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「いってきます」から「ただいま」

特別養護老人ホームに入居されている方の食事に対するご不満は人それぞれです。

私が食事時間にラウンドすると必ずといっていいほど「漬け物が食べたい」と言われる方がいます。

「こんな洒落たのいろいろ並べなくていいから、漬け物とご飯がありゃあ食べられんだから」「昔は漬け物なんて家で浸けたもんだよ」「家の漬け物が食べたいよ」

世代なのか、この方以外にも漬け物が食べたいと言われる方はとても多く、週に2回は漬け物を献立に取り入れるようにしています。

しかし、この方から「漬け物が美味しかった」との声は聞かれることなく、いつも「家で浸けた漬け物が食べたい」との昔話を交えたお話は延々と続きます。


この方以外にも、カップラーメンを食べたい、焼き鳥やスーパーのお弁当を食べたいなど訴え「こんな制限されちゃ元気でいられなくなっちまう」「食べられなくなってから出されても、(その時には)もう食べられないんだから」
と、確かに、と思えるようなことを言われる方もいらっしゃいます。

私は「身体のためだよ、健康で元気でいられるためだよ」とご説明しますが、

果たして

本当に身体のためなのか?健康でいられるためなのか?

との想いで心がザワザワするものを感じてしまいます。


口に合わない食事を1日に3度食べなくてはならない苦痛、
美味しいと思えるものを口にすることなく衰えてしまうかもしれない寂しさ、
自分の気持ちを汲み取ってくれない栄養士や施設のやり方に対する不満、


様々なストレスを感じて過ごされているのかと思うと、言い方は悪いのですが、生き地獄のようで辛く寂しくなります。


施設に入居すると毎日の暮らしの不自由は解消され、基本的な暮らしが保証されます。

トイへのお世話、お風呂に入れてもらえて、ご飯も出てきて、歯も磨いてもらえて、髪が伸びたら美容師さんがカットしてくれます。

しかし、それらと引き換えに、行動の制限など集団生活のルールに則して失うものも理解しないと、施設での生活は先のない暗い世界にひとりポツンと横たわっているような、どうしようもない孤独感を抱き続けてしまうのではと感じています。


食事に対する不満を訴えるような方は、生活そのものに対しても不満を持たれている印象です。

自分が求めているものが与えられず、自分の周囲は光の当たらない暗く閉鎖的な空間なので、代替品が与えられても満足なんてしません。

先の漬け物が食べたいという方も「こんな制限されちゃ元気でいられなくなっちまう」と言われた方も、

家に帰りたい、家族に会いたくて会いたくて仕方ないという想いを強く感じます。


家や家族という存在は絶対的に特別なものです。

家は財産であるという以上に、「生きぬいた先に戻る場所、自分の拠点」として意味あるものです。

お盆には迎え火をしてご先祖様を迎えます。
そして、送り火をしてご先祖様を送ります。

家が今も昔も価値あるものなのは、
自分が果敢に挑み進む場所ではなく
「安心して戻ることができる場所」
だからなのではないでしょうか?

社会へ向かい進んでいく場所は、なりたい夢や社会情勢、細かいところでいうと今日は○○営業所明日は○○営業所などスケジュールなどで変動しやすく不安定ですが、

戻る場所である家は不動です。

家はご先祖様が戻るような魂の拠点であり、
ただいまと帰るのが当たり前で何の違和感も抱かない、ごく自然な自分であるための拠点です。


家以上に絶対的な家族の存在があるため
絶対的な家族と共にいた思い出が染みついているため、
家族に会いたくて、安心したくて、
家族が住む家に帰るのです。


ご家庭により様々な事情があり、一人一人が生きていくために、複数の選択肢から悩みに悩んで施設に頼まざるを得ないという決断をして、特別養護老人ホームに申し込みをしたという方は多くいらっしゃるかと思います。

施設選びは宝くじのようなもので、入ってみないとわからないものだと思っています。
入ってみて快適だった人は当たり、綿密に調べて多額のお金を積んでも入ってみて快適だと思えない人は外れです。


少子高齢化で
介護する人材も不足して、
施設に入ることも容易ではなくなることでしょう。


家から「いってきます」と散歩しに行って「ただいま」と家に帰ってくる。

そんな暮らしを多くの方がおくれるようなステージを見据えていかなければなりません。

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