人はちょっと前に進んだ時に万能感を持つ。その万能感は成長の糧にもなるけれども、自惚れの糧にもなる諸刃の剣。

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人はちょっと前に進んだ時に万能感を持つ。その万能感は成長の糧にもなるけれども、自惚れの糧にもなる諸刃の剣。


自分に自信がない事はそれはそれで問題である。

「どうせ自分なんて」
「どうせ大したことない」
「どうせ」

自分を否定して生きるなんて、そんな勿体ない人生があるだろうか。
そういう人は自己是正感がとても低いが故に、どうしてもギバーになりがちだ。

一回限りの人生、そうして、一秒前は既に過去。
それだったら、常に前向きな人生にした方が良いし、
ギブとテイクの天秤はなるべく平均を保っている方が良いし、
それに、一日に少しでも成長出来て、それを自覚出来た方が良いと思う。

だから私は、そんな人を前向きになれるように応援したいし、
その人ならではの良いところや得意を見つけ出す事を大事にしている。

何もない人なんていないのだから、光るものは必ずあるのだから、それを見つけ出したい。

それに、そういうところを見つけ出すのは、正直得意だと、我ながら思っている。
うん、これはただの自画自賛だ。


そうやって顔が明るくなっていく人を見るのは大好きだし、私の手を離れても大丈夫ですと言ってもらえるのは本当に嬉しいし、そのために何度も私の鑑定に来てくださるお客様が、一日も早くそうなってもらって卒業してもらえたら、と思い、日々を過ごしている。


しかし、残念ながら、その過程でちょっと間違えてしまう人はいるんだよね。

「人はちょっと前に進んだ時に万能感を持つ。その万能感は成長の糧にもなるけれども、自惚れの糧にもなる諸刃の剣。」

だから、今回はこのタイトルなわけなんだ。


「自分なんて何もできない、勇気もない」と言って誰かの思うままのギバーになっていた人が、何か一つ勇気を持って発言をしたり、人を動かせたり、人に感謝されたり、そういった体験をする事はとても大事な事で、そういう一つ一つの積み重ねが、その人を成長させるのに大事な要素となっていく。

小さな万能感、と私が呼んでいるそれは、とても大事な事で、寝る前に「うん、自分は頑張った」と褒め称えて寝る事ができる日があるのは、本当に本当に大事な事だ。

しかし、それを「ついにあいつに言ってやったんだ」等という間違った万能感に置き換えてしまった場合、人は途端に傲慢になる。

過去の自分が今まで怖くてできなかった事を成し遂げた時に、同時に芽生える自惚れの万能感。

そうすると、その人は一見、とても輝いて見えるが、その奥底にあるのはとてもじゃないが輝いているものではなくて、どす黒い「対象の見下し」「他者批判」「人をモノとして見る」というルートにいとも簡単にハマって行く。

自分がギバーだと思い込み、実はテイカーになっている事に気が付かないまま、人をぞんざいに扱い、また、言動がいかに相手に対して失礼で無礼かすら気が付かないまま、暴走をし始めるんだ。

これは「自分ごととして考える」という事が出来なくなっている状態であり、ただただ、自分が何がしかのヒーローになった気分になって、快楽物質がドバドバ出ているだけの自己中心な人、という状態である。

そうして、ギバーだと思い込んだテイカーのまま暴走すると、次のような思考に入っていく。

「お前は自分がして”やった”事に対して喜ぶに”決まっている”」
「自分がやっている事は正しくて、あいつが悪だ」
「こんなにして”やっている”のになんで分からないんだ?」

そうして、自分からの施しを受け取らない相手を批判し、自分がいかに相手に尽くしているかを熱弁し、相手を悪と決めつける。

でも、その”施し”とやらは、本当に相手が望んでいるものだろうか。

無理矢理に施して、相手から”感謝の気持ち”を無理矢理に出させているのであれば、それはテイカーだ。

「いやいや、自分は相手に対して感謝の気持ちが芽生えたので、その感謝の施しをしただけです」というのであれば、その感謝の気持ちを伝えたのだろうか。「いつもありがとう」「いつも感謝している」たったこれだけのワードを省略して、施しだけを押し付けて、相手からの感謝を貰った瞬間に自惚れていないだろうか。

「ほらね、自分に相手は”感謝している”」って。

そうして、相手から沢山のギブを貰っておいて、それを忘れて、
自分がギバーだ、お前はテイカーだと勘違いしていないだろうか。

相手も生きている人である。
「ありがとう」なら「ありがとう」
「感謝している」なら「感謝している」
もっと具体的な事があるならその具体的な事を、ちゃんと伝えないと、相手には何も伝わらない。

相手だって、それがどこに対してなのか分からなければ、全体的なギブとテイクの量を考えた時に不釣り合いだと感じる事もある。そういう変な柵を産まないためにも、ちゃんとした言葉、というものは必要だと考える。

過去の自分は感じていたはずだ。
「この件について、あの人にちゃんとありがとうと言って欲しかった」
「あの件について、もう少し周りから感謝の言葉が欲しかった」

なのに、逆サイドに回った途端に、それを忘れて、具体的な言葉を省略しても相手に伝わるだろう、と思うのであれば、それは傲慢だ。

それにね、このルートにハマりやすい人は、とても分かりやすく言動に出る。
何度も言うが相手も人である。
「あ、今、舐めた言動をされたな」
「あ、今、上に立たれたな」
些細な言葉や態度の端々に、それを見透かす事なんて容易なんだ。

特にギバー体質の人はそういうものにとても敏感だから、言わないけれどもしっかりと感じ取って、それでも、相手が望んでいる感謝の言葉を述べ、そうしてなんとも言えない気持ちを抱えたまま、その人の得意気な顔を眺めるしかない。

自分もそのギバーの立ち位置にいたはずの人が、あっという間にその立ち位置に居た時に味わった気持ちを忘れてしまうなんて、本当に悲しい事だと思う。
もちろんその時は暴走中だから気がつかないだろう。

しかしその後、例えば数ヶ月後、または数年後かもしれない。
その時に自分が見ている風景がその答え合わせになる。
その時に周りに人がいなくなっていないだろうか。
その時に自分が大切にしていた人が去ってしまっていないだろうか。
やっと気がついて後悔しても遅い、という事も十分にあり得る。

相手も生きている人である。
様々な感情を抱えているのはお互い様であり、その相手の心を取り戻せない事なんてあって当然で、それは謝罪で取り戻せない状態にまで悪化してしまえば、もう取り付く島もない。

だから、人は、ちょっと前に進んだ時にこそ慎重になり、毎日、我が身を振り返り、「自分ごと」として人と接する事が出来たのか、とか、
本来の自分はどうだったんだろう、とか、
そうして、周りから自分はどう見えているのだろう、とか、
あの人に気持ちは届いたのだろうか、とか、
ああ、明日はあの人にちゃんと感謝を述べよう、とか、
または、枕に顔を埋めて「やっちまった」と凹むとか、
そういう事をちゃんとやった方が良いと思う。

「あいつはテイカーだ」とか「とても失礼で無礼だ」とか、そんな事、誰だって言われたくないと思う。せっかく、自分にとってとても大きな壁を乗り越えたのだから、その勇気はとても大きなものだったと思うからこそ、このルートにハマって欲しくない。

私も日々、自分が悪質なテイカーになっていないかを考えている。
だから、誰だって出来る事なんだと思う。

私も日々、いつこのルートにハマるか分からないと思うからこそ、日々考えている。

だから、誰だって今からでも出来る事なんだと思うよ。
大切な人がいるのであれば、去って欲しくない人がいるのであれば、
尚更、今すぐにでも出来る事なんだと思うよ。

「人を人として見る」「自分ごととして考える」は、
とても簡単だけれども難しいテーマである。
だからこそ、常に意識をし続けたいと、私も思う。
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