「人間が行う本来のコーチングとは!💜」🎾⚔️🏓⛳🏊😎😍

記事
コラム
💎日本のコーチ陣の反省及び心理学の必要性!
我が国のスポーツ界につきものなのは、
がむしゃらに練習して選手を痛めつけ時には暴力まがいの制裁や仕置きです。
こうしたことが「スポーツは苦しいもの」「スポーツは青少年を鍛える場」
といったイメージを作り出し、世間でもそれを当然のことのように思い込むようになってきてしまったのです。
そして、「しごく」という言葉が日常語の中に登場をして
「しごき」を看板にする社員教育請負会社まで出現する時代になったのです。
幾分、現在は変化している感はありますが!
私の幼少の頃は、巨人の星がもてはやされていた時代でした。
スポーツは好きでしたが、本格的にする気は起りませんでした。
この「しごき」というイメージが、幼いながらも強く感じていたからです。
スポーツの練習をみていると
コーチが選手に、上級生が下級生に「バカ」とか「アホ」と怒鳴っています。
確かに、スポーツというのは、その競技の性質上
試合や練習がいったん始まってしまうとその途中でとっさの判断が要求され
プレー中にその都度選手全員が集まって、次はどうしようかと民主的に
話し合うといった時間的余裕がないことが多いのです。
そのために、つい上から下へと命令が飛び注意がなされることが多いのです。
それはある程度やむを得ないことなのです。
ただ、うっかりするとそれが閉鎖的なスポーツ界特有のタテの人間関係と結びつき、きわめてハードな集団組織を築きあげてしまっています。
それはもはやスポーツ自体とはなんら関係のないぞっとするような厳しさであり、その厳しさをテレビや漫画が素晴らしいことであるかのように賛美し
またそれを求めて親が多くの子供をそうしたプログラムに送り出し
青少年たちが自ら望んで参加している事実があります。
なぜこうした人間関係が生まれてくるのでしょうか?
なぜコーチや上級生が練習とか規律といった美名のもとに
不必要に圧迫するのでしょうか?
ある人はそれを「自由からの逃避」のメカニズムとして
厳しさの中で陶酔に似たような感情に浸っていると説明するかもしれません。
あるいは、日本の学生スポーツ界では、ほとんどの場合、
上級生が下級生を指導しなくてはならないというコーチ不在の実情が
上級生を権力者の座に追いやってしまっているからです。
上級生が競技の知識と技術にまさり、しかも卓越した指導力を持っていればいいが、いつも都合よくそんな上級生ばかりがいるわけではありません。
下級生を納得させることのできる知識と指導方法を持ち合わせない人間は、
自らの無知と未熟さをカムフラージュするために、上級生という「権力」にたよって野蛮な指導法に頼らざる負えないのです。
これは、上級生に限らず、コーチでも、上司でも、あらゆる指導者についても
同じことが言えます。
何をどうしどうしたらいいのか?その具体的な方法がわからないと
力でもって押さえつけ、怒鳴りつけ、雷をおとすことにより
自分の指導者としての無力さを隠そうとする行為なのです。
こうした誤った厳しさが、求道とか修行といった伝統と結びつき
外からついても内からついても少々のことでは変わらないスポーツ集団という
一種のサブ・カルチャーを作り出しているのです。
礼儀も秩序も大切です。
しかし、同時にチームの運営やプレーについてお互いの意見を交換し得るような雰囲気と融通性がなくては、人格の形成どころか相互の信頼も親しみも
生まれてきません。こうした問題を解決しなくては
いくら能力をもち技術的に優れた選手を作りだすことはできても
社会的に優れたまた成熟した人間を社会に送り出すことは難しい。
その意味からも、監督やコーチと呼ばれる指導者の果たすべき役割と責任は
実に大きいのです。
監督やコーチが知識と技術を具体的にわかりやすく、
選手のレベルに応じて教え、選手に暖かく接するのを見て
上級生は、下級生を親切に正しく教えることができるようになるのではないでしょうか。
人間、監督、コーチ、上司、教師という他人の上に立つ立場に置かれた途端
私たちは、選手、部下、学生を一人で引っ張ってゆかなくてはならないといった使命感のようなものにとりつかれてしまうのです。
こうした指導的役割の名称が、何か「偉い人」「権力を持った人」という
イメージをあたえるのでしょうか?
「頑張れ、頑張れ」とただがむしゃらに走らせ、小突き回すコーチがいかに
多いことか!
部下を怒鳴りつけ、命令とノルマばかり課する上司が横行しています。
学生の気持ちや反応などまったく無視して、とうとうと自分の意見だけを
語る教師がたくさん存在します。
どうして、私たちは、指導者になったとたんにかつての自分を忘れ、
上から押さえつける人間になるのでしょう。
周囲の人も指導者にそうした権限をゆだねているかのようです。
だがうっかりすると、「監督」とか「課長」あるいは「先生」
と呼ばれているうちに、
自分のなかに途方もない力があるかのような錯覚に陥ってしまうのでは
ないでしょうか⁈
それほどでないにしろ、指導的立場に置かれると
「彼らはまだ何も知らないんだ、俺が教えてやらなくては!」と
いった気持ちになってしまうのです。
このために、相手の意見や気持ちを無視しがちになるのです。
日本のスポーツ界、特に大学の体育会というのは、きわめて封建的な
雰囲気です。
練習後、上級生が下級生をグラウンドの上に正座させ、
「気合が入っていない、声が出ていない」と怒鳴りつけています。
下級生は、先輩たちの言う事をただ黙々として
まったく思考力がないかのように「ハイ、ハイ」と声を合わせて
唱和をしているだけなのです。
おそらく下級生は、早く解放されたい一心で機械的に返事をしていると
感じています。
ところが、こうした表面的な服従の背後には、
怒りと不満が隠されています。
その理由の大半は、先輩たちが、選手たちが何を考え、
どうすればいいと思っているかに耳を傾けず、彼らが
何を感じているのかをくみ取ろうとしない事への怒りなのです。
コーチングというのは、教えることです。
コーチは先生でなくてはなりません。
わかりにくい教え方をする先生は教師としては、落第です。
相手と話し合い、理解し合うという態度がなければ失格です。
ところが多くのチームでは、コーチと称する先輩がたまにやってきて
その日の気分で「ああしろ、こうしろ」と命令します。
スポーツも勉強も同じです。
相手のレベル、選手の進歩の度合いに応じて
教えてほしいものです。
たまにしかくることができないコーチは、
指導する前に十分に選手たちと話し合い打ち合わせをしなくてはなりません。
打ち合わせと計画のないコーチングは、選手を上達させるよりも混乱に
陥れることの方が多いのです。
野球の選手の契約金と給料は、コーチの何倍もするそうです。
だからその腹いせに、コーチが選手をしごいているかのよう。
しかし、どうすればむずかしいボールを受け取ることができるか?
ボールをとらえることができなかったのはどこが悪いのか?
どうやればそれを改善できるのかということは一言も説明がなされなかった
事が不思議な点なのです。
そして、「ナイスキャッチ」とか「よかった」と声をかけてやると
随分と励みになるはずなのですが.....!
このチームは暗いなあという印象。
やはり最下位になり監督、コーチもチームからいなくなりました。
コーチに限らず、上司とか教師というのは、選手、部下、学生の
悪い所ばかりに目が行き、いい所はなかなか気づかないのです。
気づいても「ちゃんとやって当たり前」「やって当然」という
気持ちになってしまうのです。
したがって、ガミガミ言うのが常になるのです。
選手の方はガミガミ言われるのが嫌だから一生懸命にするようになるのです。
そうすると指導者は、雷の効果があったと思うのでまた怒るようになるのです。こういうコーチのやり方がほとんどなのです。
コーチの座に就くと選手のミスを見つけて怒鳴り散らします。
それは注意というよりも言葉の暴力というべきものです。
人間でも動物でも何度か不快な目に合うとそうした不快な状態が来そうだというちょっとした刺激がくるとそういう目に合わない前に逃げようとする。
このことを心理学では、回避学習と読んでいます。
選手は試合の為の道具ではありません。
選手が上手になるには、本人の進歩に応じた具体的な指導、楽しいのびのび
とした雰囲気、コーチと選手との間の信頼関係がなくてはなりません
コーチングの仕方を大別すると二つに分けることができます。
第一のタイプは、選手の個性を尊重、各人の持ち味なり特徴を生かすために
あまりフォームを治そうとしないコーチ、
基本のポイントは教える、うまくいかない時にはそのやり方を矯正するが
あくまでも最小限の範囲にとどめておこうとするのです。
もうひとつのタイプは、微に入り細に入り説明をして
選手を自分の考える理想のフォームに作り上げようとするタイプです。
アメリカには、前者のタイプが多く、日本には後者が多い気がします。
その時、一番大切な事を一つ指摘して、それをまず身につけさせることが
指導者の大切な役目なのです。
我が国のスポーツ指導のほとんどは、最近ではボランティアと呼ばれる
無給のスポーツ愛好家によって支えられています。
コーチを職業にしていたとしても、一般の企業に勤めている人と
比較すればその収入は限られています。
将来の生活は不安定なものです。
それにもかかわらずなぜ多くの人が喜んでスポーツの指導をするのでしょう。
若いころにスポーツをして楽しかったという思い出、
指導をしていると自分も青春時代に戻ったような気になれるからかもしれない。大勢の人を自分の指図で思うがままに動かせることに
ひそかな喜びを味わっているのでしょうか⁈
スポーツのコーチ、会社の上司、学校の教師など、人の上に立つときに
われわれは、自分の力を示すという満足感に浸っていないだろうか⁈
選手たちを指導しているとコーチの頭の中には様々な考えや気持ちが
わいてきます。それは好意、喜び、楽しみといった肯定的なものもあれば
怒り、憎しみ、悔しさといった否定的なものもあります。
コーチも人間である以上それは当然のことなのです。
コーチは、選手を自分の個人的な満足のために利用していないか
自分の寂しさを紛らわすために選手をかわいがり
自分の自信の無さを忘れようとするかのように選手を押さえ
自分の不安を振り払うために怒鳴り散らしている可能性があることに
注意しなくてはなりません。
選手の失敗に腹を立てる時、それは、案外自分もそれと同じような
ミスを選手時代に冒していたかもしれないという事。
したがって選手の下手なプレーをみると
昔の自分の無用な姿が目に浮かんで自己嫌悪に陥りそうになるので
選手を叱り飛ばしているのかもしれない。
どうやって教えていいのかがかわからない。
コーチとしての自分の未熟さを認めるのが怖いから怒鳴っているのかもしれない。自分の果たせなかった夢を選手に託したのに
その願望を達成してもらえなかった怒りがこみあげてきていることもあります。こうして自分でも気づかないうちに、
自分の気持ちや願いだけではなく自分の心の中に
湧き上がってくる不安や攻撃性といったものが、いつのまにか
形を変えて表面に出てくるのです。
こうした自分の心の動きをとらえることは非常に難しいことなのですが
指導者になり大勢の選手を預かった以上「汝自信を知る」ことが要求される
事は当然なのです。
選手である限り、練習や試合の時にはコーチの指示に従わなくてはなりません。これは、会社に勤めたならば、社員である限り上司の命令に背くことは
できないのと同じです。
コーチや上司の力は絶対です。
クタクタになるまでやれば、精神力が付き、疲れた時に頑張ることが上達に繋がるというのが、昔から我が国のスポーツ界に伝えられてきた信仰のようなものです。耐久力をつけるにはこの方法はいいかもしれません。
しかし、正しいあり方、きちんとした走るフォームを身に着けさせるためには
過度の疲労は禁物です。
正しい動きを身に着けさせるためには、疲労の少ない心身のフレッシュなうちにそれを教えるべきです。
何を身につけさせたいか、何を教えたいかによって練習の方法が変わってくるのは当然。
選手が一生懸命にやらないから、正しい動きをしなかった
といって「もう一回」と罰を課すのならば、
その練習が始まる前に、まず何をどうやってほしいかを具体的に教え
そのうえで「罰のルール」を説明をしておかなければなりません。
「全力疾走」を怠った時には「もう一回やり直し」と言っておくか
少なくともやり直し前にどこが悪かったかを伝えれば
選手は納得をするし、改善しやすくなるのです。
もう一回、もう一回とエキストラの練習が増えるたびに疲労はたかまり
かえってうまくいきません。
クタクタになったところで解散。
ところが、クタクタになったときには、最初に悪い所がみつかったより
もっとくずれたフォームで走ったりあたったりしている方が多いのです。
頑張れ頑張れだけでは選手の足は速くなりません。
「コーチは厳しいだけではいけない。
練習には楽しさが必要であり、コーチにはユーモアとか選手をくすぐる
といったところが必要」です。人間的で温かい側面があるという事も必要な事です。
選手はいろんなことを知っているものです。
バスの中や電車の中で彼らのよく知っていることについて尋ねて
その話を一生懸命に聞く。
どんな人間でも誰かが自分の話に耳を傾けてくれればうれしいものです。
はにかみ屋なので直接自分の心の中の気持ちを話すことができないのです。
しかし、離さないと悪いという思いが
誰かをつかまえて訴えさせたのではないでしょうか。
他人の気持ちがわかる人という事です。
「やる気」の高い子供の親は「やる気」の低い子供の親より
高い要求水準を言うことが多いのです。
子供の積み木遊びで、手を貸してはいけないが
言葉ならいくら手伝ってもいいというと
「やる気」の高い子供の親は、怒ったり叱ったりせずに
励ます事が多いのです。



💎コーチングの心理学について。
・自己価値向上心が大切!
・記録をつけよう!
・聞いてもらうには!
・上手な説明とは!
・反復練習は必須!
・選手のフォームをチェックしよう!
・自分の記録へのチャレンジをすること!
・汝自信を知ること!
・選手にとってはすべてが刺激であること!
・具体的な指示をすること!
・効果の測定をすること!
・少しの進歩でも褒めること!
・複雑な動きは分解すること!
・情況判断必要!
・よくないプレーを減らすこと!
・伝家の宝刀を抜くときは!
・ペナルティーを科す前に!
・選手の気持ちを大切に!
・選手の目標の設定をすること!
・コーチの目標設定をすること!
・目標達成へのフォローアップをすること!



💎やる気の条件
選手の中には、練習にとても意欲的で熱心に取り組む人がいます。
こうした選手の事を「やる気」がある人と呼びます。
もちろん、私たちは、その選手が練習するという外側にあらわれた
行動を見て言っているのですが、
その選手の内側を見れば「やる気」という内的な燃えるような動機づけが
あるのかもしれません。
こうした動機づけの概念をめぐって、昔から心理学者の論争は絶えません。
しかし、コーチにとってはそんな学問上の理論などはどうでもいいことなのです。選手が一生懸命に練習をして試合に勝てばいいからです。
やる気のある人の特徴として
①非常に高い標準を目指して挑戦をする
②自分独特のやり方を使ってそれを達成しようとする
③長期間に渡って目標に挑む
いい選手というのは、生まれつきの能力に恵まれている場合が多いのです。
しかし、いくら能力に恵まれていても一生懸命に練習しなくては上達はしません。逆に下級生の頃には、そう能力的に恵まれているとは思えない選手でも
一生懸命に努力をして練習しているうちに
能力に恵まれているが不熱心な人間
負傷や病気のために練習をしなかった選手よりもはるかに上手になることが
少なくないのです。
駆け出しのコーチの頃は、ただ「がむしゃら」にやっていたにすぎません。
そのころは、足の速い選手は、生まれつき速いのだぐらいに思っていました。
ところが、正しい走り方、きれいなフォームを教えているうちに
だんだん速く走れるようになってくるのを発見したのです。
それでも、初めはたくさん走っているうちに自然に速くなるだろうぐらいに
思っていました。
しかし、ストップウォッチでタイムを知らせてやると
選手たちの「やる気」かどうかわからないが
少しでも速く走ろう、タイムを縮めようと手を振り足を上げようと
するようになるのです。
そして、実際にタイムを測ると速くなっているのです。
やろうとする気持ちがあるからこそ、練習をし、試合に出場し仕事をするのです。しかし、その結果、失敗ばかり、負けてばかりではやろうという意欲は
なくなってしまいます。
目標には、最終的にどうなりたいかという長期的なものだけではなく
今日は何を狙おう、今週は何を達成するかという短期的なものがなくては
ならないのです。
さらに、トーナメントの第一回戦に勝つこと
隣の学校を倒すことを目標とすることがはるかに現実という事です。
人は、だれしも自分自身にプライドを持ちたいものなのですから。
「これなら勝てるぞ」という感覚がイメージできたら
持っている力をフルに発揮することができ勝ちを取りに行けます。
このイメージが起こらなければ負けを受け入れるという事になります。
その試合は、勝負には負けても、それ以後の試合に勝てるための何かをつかむ
試合にすべきという事です。これしかないはずです。


💎緊張をとり除くリラックス法
一度見に着いた不安をどうすれば取り除くことができるのでしょう。
私たちが不安を感じた時、体内でどんな反応が起こるのかを考えてみましょう?
・心臓の鼓動は速くなり
・血圧は上がり
・血液の循環は速くなり
・皮膚の表面に汗をかき
・呼吸は激しくなり
・筋肉は緊張して硬くなる。
心臓の鼓動、血圧、発汗、血液の循環は、自分の意志ではどうすることもできません。
「呼吸」ならば、深呼吸をすることにより、比較的短時間で平静の速さに戻すことができます。
「筋肉の緊張」もリラックスの練習をすることで緩めることが可能なのです。

筋肉を緩めることを身に着けることができれば
リラックスによって不安を和らげることが可能です。
つまり、筋肉のリラックスは、不安を抑える力を持っているのです。
このほかには、大声で叫んだり、歌を歌う、誰か親しい人と一緒にいることも
不安を抑える役割を果たしてくれます。


「リラックス練習」
できるだけ楽な姿勢で椅子の上に座ってもらう。
ゆったりと腰を掛け手足の力を抜き
手は大腿部の上にだらりとおく
楽な姿勢をとることができるようになったら
両手を思い切り強く握る
自分のこぶしと腕のどの部分に力が入っているか
どこに筋肉の緊張を感ずるかを言ってもらう。
筋肉が硬くなっているのを味わったら
こぶしを開いてもらい
できるだけ楽な状態で大腿部の上に置いてもらう。

こうして緊張のあと力を抜きリラックスさせることにより
緊張とリラックスの違いを経験させることができるのです。
約五秒間の緊張と二十から三十秒間のリラックスです。
こうして手の緊張とリラックスを二回します。

次に、目・口・首・肩・胸・腹・上半身・下肢・全身の
順序で二回ずつ緊張とリラックスを繰り返します。

目は五秒間、できるだけ強く固くつむり、それから
軽く目を閉じた状態に戻しリラックス状態を味わってもらいます。
口は、上と下の歯を嚙合わせる。
首は、頭をゆっくり後ろに倒す。
肩は、両肩を上にあげて緊張させる。
胸は、胸いっぱいに空気を吸い込み、息を約五秒間止めて
息を吐き出します。
次に、お腹に力を入れて出っ張らせる。
お腹に力を入れて引っ込ませる。
両手を上にあげて上半身をできるだけ伸ばしながら後ろにそらせる。
足を空中にあげ、つま先を床に向かって下げる。
逆に爪先を自分の身体の上に向かってあげさせる。
最後に、思い切り手足を伸ばして、全身を椅子の上で反り返らせる。

以上の運動を緊張とリラックスとを二回ずつすることにより
十五分ぐらいで全身を楽な状態に持っていくことができます。
リラックスをするにも練習また練習です。
毎日一回か二回やることでいざ本番の時に役に立つという事です。


💎コーチングの内容
・基礎体力をつけるために、バーベルを上げたり
ランニングをするならばまずバーベルを何キロ上げることができるか
四十ヤードを何秒で走るかを測っておいて
一か月なり二か月ごとに何キロのバーベルを上げられるのか
四十ヤードを何秒で走るかを測ればその進歩がわかるし
選手にとってもそうした記録はおおいに励みになります。

・選手に説明するときは、ただどうすればいいのかを言うだけではだめです。
まず「どんな場合にどんな目的でどういう理由でその動きを
そのプレーをするのかを話しなくてはなりません。」
人間は動物とは違います。
ただ機械的にわけもわからずやるよりも、”なぜやるのか”を
わかっている方が、のみこみも早いしやろうという意欲もわくのです。

・スポーツや勉強をしているうちに「うまくやれた」「よくできた」
という満足感を味わった人は、自らに対して自負心を持つようになります。
そうなれば、スポーツでも勉強でも他人からやれと言われなくても
自ら取り組むようになるのです。

・子供にとって有難い親というのは、痛い所に手が届くような
世話を次々にする親ではなく、
子供が何かをやろうとするときには、そのチャンスを与え
きっとできるだろうと信頼して見守り、子供が助けを求めた時には、
惜しみなく手を貸す親という事です。
こうした暖かい配慮があってこそ、子供は自立することができるという事です。

・コーチが選手の力を信じて、達成可能な範囲である程度高い目標
を掲げることが必要です。
だがいくら努力してもとても到達できないような目標は無意味。
しかし、ある程度高い目標を与えないと、選手に対して
「お前なんか、いくら練習してもどうせダメだ」と言っているのと同じ。
コーチがダメだと思い、見放した選手はなかなか立ち直らすことはできません。要求水準が高いという事は、「君の可能性を信じている」と言っているのと同じなのです。
それが、選手にとっては、大きな支えであり、励ましになるのです。

・リーダーシップという言葉ほど不可解な言葉はないと思っています。
監督やコーチ、あるいはキャプテンと呼ばれる「リーダー」たちの
人柄や性格のようにも考えられるし
どうやってチームの人たちをひっぱってゆくかという
一種の人間関係的な技法のようにも思われます。
性格を変えることは難しいものです。
性格のすべては変えられなくても、その一部
特にどう考えるか、どう感ずるかといったちょっとした
物の味方や気持ちの持ち方ならば十分に変えることができると思っています。
また、リーダーシップが技術的な面をもっているとするならば
それは訓練や練習によって身に着けることができるのではないでしょうか!
努力すれば達成できる、そして、成功したいという気持ちを味わう事ができる
目標を選ぶことがリーダーの役割の一つではないでしょうか?
何も勝つことだけではないはずです。
例えば、ボールの握り方、手首の返し方とか、区切って教えれば
少なくともその中の一つぐらいはちょっとでも目標に近づき
上手になったという気持ちを持たすことができるはずです。
そうした選手の小さな進歩とそれから生まれる自身が
指導者としてのコーチの喜びと自信にもつながっていくのではないでしょうか
自分の持っているノウハウが生かせたというのは、
コーチ冥利に尽きるというものでしょう。

・コーチングの目的は、
選手に新しい動きを身に着けさせること
一度身に着けた動きをそのまま持続させることだと思います。
選手が何かを覚えるまでは一生懸命教えるが、
一度できるようになった途端に
「もうやれるようになったのだから君たちがやるだけだ」と
選手任せになりがちです。
そして、上手にやれないと腹をたてて、怒鳴ったり、叱ったりしがちです。
初心者のときだけだはなく、選手が経験をつんでからも
いいプレーをすればその選手の熟練のレベルに応じて
誉めるとかタイムを知らせるといったフィードバックが大切なのです。

・選手の自己価値向上心を高めることにあります。
「試してみよう」という言葉とその内容がポイントです。
選手自身が行使した内容が自身に「的を得ていた」という気持ちに
させたときです。
選手を困難な状況に立たせそれらの克服に応じて自信が高まるという事です。
そして、その中で選手を認めることを忘れてはいけないという事です。
「OK!」「上出来!」こうした言葉に選手は反応をして
自分自身がなしたことに対して喜びを感じるのです。
できるだけ小さな課題を与えるようにする事です。
動作全体を複数に分けて、分けた個々の局面のみを強調するようにすることが
適切なやり方です。

・コーチと選手の間の人間関係は、きわめて相互的なものです。
選手がコーチを信頼して、一生懸命にプレーをさせようとするならば
まずコーチが選手に対して一生懸命に指導をしなくてはなりません。
常に選手の動向を見れること、把握できていること、考えていることが肝要。
人間関係においては、相手に与えたものが自らに返ってきます。
相手に親切にすれば親切が、冷淡には冷淡が戻ってきます。

・私たち人間というのは、
一度に一つのことにしか集中できないのです。
故に、選手にとって一番大切なこと、一つだけを注意し
それに集中させることが重要なコーチングポイントです。
言葉によるコーチングが適さないと思った時には、
デモンストレーションによる視覚に訴える方が賢明なコーチングです。

・水泳教室に通ってくる子供の大部分は
コーチから水泳のレッスンを受けるよりも、
勝手に泳ぎ回る自由水泳の時間の方が好きであるし、
レッスンがない時は、水の中で遊んでいる。
したがって、
子供が、その日の課題の技術を身につけたら、あるいは
その日の目標の距離を泳いだら、
自由水泳にするといった具合にすれば、自由水泳を効果策として
使えるはずです。

・選手が練習を始める前に、
目的と注意点を説明して、どうするかをデモンストレーションして見せて、
いざ始めたならば言葉で注意すべきポイントを言ったり、
ゼスチャーで指示したり、うまくやれたらそれを言ってやることです。
選手はコーチの熱意に促されて一生懸命にするはずです。
選手がハッスルしてやることにより
コーチは自分が大声で指示したり、声援を送ったり、誉める努力が報いられるのです。

・声を出すことなく、頭の中で考えたこと感じたことを長時間にわたり
発揮して戦う事を教える。(暗黙知)
これには、たくさんの経験を積む必要があることも教える。

・試合に勝つためには、試合に勝つ力を構築しなければなりません。
その試合に勝つ力とは、
「哲学、思想、使命感、感謝の心、
戦略、戦術、テクニック、メンタル、フィジカル、置かれている環境」
などです。
その一つ一つが微妙に重なり合って作られることを教える必要があります。


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