当たり前への感謝

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本日も記事をご覧いただきありがとうございます。

登山後の翌日。

「ぐああああ!」

筋肉痛で目を覚ます。

寝起きのトイレがここまで苦痛に感じるとは・・・。

ふくらはぎ、膝、腰。

登山で使った部位がところどころ悲鳴をあげている。

普段の筋トレで起こる筋肉痛とはまったくの別物。




ジムで起こる筋肉痛は想定内。

次の日に「あ、ここ痛くなるかも」の筋肉痛。

山で起こる筋肉痛は想定外。

登山の筋肉痛は「ここもかよ!」という筋肉痛。

こんなんでいつものランニングできるのか?

準備を整えて、河川敷へ。

道路を歩きながらつくづく思う。

「道が歩きやすい」

未舗装で、石ころや土がむき出しになった大地とは違い、人が整備した、人によって整備された道。

自転車もバイクも車も。

すべてが安心して走ることのできる道。

登山中、

ランニングとの違いを考えていましたが、最大の違いは自動運転ができるかどうかでした。




人は歩きながら考えることができます。

例えば散歩。

自分が歩いている時、何かにぶつかる!?

という心配はほぼ考えず、無意識に足を前に出しながら、色んな事を考えることができます。

・今日は何を食べようか
・あれ、どうしようか
・これやってみたらどうだろう

考えているけど、足は自然に進んでいく。

突然の石の出現に転ぶこともなく、砂利道に足をとられて滑ることもない。

走るのも同様です。

走り始めた頃は、

・足が痛い
・やばい
・こんなの走れない

と思いながら走っていたはずなのに、いつの間にか考え事をしながらでも走れるようになっている。

でも登山は違う。

目の前のもの、色んな状況に向き合わないと危ない。

危ないと思いながら、気を付けて走ると体力の消耗が激しい。

去年、ランニングを始めた時もそうでした。

最初は体力の消耗よりも、自分がどこまで走れるか。

ハーフマラソン、フルマラソンの距離がどんなものなのか。

不安を抱えながら走ってました。

でも、今は走ったことがあるから。

多少余裕をもって走れる。

登山も同じ。

もっと経験を積めば、体力の消耗や地獄の筋肉痛も抑えられるかもしれない。

今年のゴールデンウイークは長い。

僕は再び山に行くことを決意したのでした。




追伸
 山で歩けば歩くほど、日常生活。舗装された道路に感動を覚えました。

なんでわざわざ不便なところに行って、不便なことをするのか。

抱えていた疑問の答えが出た気がします。




山での不便を感じるからこそ、日常生活に感謝ができるんですよね。

・道路が整備されてることが当たり前。
・家から数分のところにコンビニがあるのが当たり前。
・食べ物、飲み物を手に入れられるのが当たり前

人に用意、提供されているものを当たり前と感じてしまうと、人間の発言はおかしくなものになっていきます。

もし、日常生活に不満を感じる方がおられたら、

まずは感謝から、始めてみるのもいいかもしれません。


















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