ISO資格で転職成功 しかも2度

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「ISO資格で転職成功 しかも2度」
 皆様こんにちは。BB工房です。私はこれと言って取り柄のないサラリーマンですが、ふとしたことで取得したISO資格で転職に成功しました。しかも一度だけでなく二度です。そんな私の転職人生を聞いてください。

「大学行くなと親に言われ」
 私は貧乏サラリーマン一家に長男として生まれました。成績は普通でそれでも三流大学くらいは夢見て普通高校受験を志望していました。しかし貧乏な両親は中学校の先生との面談で志望校を工業高校に強引に変えてしまいました。両親の言い分は「大学なんか行ったって仕方ない。どうせ就職するなら工業高校だ」というものでした。本音は貧乏だったからです。私は仕方なく行きたくもない工業高校で暗い3年間を過ごし、電気機器製造会社に就職しました。

「濡れ衣着せられISO事務局員に」
 電気機器製造会社ではビデオやゲーム機の製造に従事していました。高卒なので出世は遅くそれでも中間管理職になった30代半ばのことです。社運を賭けたDVD量産プロジェクトが失敗し、その製造部署にいた私は責任を押し付けられ左遷の憂き目に遭いました。失敗の原因は設計だったのですが、本当に責任が有る人たちは逃げてしまい、関係ない誰かが責任を取るという日本独特の責任擦り付け文化の生贄となったのです。左遷の行き先は環境ISO事務局でした。

「環境ISO事務局」
 環境ISO事務局は2年も前に発足していたのですが、認証取得準備は全く進んでいません。認証のための審査まで残すところ5カ月しかありません。ISOに関しては全くの素人でしたが一から勉強しました。私は前任者たちが2年間サボった宿題を5カ月でこなして審査を受けISO14001(通称環境ISO)の認証をなんとか取得しました。今までどんな仕事をしても成果は誰かに奪われ正当に評価されたことがなかったのですが、ISO審査では第三者認証機関が客観的に審査して認証が認められます。自分の仕事が初めて正当に認められたような気がして深い満足を味わいました。(認証機関が本当に公正な審査をしているかについてはまた機会を改めてお話ししたいと思います)

「資格コレクター」
 会社の品質保証部には品質ISO事務局がありそこには資格コレクターのNさんがいました。Nさんは資格集めが趣味で品質マネジメントシステム審査員の資格を得ていました。よそ様の審査をするわけでもないのにどうしてそんな資格を取る必要が有るのかと疑問に思っていたのですが、Nさんは担当外の環境マネジメントシステム審査員の資格も取得しました。環境マネジメントシステム運用経験が無くても資格が取れてしまって良いのかしら?と思っていると、上司が「品質担当のNが品質と環境の資格をとったのだから環境担当のお前も品質と環境、両方の資格を取れ」と言い出しました。かくして私も環境と品質のマネジメントシステム審査員資格を得ました。環境はともかく品質マネジメントシステム運用経験なんてもちろんありませんが、資格は取れました。

「コンサルタントで稼いで来い」
会社はISO認証を目指している会社を相手に認証取得のためのコンサルタント派遣を始めました。Nさんも私もにわかコンサルタントに任命され認証取得のお手伝いのためにあちこちに派遣され認証取得をお手伝いしました。コンサルタント任命の根拠はもちろんマネジメントシステム審査員資格です。30万円程もかかる資格を二つも会社主導で取らせたのは、コンサルタント料金取得が目的だったのです。当時のコンサルタント料金はべらぼうで数回行けば資格取得費用が回収できてしまうほどでした。

「工場閉鎖でリストラ」
 リーマンショック冷めやらぬ2009年、私の勤める工場は業績不振で閉鎖となり社員900人はリストラの憂き目に遭いました。そんな私を拾ってくれたのがコンサルタント先の中小企業でした。社長がコンサルタントに通った私を覚えてくれており、採用されて品質と環境の仕事を任されました。これが最初の転職です。品質と環境のマネジメントシステム審査員資格があったからこそ実現した転職でした。

「親会社の環境ISO認証取得をお手伝い」
転職先の中小企業では品質と環境の管理責任者を任される一方で、親会社の環境ISO認証取得をお手伝いしました。社長は採用した私を親会社に派遣してコンサルタント料金を受け取るスキームを作りました。親会社は北海道から九州まで製造拠点や販売拠点を多数持ち、グループ会社も各地に点在している広域組織です。約8年をかけて全ての拠点とグループ会社の環境ISO認証取得を終えました。北海道から九州まで環境教育や内部監査で行き来して達成感に満ちた仕事でした。

「トップ交代で暗転」
社長は親会社から感謝されたうえに目論み通りコンサルタント料金が得られため、私のコンサルタント派遣を高く評価してくれました。しかしその社長が去り、次の社長に代替わりすると処遇は暗転しました。新社長はコンサルタント派遣をまったく評価しませんでした。製造上がりの新社長は生産性とかカイゼンとかラインリーダーレベルのことしか興味が無くISOには無関心でした。クレームを出し続けても責任逃れする製造現場を擁護し、私が製造現場と上手くコミュニケーションしないからクレームが起きるのだと無茶な理屈で責任を押し付けました。売上アップのため無計画に仕事を増やし、社員が疲弊して労災やクレームが絶えません。最早完全に救いようが無い会社になってしまったと思いました。そんな会社の品質管理責任者を務めることは出来ません。私は間近に迫った60歳定年を機会にこの会社を去ることを決心しました。

「再びの転職」
 60歳を迎えた3月、私はその中小企業を定年退職しました。4月からは親会社に契約社員として雇ってもらいました。親会社とグループ会社全体の環境ISO事務局を担当しています。息子と同年代の新卒社員と一緒に入社研修を受けながら、ISO審査員の資格を得ていたから再び転職できたと思いました。親会社の認証取得をお手伝いしていた頃に面識を持てた親会社の社長、副社長、本部長、部長の尽力で、親会社への転職が正式に認められました。8年間にわたる親会社へのコンサルティングは、転職に至る人脈を築くために良い機会となりました。

「資格で転職は可能です」
今の時代に資格を取得した程度で転職は難しいと言うのが定説です。しかしISOマネジメントシステム審査員資格は認証取得コンサルティングと組み合わせることで転職の可能性を現実的なレベルに高めます。事実私は2度の転職に成功しました。ISO事務局に埋もれ評価も感謝もされない方がもしいらっしゃるなら、審査員資格を得て他社の認証を支援する選択肢を考慮してみるのはいかがですか。「審査は無事通過して当たり前」「ISOは登録証を飾っておければそれ以上は何も期待されない」そんな現実に閉塞感を感じているのでしたら考えてみる価値があるかもしれません。
私は周りの状況に流されるまま資格を取得しコンサルティングまでしましたが、それは結果として達成感に満ちた楽しい日々でした。そして今、グループ会社全体の環境マネジメントシステムを任されとても充実した日々を過ごしています。

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