人生って、生きるって、わけわかんない。僕が読書を始めた理由。

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書いてて恥を晒すような文章になってきたので公開しようか迷ったのですが、そのまま載っけることにしました笑
(※昔のかなりネガティブな心情をありのまま告白していますので、そういうのが苦手な方は閲覧をお控え下さい。)



僕はゲームが好きです。

昔から好きでした。
小さい頃からゲームばかりしていました。

僕はゲームが得意だったので、友達の間でも「ゲームが強いやつ」と思われていました。
次第にゲームが得意であることが、自分のアイデンティティになっていきました。


「僕はゲームが大好き」
これは今でも、変わらない真実です。


しかしこの理由の他に、僕がゲームにのめり込む理由がありました。


それは、社会が、世間が、とても怖かったからです。
現実からゲームの世界に、逃避していたのです。




高校時代には友達は一人もおらず、普通にいじめられていました。

何もしていないのに後ろの席から蹴りを入れられたりとか。
机に突っ伏して寝たふりをしていると、自分をターゲットにした周りからの陰口も耳に入ってきます。


勉強を頑張るやる気もまったく湧いてこず、テストの点や成績も上がりません。
将来にやりたいこともないし、自分自身に期待なんてまったく出来ません。


ただただ、明日が、未来が、世界が怖かった。



それでも周りにはこの辛さを隠して、気付かれないようにしていました。




そんな状態の学生時代でしたから、新社会人として就職しても上手くいきません。

上司からの罵声に耐える毎日です。

自分で自分が「使えない奴」だということは分かっていましたので、何も反論できませんでした。

最初に入った会社は、1年で辞めました(それでも「よく耐えたな」と今では思います笑)。





この時は本当に辛くて辛くて、とにかく心の中には「楽になりたい」という思いだけがありました。

こういう精神状態ではまともに考えることも出来なくなるもので、
「サイコロ振って奇数が出たら死のう」とか、わりと本気で考えてたりしました。

実行したら家族や友達に申し訳ないなと思ったので、やめにしましたが。





これは余談ですが、
「死にたい」と口にする人はいますけど、それって本当に「死にたい」わけではないです。

死にたいのではなく、「今の苦しみをこれ以上続けたくない」「楽になりたい」が本音です。

ゲームで言えば「リセットボタンを押したい」のような感覚です。

少なくとも僕の場合はそうでした。
別に自らの肉体の消滅を望んでいるわけではないのです。





何の将来の展望もないままとりあえずニートになった僕は、思いました。


「これは、なんなんだ?」と。




人生って、生きることって、何だと思いますか?



気付いたら、もうこの世界に居たのです。
よく親に対して「生んでくれと頼んだ覚えはない」なんていうセリフがあったりしますけど、親を責める意図は無くとも、正直、思ってしまいます。

物心ついて気付いた時には既に、このわけの分からない世界の只中に投げ込まれている。
何の説明も無しに、です。

しかしそこで感じた痛みや苦しみ、悲しみは、紛れもなく僕がリアルに感じている。
これには圧倒的なリアリティがある。




これは、何かの罰なのでしょうか?
何のために生きてるのでしょう?
なぜ自分は、こんなに駄目な人間なのでしょう?
なぜ僕は周りのみんなのように、楽しそうに出来ないのでしょう?


神さまは、いるのでしょうか?
いるとしたら何故、こんな不条理で苦しい世界を作ったのでしょうか?
だとしたら神さまはただのサディストではないでしょうか?
それとも神さまなんていなくて、世界には何の意味もないのでしょうか?


だとしたら「幸福と不幸」「快と不快」のシーソーゲームが不幸に偏ったことを理由に、自らの命を絶ってしまってもなんら問題はないのではないでしょうか?
でも心の底では死にたくないと思い、そのように出来ないのは何故でしょうか?
「この世界には何の意味もない」、そう言われて納得し切れないのは何故でしょうか?





こんなふうに思いました。


これが、僕が本を読み始めた理由です。



あの「サイコロ振って奇数が出たら死のう」と考えたあの日、
実際の行動には起こさなかったものの、その気持ちは本気でした

それまでの僕の人生で、確実に自信がもてるものが何かあるとしたらそれは、「あの時の心の痛みは本物だった」ということだけでした。



あの時、僕は本気で死のうと思った。
その気持ちに本当に嘘がないのであれば、実質それはもう、一度死んだと言っても良いのではないか?


そうだ、
僕はあの時、一度死んだ。
であれば今生きているのは、拾った命だ。
仮の命だ。



一度人生に失敗した僕は、拾った仮の命で、避けては通れない考えるべき問題意識がありました。


この人生は生きる価値があるのか?
なぜ自分は不幸なのか?
幸せに生きるためには、どうしたら良いのか?
人生に意味はあるのか?
あるとしたら、人生の目的は何なのか?




そしてそれから10年が経ちました。


僕は生きています。

それも、あの時の自分に比べたらものすごく楽に、楽しいと思えるような自分でいます。


なぜ生きているのか?
人生の意味とは、何なのか?
今ではもう悩むことはなくなりました。


外面的な生活が大きく変わったわけではありません。
ただ、内面は大きく変わりました

以前の自分では想像もつかないような、180度異なった考え方を持っています。



これが、僕が読書で得たことです。


まだまだ学ぶことは多いと常に感じますが、それでも僕が過去に味わったあの苦しみと似たような悩みを抱えている人が、今もどこかにいるかもしれない。

ささやかながら、「その人たちの負担を軽くする手助けが、今の自分には出来るかもしれない」と思うようになりました。



このココナラサービスは、このような思いから始まっています。
読んで下さり、ありがとうございました。
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