICHIRUには0.01%も非はない。その男性が100%悪い。性器に指を入れるのは完全なレイプ行為。日本ではレイプとは認められてないけれど、西洋ではそれはレイプなのは常識。ほんとに辛かったね。もう大丈夫だよ。」

そういわれてボロボロに泣いて、初めて自分は悪くなかったとわかり、長年の自責から解放されました。

自分が悪かったと悩んで、誰にも言えずに苦しんでいる女性(男性も)は沢山います。)

『これを読んでいる被害者のあなたへ。
レイプは、100%加害者のみに非のある犯罪です。
被害者のあなたには、全く非はありません。
もう自分を責めないでください。
周りが何と言おうと、氣にしないでください。』


そのあとから、ひとりで飲みに行くと、男性を誘うようになりました。

酔っぱらってくると、どうしてもセックスがしたくなり、気持ちいいわけでもないのに、とにかく誰でもいいのでセックスしたいという衝動が抑えられず、隣に座った男性を誘っていました。

酔いのほうが先に回ることも増えて、気が付いたら、知らない男性の部屋にいた、とか、ホテルにいたということが多くなっていきました。

しらふだったら、こんな人は絶対に相手しないというような男性が気づくと隣に寝ていることも何度もあり、自分を殺してしまいたくなることが何度もありました。

それでも、外飲みすると、男性を誘うことは止められず。

そのころ、付き合っている男性が2人いました。
同い年のフリーターと、専門学生。私が本当に好きだったのはそのフリーターの、女癖の悪いほう。何人もの女性と関係をもっていました。

彼が初めてオーガズムを感じさせてくれた相手で、彼とのセックスに依存していきました。

今思うと、彼へのセックス依存が原因で逃げられたのですが…。

19歳になったあるとき、彼に会いたくて電話をしたら、つながらなくなっていました。
一方的に振られたと思い込み、死にたくなりました。

自分にとっての最大の自傷行為として、レイプされた男性社員を誘い、セックスをしました。

その日の夜に、ため込んでいた大量の精神薬とスピリタス(アルコール度数96%以上)を半本(360m以上)飲み、3日間昏睡。

母は、医師である祖父に連絡。呼吸などを確認して大丈夫だということで、そのまま部屋で様子見をしたとのこと。

意識が戻ったとき、あ、生きてるんだ、と絶望。それから1週間ほどで精神科に再入院しました。

その入院から、過食嘔吐が過食オンリーに転じて、どんどんと太っていきました。今思うと自分を守るためでした。

その体型では男性を誘うことができなくなり、セックス依存症はひとまず止まりました。

そこから、今から6年ほど前まで、セックス依存症の症状は出てきませんでした。

離婚する2年ほど前から、セックス依存症の症状がまた、再発しました。

はじまりは、頭の中で性的な妄想が止まらなくなるというもので、一晩中それが続き、眠れない。それが2日ほど続くのが繰り返す。

『性的な妄想・思考』に依存している状態でした。

しんどくなり、以前からの知り合いの自助グループの仲間に相談し、性依存症の自助グループに参加。

元夫との離婚が決まったあたりから、道具を使ってのマスターベーションが毎晩はじまりました。

そのあたりまでは、まだ、よかったのですが…

離婚して、ブレーキになる夫がいなくなり、毎晩のように、ポルノ動画を見てマスターベーションをすることが止まらなくなり、ろくに眠らずに、何時間もポルノ動画を見るように。
そのあと出会い系サイトを使うようになりました。

自分の性癖に氣づいて、その話をできる相手を探していたというのもありましたが、だんだんと、自分の性的なふるまいを撮った動画を送りつけたり、動画通話でのオンラインセックスをするように。

出会い系サイトを使い始めて2カ月もすると、週に3日は、誰かしらと会い、セックスをするようになっていました。

はじめは特定の相手を探していて、相性を確かめるためと、自分に言っていましたが、そのうち、セックスの快楽を味わうためだけに会うようになっていきました。

セックスを終えてしばらくすると、またセックスをしたいとう、強烈な衝動に押されるようになっていきました。

週3日くらいだったのが、あっという間に毎日になり、1日に2~3人に…どんんどんと、セックスの内容も強い快楽を得るためのものに、どんどんエスカレートしていきました。

セックスを終えたとたん、すぐにセックスの衝動に襲われる。
ホテルから出ると、すぐにまた、相手を探す。

その繰り返しに。

こんな人とは、セックスどころか、食事だっていやだ、と思う相手とすらも関係をもつように。
とにかくセックスの快楽がないと居られなくなっていたので。セックスを終えると、自己嫌悪と自分がけがれた感覚に襲われるようになっていきました。
でも、また衝動に襲われて繰り返す。

そのころ、食事だけで、サイト出会った男性の一人が、わたしにとても好意をもってくれました。

彼とは、わたしの過去のトラウマのフラッシュバックが原因で、行き違いがおこり、ストーカーだと思い込んでしまって拒絶していたのですが。

セックス依存症による自己嫌悪が限界になり、自殺をしようと思った私は、やけになって、朝から歌舞伎町に向かい、何人かわからないくらいの相手と関係しました。

そのあと、19歳の時にレイプされた相手とセックスをして自殺未遂をした時と同じように、
ストーカーだと思い込んでいた彼と関係をして、自分に精神的なとどめを刺して自殺しようと思い、彼に電話をしました。

電話しながら泣き出した私に、彼は早まらないように言い続け、夜中の12時過ぎにも関わらず、飛んできました。
安全な場所に連れて行ってくれて、朝まで話を聞いてくれました。

性依存症が、意志の力ではどうにもできないことに理解を示し、依存症のことはよくわからないままでも、彼なりに必死で、健康的な方向に行くようにさまざまにサポートをしてくれるようになりました。

わたしも彼に好意をもち、付き合うように。
その人は、今も彼氏として、精神的なサポートをしてくれています。

そんな中だったのですが、やはり、セックスへの衝動と症状は止まることがなく…。

再発9か月目に、3日間、眠ることもできず、セックスに完全に『捕まった』状態になり、衝動に襲われ続け、止めることが出来ず、とっかえひっかえ相手を漁り続けました。

大好きになった彼がいるのに、望まない相手とのセックスが止めらない。
このままでは、本当に自殺してしまう。
そのうえ、20年近くなかった飲酒欲求に襲われました。

当時の主治医に助けを求め、依存症専門病棟のある病院に、自殺や再飲酒を避けるために一カ月の避難入院をしました。

週末、彼と会いに外出はするものの、外泊はせず、自助グループにひたすら通いました。病棟では、内観をし、ノートに書きだしました。
自分と徹底的に向き合ったのです。
おかげで、セックスへの衝動は止まりました。

そこから、3回のスリップ(再発)はありましたが、彼は理解もあり、しょうがないと受け入れてくれて、責められることはありませんでした。
おかげで今は完全に止まっています。

セックス依存症は、とくに女性の場合は、単なる淫乱とみなされたりすることが殆どで、しかも、男性に性欲の解消用として利用されます。
たしかに、依存症であるこちらも、相手を症状に利用しているわけではありますが。

出会い系サイトにある、日記やツイッター機能の投稿に、時々、女性のセックス依存症の方の投稿があります。
自分がセックス依存症で、嫌でも、セックスしてしまうこと。望まない相手との危険を伴うセックスで、メンタルが危なくなることを書いていました。

わたしはその一人と今も時々やりとりし、見守っています。
その人が、性衝動を抑えきれずに、募集をかけても、日記やツイッター機能投稿をみている男性は、だれも募集を止めるように言うことをしません。
むしろ、募集歓迎のようなことを書いていることすらあります。
ようは、ただでいくらでも、やらせてくれる相手なわけですから。

このような男性は、少数派だと思いたいです。
ああいったサイトを利用していても、きちんとした男性は大勢いますからね。

まあ、依存症だから、止められても、止めることはできませんが。
女性は、セックスは必然的に受け身のため、心身ともにダイレクトに傷つくことが多いのです。

望まない妊娠、レイプ、性感染症など。そして深い心の傷。

そういったことに、苦しんでいても、依存症の中でも最も偏見の強いこの性依存症の場合、ひとに話すことが出来ず、病気だということもわからず、苦しんでいる女性が表面化することは少ないのです。

わたしの経験が、一人でも多くの、セックス依存症もしくは性依存症で、苦しむ女性や性被害者男性、ほかの性の方の役に立てばと思います。
















サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す