はじめまして。自己紹介いたします。

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コラム
摂食障害や依存症から回復したい。

でも、自分との向き合いが辛くてできない。向き合うと悪化してしまった。
そんな、心の傷が深い繊細さんでも安心して取り組める、辛い深堀をしない、簡単かつシンプルな方法をお伝えしています。

依存症・摂食障害当事者カウンセラーのMICHIRUです。

摂食障害、アルコール依存症、性依存症、買い物依存症、共依存、インターネット依存症、の多重依存症(クロスアディクション)からの回復者です。


発達障害(ADHD/ASD 医師の診断あり)の当事者でもあります。

摂食障害(過食嘔吐・非嘔吐過食・下剤乱用)卒業から15年

断酒歴20年以上。

自助グループ歴20年以上。


アルコール、摂食障害、性依存症、買い物依存症、共依存、ACの自助グループに参加してきました。

各自助グループで、自分を徹底的に掘り下げて、人間関係回復でリアルで実践をする、
回復プログラムを長年行ってきました。

20年以上、自助グループ内で自ら回復に取り組みつつ

個人的にも、何十人、何百人の話を聴き続け

ワークのサポートやアドバイス等の、

ピアカウンセリングをしつづけてきました。



座学のみではない、

20年以上の当事者の現場でのピア(当事者間)カウンセリングの

経験を活かしてのカウンセリングをしています。


幼少期から今までずっと、

物忘れ、一つのことに集中できないか集中しすぎる、

空気読めない、

時間のがコントロールができない、

時間に間に合わない、朝起きれない、

片付けられない、

ガールズトークできない、

しょっちゅうつまずいたりぶつかる、

続き物は大人買い、衝動買い、

休憩を挟めない、

過集中のあと倒れる、

常識が分からないetc…。



これらで、一般世間になじむのにとても苦労しました。



東京生まれの東京育ち。

都内ではなく23区に近い都下で生まれ育ちました。



幼稚園の時から既に朝起きるのは苦手。

ほとんど毎日稚園バスに間に合わず、母に自転車で送って貰っていました。



休み時間が終わって 、お遊戯の時間になっても教室に戻らず、

1人で園庭の端で草をいじったりして遊んでいました。

母と出かける時は、道を先にどんどん行って、しょっちゅう迷子になりました。


裕福な家庭で育ちました。

父親は会社経営者、母親は元教師。その長女。

祖父母や親せき、兄弟は会社経営者・工学博士・医師・薬剤師・大学教授など、みな高学歴でした。

両親もともに裕福な家庭で育っています。

自宅兼会社事務所の広い庭のある古い家で子ども時代を過ごしました。

庭の大きなケヤキの木と特大の藤の木が大好きでよく話しかけていました。



しょっちゅう登って、木の上でくつろいでいました。

いまでいう地域猫が10匹以上、つねに庭やベランダに住んでいました。

木や猫たちといると癒されました。



そんな中で問題飲酒者の父親からの身体的虐待、精神的虐待、

母親の過干渉がありました。



小学校では1年生から6年生まで6年間いじめられ続けました。

友達をまきこむことを恐れて、自ら遠ざけ、4年生の時に自殺未遂。

チック症になり、小児精神科に通院していました。

その時から精神薬を飲み始めました。


中学校にはいり、1年生終わりごろ(13歳)から摂食障害、アルコール依存症を発症。

始まりは、小学校で、また、いじめられないかといつも緊張していて、帰りにいつも家の近所の駄菓子屋さんでお菓子を買って食べることでほっとする。

そこで緊張を解いて帰る。

家では、父が暴力を奮っていましたから、家も戦場でした。

その、ほっとする時間が凄く大切だった氣がします。


中学生になる頃は、10個のチョコがけの甘食を毎日買って自室に篭って食べるようになりました。


そこから、台所や冷蔵庫のものを手当り次第に食べるようになりました。

夜には父の酒を盗んで飲むようになりました。


食べる量が増えていき、2年生になる頃には164cmで70キロ近い体重に。

制服が着れなくなり、母からの『制服が勿体ない』の一言がきっかけで吐くように。


そこから、毎日何回も食べ吐きをして、毎晩意識を失うまで酒を飲みました。

学校には二日酔いで通っていました。

友達は出来ても、いじめの後遺症で、心を開いて接することができませんでした。

いつも強い孤独感の中にいました。


高校受験も二日酔い。

その頃は、食べると吐かずには居られず、下を向くだけで吐くようになりました。

高校に進学後は、二日酔いと食べ吐きの疲れで、朝から通学するのが困難に。

単位制だったために卒業はすることはできましたが、仮進級になったこともありました。

高校生時は、胃に食べたものを置いておけず、食べるとすぐに吐く。

体重はどんどん減り、50キロを切り始めました。

心を開ける友達はおらず、学校でも食べ吐き。

自分の本心がわからなくなってました。

当時の唯一の友達で親友に、「本心を話して欲しい」と言われたとき、「話してるよ」と言ってました。


二日酔いで大学受験。すべて落ちて医療系の専門学校に入学。

学校でも食べ吐きは相変わらず。

164cm体重47キロ。でも、ウエストが68cm。

まだまだ太ってる。恥ずかしい。何とか痩せたい。と思ってました。

当時の僅かな写真を見ると、Tシャツ短パンから出てる腕や脚はガリガリでした。

入学半年目に手の振戦(禁断症状)を発症。

親に相談してアルコール専門病棟のある精神科へ

18歳でアルコール依存症、摂食障害(当時は思春期食欲不振症)の診断を受けました。

そのまま初回の入院。

入院中、ものすごく噛んで、少しづつ飲み込み、胃に食べ物を置いて置く練習をひたすらしましたが、やはり反射的に吐くことが多かったです。


退院したら、また元の食べ吐きに。

お酒を止めるつもりは全くなくて、飲み方は更にひどくなっていきました。




退院後まもなく、セックス依存症を発症。

職場の人からのレイプが発症のきっかけでした。



お酒とセックスはセットでした。

酔っぱらってくると、セックスをしないではいられなくなりました。


発症からほぼ1年後にセックス依存症がらみの自殺未遂で再入院。

そこから、非嘔吐過食に。どんどん太っていきました。セックス依存症は止まりました。



退院後調理師学校に入学。

21歳の時に調理師の資格を取得。

すぐにパート就職しましたが、酒がらみの事故でけがをして、長期仕事を休みました。

資格取得1年半後に、希死念慮から再度入院。

退院後は、ほとんど仕事に就くことができず、

精神科病院のデイケアに酒を飲みながら通っていました。


この頃が、1番太っていた時です。体重が90キロオーバーでした。

当時の唯一の写真の顔はアンパンマンのようにパンパンで、目は死んでます。

隣に写る40代のバーのチーママさんとほとんど同じ歳くらいに見えます。



23歳の時にACの問題に氣づき、AC問題のクリニックに転院。

すべて親のせいでこうなったと、両親を恨んでいました。



その頃に就いた居酒屋のアルバイトは長期続きましたが、

酒を止めることも、過食嘔吐を止めることもできず、

毎日二日酔いで出勤し、周りからは白い目で見られていました。



仕事に依存していたため、朝から深夜まで毎日、月に1・2日の休みだけで働きづめにしていました。

仕事中に飲むことや過食嘔吐をすることははありませんでしたが、仕事中はほとんど食べなくなりました。



仕事が終わると、行きつけのバーや居酒屋へ。

飲むと過食欲求のスイッチが入るので、深夜の閉店まで飲んだあと、



食べたくてたまらず、帰りにラーメンで大量に食べて吐く。

その帰りに、コンビニで酒や食べ物を大量に入手して帰る。

帰宅後部屋で更に飲んで食べて吐く。

そんなことの繰り返しでした。


何のために生きているのかわかりませんでした。

誰にも心を開けす、友達も全くいなくて、実家住まいでも孤独でした。

完全に孤立していました。


ただひたすら、酒と食べ物代のためだけに働いていました。

ただの惰性で生きていました。

常に絶望感の中にいて、でも死にたくても、自殺する勇気もありませんでした。



27歳の時、替わったばかりの主治医にこのまま酒を飲み続けたら30歳までに死ぬと言われて、

やっとお酒を手放すことを決意。はじめて死にたくないことに氣づいたときでした。

アルコール専門病院の入院2日前に断酒。

いまでも、なぜ酒が止まったのかは説明できません。

入院中に自助グループにつながりそこから今現在まで断酒継続。


自助グループにつながりながらも、摂食障害や他の依存症はなかなか止まらず。

自助グループの仲間との比較と、強い劣等感、無価値感で苦しみました。



お酒が止まっても、

時間のコントロールが効かない、

時間に間に合わない


頭の中がごちゃごちゃして、砂嵐が鳴っている。物事の集中ができない



同時進行ができない

物忘れが激しい

片づけができないなど、



調べていくうちに、発達障害、ADHDという概念に行きつきました。

30歳の時にADHDの診断を受けます。



この頃、薬に頼らないために学びはじめて、英国IFPA認定アロマセラピスト、

英国IRA認定リフレクソロジストの資格を取りましたが、

過食嘔吐で更新のために必要な経験や学びができず1年しか資格の維持が出来ませんでした。

その間に仕事にもつきました。

 食べ吐きが酷くなり、2年続いた自然食品店の仕事を辞めざるをえなくなり来た。


摂食障害の自助グループに通い、プログラムやフードプランを死にものぐるいでやりました。

それでも止まることがなく、1番酷い時は3ヶ月以上、スーパー、コンビニと自分の部屋とトイレの行き来しか出来なくなり、

『助けて!誰か止めて!』と泣きながら、トイレに食べ物と大量の水を持ち込んで、一日中食べ吐きをしていました。


断酒8年目に自助グループで出会った仲間と結婚しました。

結婚する少し前に、元夫へ依存することによって、食べ吐きが止まりました。

しかし、約10年で離婚。

共依存に陥り、元夫にNOや本心を言えなかったことが、大きな原因となって破綻しました。

結婚している間、断酒15年過ぎに鬱や買い物依存症などで入退院を繰り返ししました。

42歳の時にADHDでは説明できないコミュニケーションやこだわりの問題があり、転院したクリニックで再検査。

ASDの診断を受けました。



離婚の少し前あたりから、お酒と同時に止まっていたセックス依存症を再発。

セックス依存症が悪化していき、止められなくなって行きました。

一日中セックスをしないと居られなくなりました。

望まない相手とのセックスで、どんどんと自分が汚れて行く感じがして、嫌になり、許せなくなっていきました。

死にたい氣もちも出るようになりました。



性依存症の自助グループにも必死で通い、プログラムに取り組むも、止まらず。

日本の自助グループでは唯一と思われる、

わたしの持つ依存症全てに対処できる、

サポートの仲間に

「わたしにはこれ以上はあなたの手助けはもう無理です」

と、サポートを手放されました。


絶望し、目の前が真っ暗に。回復の道が閉ざされた、と。

そして、自殺未遂。

セックス依存症再発9カ月目でした。

そして、依存症専門病棟へ入院。



そのあと、改めて自助グループのプログラムに取り組みつつ、

様々なスピリチュアルのワーク自己啓発、心理学などを学び、実践していきました。


でも、なかなかうまく行かず行き詰ったときに、今の方法をもつメンターにたどり着きました。

今の方法を始めて、やっと、自分軸を確立し始められて、摂食障害・依存症から抜け出すことができました。

10代始めに依存症を最初に発症して、

ここまで35年かかりました。



2020年から全身の痛みを発症。西洋医療では原因不明。精神薬が原因と思い、断薬と再服薬を繰り返す。

2021年春ごろ、子どもの時から40年近く飲み続けた精神薬を完全断薬できました。

2022年春 当事者カウンセラーとして活動開始。


今現在、自助グループ参加を継続しながら、持ち前の過集中能力を活かして、

様々なセミナーや講座、オンラインサロン、YouTube、本などからスピリチュアル全般や自己啓発、心理学などの知識を学び、実践中。


摂食障害・依存症サポートサービス以外に、
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