田舎コンプレックス(いなコン)とは? 5

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 引き続き「田舎コンプレックス(いなコン)」についてお話します。

 特に最近、母や周りの一言がかなり引っかかりますので取り上げることにしました。

 それは、「苦しいことや困難は乗り越えなきゃだめよ。でなきゃ、どこでも通用しない」というものです。

 本人たちに悪気がないことは十二分承知です。しかし、本当にそうなのでしょうか?

 残念ながら、私は学卒後ずっと'実家の田舎暮らし'のため都内をはじめ「他地域」の情報や文化、最近の傾向に関しても全く無知です。(^-^;

 そのため、最新情報などの「よい刺激」は8割以上インターネットやSNS、一部のテレビ番組でしか仕入先がありません。

 しかし、ふたを開けてみると(Youtubeで見聞きすると)「苦しいことや困難は乗り越えなきゃだめよ。でなきゃ、どこでも通用しない」はもうそれこそ'高度経済成長期'や'バブル期'の華やかだった時代ではあり得たかもしれませんが、今現在はもうそうではありませんよね?

 それこそ、'集落根性'など'その地域'ではあり得ることですが、都内など大勢の人々が行き交うところではおそらくあり得ないと思います。

 当たり前ですが、「人間お一人お一人は全く違います」。(まれに'天然のクローン'-「一卵性の双子」の場合はほぼ'同じ'ですが、あくまでまれなケースです)

 そしてこれも当たり前ですが「ところ変われば、様変わる」ではありませんが、「周りの環境」次第で人間関係もがらりと変わります。
 当然、規模が小さなところはいわゆる「アットホーム」のような'近い人間関係'が構築されやすいですが、規模が大きくなるにつれて疎遠になりやすい'遠い人間関係'が構築されやすいです。

 そして'近い人間関係'な分、親身になって対応してもらえる一方で、「共依存」のようなべったりとした関係にも発展しやすいです。
 '遠い人間関係'な分、「見捨てられ不安」が残りそうですが、人によっては'適度な距離感(いわゆる「キープディスタンス」)'ができていいという人もいます。

 結局は「苦しいことや困難は乗り越えなきゃだめよ。でなきゃ、どこでも通用しない」はあくまで'その田舎'では通用しないかもしれませんが、都内などの大都市では必ずしもそうではないかなと思います。
(ココナラの皆さん、ご意見などがあればお願いします)

 そして、これは私にとっては一種の「体育会系」ではないかなと思います。( ̄▽ ̄;)

 それこそ、'高度経済成長期'や'バブル期'の華やかだった時代はそれで何とかなった時代だったかもしれませんが、今現在はどうでしょう?
 今はもう令和時代ですね? そして、感染症の不安、争いの絶えない時代です。そして、「2人に1人は転職」、私の予想ですが「10人に1人は独立(個人活動)」という時代です。「二刀流」も当たり前になりつつあります。

 繰り返しになりますが、母らに悪気はないのは十人分承知です。しかし、やはり「(親世代)マウント」ではないかと思います。(-ω-;)ウーン
(繰り返しになりますが、皆さんご意見などがあればお願いします)

 私個人としては、「どうしても耐え難いものなら、(それで詰んで、死にそうになるくらいなら)素直に離れる、手放す」と呼びかけると思いますし、'戒め'として言い聞かせたいと思います。そして、そう行動に移していきます。 
(今は難しいかもしれませんが、必ずそうします)

 今は「個人の生き方」が問われる時代です。とはいうものの、まだまだ社会構造が追いついていません。

 「どうしても耐え難いものなら、(それで詰んで、死にそうになるくらいなら)素直に離れる、手放す」にも当然、'お金'がかかります。そして'新たな住みか'も必要です。

 だからこそ、'商売'で「HSPスペクトラム(繊細さん)専用の共同生活支援(シェアハウス)」をどなたか始めてほしいのです。
(HSPスペクトラム(繊細さん)は「病気でも障がいでもない」ため、当然福祉はかまってもらいません。'商売'で進めるしかありません)

 そして繰り返しになりますが、「ベーシックインカム(無条件無差別現金給付)」のような思い切った社会政策が必要な時が'今現在'かもしれません…
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