先日、母親からこんな話を聞かされました。
「教師をやっていたときは、実家に帰ってきてもいつも疲れた顔をして、みんなで集まってもずっとソファに寝転がっていたね。実家に帰って来ると、甘えが出るのかなと思っていたけど、心まで疲れ切っていたんだね」
小学校、中学校と合計11年間の勤務をさせていただきました。
生徒の成長のためならと、自分の心身状態を顧みず、自分の家族に心配をかけ続けていたことを改めて思い知らされました。
張り詰めていた心の糸が、プツンと音を立てて切れるのにそんなに時間はかかりませんでした。
自分にとって大切なことってなんだろう。
自分にとって大切な人って誰だろう。
心の声が頭に日々こだまするようになり、いつしか無視できない程に大きくなっているのを感じました。
自分の人生の舵取りを自分でしたい。
一回しかない人生、思いっきり「理想」を追いかけたい。
無謀にも、安定した人生が担保されていた教員という立場を35歳で辞し、恥も外聞もなく新たな挑戦に踏み切ったアホな男、どうも私です!
今日は、同じように人生の岐路に立ち、どちらに進もうか迷っている方に、「そうだよアホだよ〜」とパークマンサーばりに勇気を与えられればと思いたち、青臭い人生譚をお送りいたします。
今、こうしてオンライン英語学習支援サービスを始めるに至るまでの道のりを、改めてしっぽりと書いていきたいと思います。
教師になったきっかけ
私、昔バンドを組んでいたんです。
恥ずかしいから言いたくないんですけど、本気でプロを目指していました。アホだなあ。
100人を超えるお客さんの前で演奏させていただいたこともあるんですけど、やっぱり甘くはなかったです。
私、才能なかったんです
で、22歳にして夢破れて実家に帰るわけですよ。んで当然、働かなきゃいけないじゃないですか。
でもそのときは、「自分は何者でもない」っていう現実の厳しさを嫌というほど味わったので「やりたいこと」を仕事にしようなんて思ってもなかったんですね。
「とにかく働いてお金を稼がなきゃ!迷惑かけた実家に少しでもお金を入れなきゃ!誰でもいいからオイラを雇っておくれ!」ってな具合で新聞の求人に掲載されているところに片っ端から履歴書送りました。
不動産、工場、塾講師、スーパー。働かせていただければどこでもよかったんです。
んで一番早く連絡いただけたのが「教育委員会」だったんです。
(今でも本当に本当に感謝しています、こんな私を…)
連絡をいただいた翌日には、面接、学校への挨拶、初日の勤務日の確認と、トントン拍子に話が進んでいったわけです。
(ほら、教員って常に人手不足だから)
んで、10月という中途半端な時期にも関わらず臨時教員として雇っていただいた私は、少しずつ業務にも慣れていく中で今の妻に出会い、一目惚れ。
「誰かに奪われる前に玉砕してやるぜい!」とすぐ告白。承諾される。付き合う。
(妻もなかなかクレイジー)
結婚したいけど「臨時」って立場はうまくないよなあと思い、採用試験を受ける。受かる。プロポーズする。結婚する。
(おかげさまで、ちょっとだけ自己肯定感が回復しました)
そして、晴れて60歳の定年までたくさんの教え子に囲まれながら、それなりに幸せに暮らしましたとさ。
ってなるはずだったんです。教員になった当初は。
教師を辞めた理由
私なりに情熱を燃やし目の前の生徒のために尽くしてきたつもりでした。
でも、同時に魂も燃えちゃってたんですね。
英語の授業はとても楽しかったんですけど、どうにもこうにも「学校」という枠組みや「教科書」っていう縛りや「入試」っていう制度と、「学び」っていう概念がマッチしなかったんですよね、私の場合。
もちろん、「テスト」とか「入試」っていう目標にコミットしてる生徒とか、そもそも英語大好きだぜウヒョー!っていう生徒とかはいいんですよ。私がどんなに未熟でも勝手に英語勉強するから。
だけど、「勉強嫌いです、無理です、テストとかトイレに流してポイします」みたいな生徒もいるじゃないですか。彼らに授業するのが申し訳なくて…。
あんたの人生やで、好きなことに心と時間を全力で捧げなはれや!
って言いたかったけど、それって「英語なんか勉強しなくてええんやで」って言ってるみたいで、ちょっと立場的に言えんかったんですよね。
(ちょいちょい漏れてたと思いますが…職務全うせず本当にごめんなさい)
で、「この子の貴重な時間を私みたいなしょうもないおっさんの英語の授業に付き合わせてええのやろうか…」っていう罪悪感が沸々沸々と。
そしたら、「私なんかが教師やってていいのだろうか…」ってなっちゃったんですよ。疲れてたしね。心身ともに。
葛藤
いろいろなことが多分こんがらがっちゃったんだと思います。
心身の疲れとか、理想と現実にうまく折り合いがつけられない不器用さとか、あと世界の教育を英語で学んでみたいっていう意味不明な衝動も生まれちゃって。
で、気付いたら「辞めます」って方向に心がギュイーンってなってた笑。
もうね、ここはマジで分からんです。分析不能。
本当に大好きでお世話になった先生たちに辞める決意を報告した飲み会とか「教員やべばずううううずびばぜん」みたいにめっちゃ泣きながら鼻水垂らして地獄絵図でした。優しかった大好きな先生たち。今でも飲み会に誘ってくれるから全然寂しくないけどね!
何より、妻が「辞めても大丈夫だよ」って言ってくれたのがありがたかったです。でも冷静に考えて。私35歳。おじさん。マイホームのローンあり。全然ダイジョブジャナイヨ。
(妻はやっぱりクレイジー)
やばくないですか?
急に、「アメリカの大学院でもっともっと教育の勉強したいから仕事辞める!次の仕事は未定!」とかいうわけですよ。旦那が。アホだなあ。
冷たい一瞥どころか、包丁投げられてもおかしくない。
でも、今でも応援してくれている妻や家族を見て、改めて思ったんです。
私の人生、この人たちを幸せにできなかったら死んでも死にきれない
何者でもない私が、何者かになるために絶対必要なことなんですね、これは。
で、私が世間様のお役に立てることって、結局英語しかなかったんです。
私と英語
継続すれば英語は伸びる
私、英語の先生だったんですけど、最初は「英語話せないけど雰囲気でなんとか誤魔化す英語の先生」でした。
今でも覚えているのは、ALTが新しく職場に来て他の先生方に自己紹介してたんです、英語で(そのALTは日本語が話せなかったから)。
で自己紹介が終わったあとに、教頭先生から「じゃあ英語の先生、翻訳お願いします笑」っていうフリが来たわけです。
「やばいやばいやばいマジでなに言ってるか聞き取れなかったどうしようでも英語できないことバレたくないし英語の先生なのにそんなことも分からないのかみたいに思われたくもないしどうやって切り抜けよう」
と大パニックですね。
結果、「え?あ、すみません!ぼーっとしてました!」という苦しすぎる言い訳をして逃げましたよ。今思うと、新しく来た同僚の自己紹介中にぼーっとしてる奴の方がやばいですけどね。失礼すぎる。
でもその時は「英語ができない」ってことバレたくなかったんで、咄嗟にそんな失礼な嘘ついちゃいました(ごめんよ、あのときのALT)。
また、英語の教育実習生が来たときのことなんですけど、ふと印刷室でALT(外国人の英語の先生)と教育実習生が談笑しているのが聞こえたんですよ。
私よりはるかに流暢な英語で。
もうね、こんな経験が何度かあって、先生になれたことでちょっとふわっともり返した自己肯定感が改めて地面にめり込みました。
でもそのときの私は「へへん、英語を話せるのと英語を教えるのは全然別なんだぜ!オイラは英語を教えるのさえうまかったらそれでいいんだぜ!」と超一流の自己弁護を発動させたわけですよ。
そこからは英語の力よりも教育技術とか学級経営のこととか、そういったことばかり学んでました。英語ができない自分を必死に誤魔化すために。アホだなあ。
だけど、「やっぱり英語話せない英語の先生ってやばくない?」っていう思いはずっと燻っていたんですね。
で、教師も10年目に差し掛かろうとする頃に「ちゃんと英語を勉強しなおそう」って思い立って、英検受けることにしたんです。
私、それまで英検2級しか持ってなかったんです。高校卒業レベル。先生なのに。
だから準1級から受けていくことにしたんですけど、それがまあ楽しくって。
自分が今まで目を背けていたことにしっかりと向き合って、少しずつでも問題が解決していく感覚があったんです。
もちろん必死でしたよ。働きながら、帰ったら寝る間も惜しんでひたすら勉強して。
でも努力すればするほど、ちょっとずつ英語が分かるようになっていくのが嬉しかったので大変でしたけど辛くはなかったんです。
そこからは自分でも驚くくらい力が伸びました。1年間で準1級、1級って合格できて、英語を話す力もすごい伸びている実感がありました。
その挑戦の過程の中で、自分の中である信念が固まっていきました。
「英語は毎日継続して勉強することで必ず成果が出る」
ところが、それだけではうまくいかなかったんです。TOEICね。
自己分析をすれば英語は伸びる
英検の勉強をしているときに、初めてTOEIC受けたときは880点でした。
900点は取りたいって気持ちがあったんですけど、当時「毎日継続してれば絶対英語の力は伸びる」って思ってたんで、このまま英検の勉強を続ければ自然とTOEICの点数も900点に達するだろうと信じてたんです。
その後、英検1級に合格し、教師を辞め、アメリカの大学院(オンライン)に入学することになりました。
当然、毎日英語を使って勉強していたので、TOEICの勉強なんて全くせずに人生2回目のTOEICを受けることになったんです。
「今の俺なら900点とか余裕のよっちゃんだぜ!」と調子に乗っていました。ところが、結果は870点。もうね、テストを受け終わった後から分かってたよ。絶対900点いかないこと。
そこで改めて「逃げいている自分」に気付いたんですね。
昔、「話せない」から逃げていたように、「聞き取れない」から逃げていたんです。
英検1級を受けたときも、実はリスニングは雰囲気で解いていました。完璧に問題文を理解することはできないけど、多分これ!みたいな感じで問題解いてたんですね。アホだなあ。
だからTOEICでも「なんとなくこうでしょ」って感じでリスニングを解いてたんです。でも2回目のときは本当に頭が真っ白でした。「全然聞き取れていない自分」に気付いちゃったからです。
だから改めて自己分析をちゃんとするようになったんです。自分を俯瞰して、何ができないのか、どこにモヤモヤを感じているのかを直視するようになったんです。
で3ヶ月必死に努力しました。そしたら945点取れました。成果は出たんです。ちゃんと。そこで、「英語はただ継続しているだけじゃ結果は出ない」って学びました。
「確かな自己分析のもと、学習を継続していれば英語の力は伸びる」
そう考えるようになりました。
ところが、教師を退職してから個人的にいろんな英語学習者様と関わらせていただいているうちに、「自己分析をして、毎日継続しているのに成果が出ない」って方がたくさんいることに気付きました。
そういった方々と一緒に学んでいる中で、「目指すゴール」と「手段」がズレてしまっているように感じられることが多いことに気付いたんですね。
そこで、「毎日続けている学習活動をちょっと変えてみませんか?」と提案したところ、劇的に成長していく方々がたくさんいたんです。そんな経験の中で、私自身学ばせていただいたような気がします。
英語は、自己分析と継続だけでは伸びない。
ゴールにつながる学習設計をすれば英語は伸びる
私の英語学習における現時点での黄金法則が固まりました。
確かな自己分析×ゴールにつながる学習設計×学習の継続
これらはそれぞれが密接に関係し合っています。
自己分析がなければ、学習設計は立たないし、学習設計が立たなければ、学習の継続は困難です。
現段階で、私はずば抜けて英語ができるわけでもないし、ビジネス英語に精通しているとか医療系に秀でているとか尖った能力があるわけでもないんです。
でも、学習における「分析と設計」だけは自信があったんです。
ここは、曲がりなりにも情熱と魂を燃やし続けた教員時代の経験が生きているのだと思います。
テストごとに、100人以上いる生徒の一人一人の苦手を分析してましたし、それぞれの生徒の苦手がどのような学習によって解決されるのかを設計して授業に均等に盛り込んだり、自主学習を個別に勧めたりしていました。
それぞれの生徒の夢や目標も把握してましたし、どんなことが好きなのか、どんなことに興味があるのかという情報もデータで残っています。授業では、なるべく多くの生徒の興味関心や事前知識に組み込まれやすい活動やテーマを選んでいました。
だからこそ、自分が世間様のお役に最大限立てることってなんだろうって考えた時に、
「学習分析を手伝い、ゴールにつながる学習設計を組み立て、今日一日何をすればいいのかを明確にした上で、学習の継続を後押しする」
ことだって行き着いたんです。
これが、今の私が個人で社会貢献できる支援の形だなあと思ったのです。
今はまだ、「どれくらい需要があるのか」を見極めている段階です。
だって、私ができる価値提供が他の皆様から「そんなんいらん」って言われたら、それを続ける理由はないですからね笑。
現在の状況は、個人でこれまでに50名を超える方々から相談をいただき、分析と設計をお手伝いさせていただきました。毎日の学習活動で何をすればいいのか、なぜそれをするべきなのかを共に考え、最後には私にはもったいない感謝のお言葉をいただいております。また、その中の10名ほどの学習者様から「今後の学習も手伝ってください」とおっしゃっていただいている状態です。
こうしてご縁をいただいた方々に支えられながら、私は自分も幸せになれる「価値提供」のあり方を模索することができています。
今後もより多くの方々のお役に立てることが、私の「幸せ」を形作っていくと確信しています。
英語で、人生を切り拓いていこうとする方々を心いっぱい応援していこうと思います。
最後に
もしあなたが今も英語を一生懸命勉強していて、でも結果が出ずに苦しんでいるなら
もしあなたがこれから英語を勉強しようと思い立ち、でも何から始めればいいか迷っているなら
ぜひ私に話を聞かせてください。
35歳でバカな挑戦を始めた、しょうもないおっさんに会ったら、きっとあなたは笑顔になれます!
その後に、からりと晴れた空を見て「あんなアホな人でも人生なんとかなるんだなぁ」とふと笑えたら、あなたはまた一歩踏み出せます。
英語で困っていること、迷っていることもきっと解決します。
あなたにお会いできる日を楽しみに待っています。
アホだなあ。
そうだよアホだよ〜。