ヤフオク化物語

記事
エンタメ・趣味
ヤフオク化物語概要
 私はヤフオク黎明期の2000年からヤフオク出品しています。目的は増えすぎたコレクションの整理です。私は物心ついた頃から模型が好きで、集め作り続けること半世紀、今では総点数4000個を超える膨大な模型が家を占拠しています。「目指せ!北原照久」を合言葉に無限の収集を続けていましたが、ある時気付きました。
「これでは家に家族が住むスペースが無くなってしまう。」
「お金も無くなってしまう。」
「そして自分の寿命が尽きたら模型たちは二束三文で処分されてしまう。」
そんな時知ったのがヤフオクでした。

リサイクルショップ
 ヤフオクを知るまではリサイクルショップやオモチャを扱う古物商のお店などで売却を試みました。リサイクルショップは無情で冷徹です。購入価格の10%がリサイクルショップの買い取り価格の相場です。店員はプレミアムだの希少価値などには目もくれません。
「こちらの品物は箱が有りませんのでお値段が付きません」
「こちらの品物は傷や汚れが有りますのでお値段が付きません」
「箱が有る品物だけ1点10円で買い取らせて頂きます。こちらの買い取り価格合計金額にご納得頂けましたら書類にサインをお願いします。」
アルバイトらしき店員はロボットのように決められたルーチンで淡々と仕事をこなします。
「このミニカー、寒い朝に何時間も並んでようやく手に入れたのに、それをたったの10円だと」
「このプラモデルはメーカーが倒産して今では絶版で買えないのに、それも10円だと」
「この青二才、俺様のコレクションをコケにするにも程がある。なめてんじゃねーぞ」
そんな心の叫びが脳をよぎりますが、大人の私はもちろん言葉にはしません。買い取りを丁重にお断りしぎこちない笑顔で店を去りました。
 希少価値だの絶版だの、そんなものアルバイト店員にはどうでも良いことなのでしょう。怪しい親父がええ歳こいて大量のオモチャを持ち込んで査定が面倒くさい。そんなところでしょう。

胡散臭い古物商
 絶版玩具を扱う古物商のお店ではどうでしょうか?「一見さんお断り」と書いては有りませんがそんなオーラが漂う古物玩具店に足を踏み入れます。胡散臭いという表現が余りにもぴったりな店主がこちらを睨んでいます。恐る恐る話しかけます。「あの…〇〇というフィギュアの初版なんですが…」
店主は電光石火で反応しこちらの言葉を遮ります。「それなら絶版でもう手に入らないし人気が有るから高いよ。1万円の出物があるけど見るかい」
どうやら店主は私がそのフィギュアを探していると勘違いしたみたいです。「そうではなくて、それを今日持ってきたので買い取って頂きたいと思いまして…」
早とちりした店主が焦り顔を赤らめます。「そっ、それは最近人気が無くて、買うという話しなら1,000円だなぁ」
 つい10秒前に絶版人気で一万円と言った店主ですが、買い取りと聞くと手の平を返して人気が無いと言い出し買い取り価格は1,000円に変わりました。
 結局リサイクルショップでも古物玩具店でも買い取り価格は市価の10%程度です。これでは大切に保管したコレクションたちが可哀想です。
 自動販売機ならぬ自動返却機をドラえもんが出してくれないかなといつも思っていました。電子レンジみたいな自動返却機に商品を入れると自分が買った値段のお金が出てくるのです。そんなものは夢にしか過ぎませんが、そんなことが出来るならコレクションの半分は手放しても良いと思っていました。

ヤフオク初挑戦
 インターネットがまだ珍しかった2000年初頭、ヤフオクに初挑戦しました。デジカメで撮影した写真を、パソコンからアップすると出品は苦も無く出来ました。最初に出品したのはバンダイが女子玩具で成功を収めたセーラームーン関連のフィギュアでした。ガレージキット創世記にワンフェスに初めて行って熱気に流されて買ったセーラープルートですが、冷静になるとなんでこんなの買ったのだろうと押し入れの肥やしになり果てていました。半額で買ったのでその金額が帰ってくれば良いと思い定価の半額でスタートしたのですが、見る間に入札されて値上がりし、定価を超えて落札されました。買った金額が帰ってくれば良かったのに倍額で売れて思わぬ副収入を得てしまいました。
 当時は落札手数料などという野暮なものはなく、売却額がそのまま振り込まれた夢のような時代でした。

出した傍から売れ続け
 これは面白いと思った私はあらゆるジャンルの模型を売り出しました。美少女系フィギュア、キャラクター系フィギュア、ソフビ怪獣、ミリタリー系プラモデル、ミニカー、どんなものでも出した傍から売れて行きます。しかも買った金額より高くなる機会は数多く、不用品を処分出来るだけでなく副収入としても有効でした。自動返却機を夢見て購入額だけでも戻れば良いと思っていたのですが、ヤフオクはプレミア価格で利益まで生みだし魔法の仕組みのように思いました。
 この時代はヤフオクも黎明期で、ネット商売がどんなものなのか面白半分で試しに落札される方が一定数いたように感じます。

海洋堂の底力
 私は水族館が好きでした。天候や気温に左右されないデートコースとして水族館は最適です。そして自分自身が水生動物を好きなので水族館巡りは楽しいひと時です。お魚たちを見た後のささやかな楽しみは海洋堂のアクアランドシリーズを買うことです。1990年代に海洋堂はレジン製のお魚に彩色してアクアランドシリーズと称して水族館の売店で売っていました。全長10センチ程度のお魚たちは美しく彩色されており、生きているように魅力的でした。数百円の生物系ガチャポンを見慣れた現代では、2000円程度のアクアランドは高額に感じるかもしれません。しかしこれはまだガレージキットメーカーだった海洋堂が手作りで型抜き彩色していた製品です。海洋堂のガレージキットが彩色済み完成品で2000円というのは破格だと喜んだ私のアクアランドコレクションは数10点に増殖しました。
 時は流れ1990年代終盤に空前の食玩ブームが起きました。ブームの中核はフルタのチョコエッグです。ツチノコがシークレットとして仕組まれていることが人気を呼び、チョコエッグは百万個単位で売れまくりました。ノンキャラクターの動物フィギュアが、オタクでもない老若男女に売れまくる異様なブームでした。私もなんとなく集めていたのでダブった動物を売ってみるとモノによっては化けます。ツチノコが一万円前後で売れるのは知っていましたが、狼やら猿が数千円の異様な価格で売れます。チョコエッグのプロに言わせると分割違いやら成型色違いと言った隠れバリエーションがあるらしく、そうしたものにプレミアが付きました。食玩ブームは「大人買い」「アソート買い」といった言葉を生み、大人たちがレアなシークレットを求めて箱ごと買いあさる異様な状態を呼び、人気のシリーズは発売日に店頭に並ぶ間もなく予約完売するほどでした。
 さてそんな食玩ブームを横目で見ながら調べると、どうやら海洋堂はクリエイターをブランドとして大切にする戦略をとっていることがわかりました。美少女系フィギュアはボーメ氏、可動式フィギュアは山口氏が原型を作り彼らをクリエイターとしてブランド展開していました。そして空前のチョコエッグブームを生んだ生物系フィギュアのクリエイターとして村松しのぶ氏が神格化されていました。
 ならば村松氏が神格化される以前の無名時代に作っていたアクアランドシリーズが売れるのではと思い、試しに売ってみるとびっくりするような値段で売れました。チョコエッグ動物シリーズの原型師である村松氏が無名時代に手作りしていたアクアランドシリーズ。それはチョコエッグを集め尽くして、シークレットもバリエーションも知り尽くしたハードなコレクターにとっては垂涎のコレクターズアイテムに見えたのでしょう。ある居酒屋の店主が何度かに分けて十数個を落札しました。普段から本物の魚に触れている居酒屋の店主が欲しがる魚の模型に、海洋堂の底力を見た気がします。安くても数千円、高額なものでは3万円台でアクアランドたちは私の手元から旅立っていきました。最高値のザトウクジラは4万円を超えました。彼女たちとデートした思い出が詰まったアクアランドシリーズですが、売ってしまっても良いのです。アクアランドシリーズを縮小したようなチョコエッグのお魚たちが手元に残っているからです。

逃げ切り世代の売り逃げ
 私は還暦です。世間では私たちの世代を逃げ切り世代と呼ぶそうです。終身雇用制度の恩恵を受け、バブル期は頼みもしないのに給料が増え続け、能力に応じた給与制度に切り替わる前に旧制度で貯まった高額な退職金を貰って逃げるからです。年金もそれなりに貰えます。もっとも私はリーマンショック後にリストラの憂き目に遭ったので華麗な逃げ切りは出来ませんでしたが、それでも就職氷河期世代からすれば幸せな世代なのでしょう。
 そんな逃げ切り世代の私はチョロQを売り逃げしました。チョロQは1980年代に一世風靡したプルバックゼンマイを搭載したディフォルメミニチュアカーです。今では数千を数えるバリエーションを誇るチョロQですが、最初は4車種だけが試験販売されました。1983年のことです。この試験販売品はチョロQの名前が商品に刻印されておらず「豆ダッシュ」という名前でした。チョロQコレクターにとってこの豆ダッシュ4車種がマストバイアイテムとされており化けやすいです。特に丸いボディのワーゲンバグ(ビートルのカルフォルニア風カスタムカー)が人気で、350円のワーゲンは3万円を超えました。私が売った直後、タカラはこのワーゲンを再販しました。今でも豆ダッシュは高額ですが、再販後は何万円にも化ける機会は減りました。売るタイミングが良かったと思います。まさに売り逃げです。我が家には再販品が居ます。色も形も同じですから、350円の再販品で良いではありませんか。

不人気ほど高い映画怪獣
 私は怪獣映画が大好きです。スターウォーズ大好きな方々は映画の世界こそが本当の世界と信じているそうですが、私もゴジラシリーズとガメラシリーズが好きで、実在したような錯覚に陥っています。例えば1989年と聞くと「ビオランテが出現した年だ」などと言い、これまたSF好きな奥様も半ば呆れながらも「そうだったね」と返してくれます。そんな怪獣はソフビ人形が化けたりするのですが、人気が無い怪獣ほど高いという方程式が有ります。これは簡単なことで不人気怪獣は売れないので生産数が少ないと言う需要と供給の関係によるものです。主役のゴジラや華やかなモスラは人気が有り売れるのでアフターマーケットではあまり化けません。ところが不人気怪獣ランキング上位のカマキラスやジェットジャガー、チタノザウルス、メガロなどは化けます。カマキリの姿をしたカマキラスや全身が赤い斑点に覆われたチタノザウルスなどお子様が欲しがる訳もなく売れないので、後日化ける訳です。
 意外だったのはレトロ復刻版でも高額に化けたバイラスです。バイラスはガメラと対戦した宇宙怪獣ですがイカのような容姿で不人気怪獣にランキングされるために生まれてきたようなデザインです。レトロ調復刻版怪獣は大人向けなので化けないと思いましたがリサイクルショップに550円で吊るされていたバイラスは2万円を超えました。徹底的に不人気だったバイラスはレトロ復刻盤すら売れなかったのでしょう。ガメラ対バイラス公開から半世紀。「バイラス君、ようやく君の時代が来たよ。」ソフビのバイラスにそう語りかけた私はバイラスを丁寧に箱に納めて梱包しました。え?手元にバイラスが残らなくて良いかって?要りませんよ、あんなイカのお化け。

ウルトラ怪獣とテレビ
 映画怪獣が大好きな私ですがウルトラマンを好きになれません。私が幼稚園児だったころにウルトラマンの放送が始まりバルタン星人やネロンガの造形に畏怖の念に近い魅力を感じました。町を破壊し自衛隊の戦車を踏みつぶして暴れる怪獣をいつまでも見ていたかったです。ところが番組終盤になると銀色の変な奴が現れて怪獣を痛めつけた上にスペシウム光線で焼却してしまうのです。生物的な魅力に溢れた怪獣の美しさに比べて、あの銀色の奴はなんて無様な恰好でしょう。あんな裸にパンツみたいな恰好でよくも人前に出られるものだ。幼稚園児の私は本気でそう思っていました。今思えば私の悪役好きはこのときから始まっていたのだと思います。
 そんなウルトラ怪獣ですが、ただで見られるという点で映画怪獣に及ばないという考え方が私たちの世代に根強く残っています。東宝怪獣や大映怪獣は映画館でお金を払わなければ見られません。そんなお金が無い貧乏少年にとって映画怪獣は駄菓子屋で5円で売られている怪獣ブロマイドからしか情報が得られない雲の上のような存在でした。対してウルトラ怪獣はテレビでただで見られます。その格差がウルトラ怪獣はあまり化けないという現象を裏付けているような気がします。
 化けるウルトラ怪獣も有ります。ゴジラの着ぐるみを改造して作ったジラースはゴジラの亜種と考える方々がいるらしく、数千円に化けることが有ります。映画怪獣人気の恩恵と考えて良いのでしょうか。 
 エクスプラスの箱無しドラコが2万円程度に化けたことが有ります。このドラコは昆虫のように美しい羽根を扇子のように折りたたむことが出来る点が評価されたのだと思います。怪獣は造形美を感じさせてくれるものが化けると思います。裸パンツは造形美なのかなぁ??

トミカの話は避けて通りたい
 オモチャのプレミア価格について語りたいならトミカは避けて通れません。香港トミカが25万円とかメーカー試作品が百万円とかトミカの化物語は星の数です。このドメインは奥が深く幅が広くとても一言で語れません。業界にはトミカ博士が多数いらっしゃるので、そうしたトミカ博士たちを前にトミカを語るには私は未熟で2億年くらい早いと思っています。そんな訳でトミカの話はさらりと通り過ぎようと思います。
 それにしてもトミカの人気は異常です。黒箱と呼ばれるヴィンテージものや、香港生産の希少品にプレミアが付くのは理解できますが、地方のバス会社やオートサロンなどのイベントから限定発売される特注品が即日完売、即日プレミアのような話を聞くと何だか疲れてしまいます。トミカ命の皆様は、今日は○○鉄道のバス発売日だからと西に走り、今日はニスモ特注だからと富士スピードウェイに走り本当にご苦労様と申し上げたいです。
 近年トミカはセロファンラッピングされるようになりました。トミカ命の皆様はラッピングを解いて中身を出すことは将来の価値を下げる大それた行為として慎んでいます。遠征して入手したトミカは開封しないでそのまま段ボール箱行きです。蛍光灯の光ですら箱が色褪せるからダメとされているそうです。いったい何のために買っているのでしょうか。
 イベントで二次加工されたトミカや、懸賞で当選したトミカは数千円から数万円に化けます。たまにそうしたものを出品すると数分で入札が入ります。出品作業を終えてトイレから帰ってくると既に入札されています。皆様本当にトミカが好きなのですね。私は特注トミカを追いかけることに疲れてしまいました。フリマで格安ジャンクのトミカを買って、カスタムして遊ぶのが平和で楽しいです。幸せは海の向こうまで探しに行っても見つからないものです。幸せはふと足元にころがっているものなのです。フリマとは足元に転がっている幸せを百円玉で手に入れられる素敵な場所です。箱付き完品なら何千円もするトミカを何度もフリマで、百円程度で拾いました。もちろん箱無し傷モノです。タッチアップで傷を補修して飾ります。一度も箱から出されずに段ボール箱に入ったまま。お子様に遊ばれたのちに補修されて余生を送る。ミニカーに心があったらどちらを幸せに思うでしょうか。私はそんな気持ちになってしまうのでトミカを商売のように語るのはやはり避けて通りたいのです。

オモチャに呼ばれる
 物心ついたころから模型が好きな私は、模型に呼ばれるという奇妙な体験を何度もしています。見知らぬ街を歩いていて、ふと足が向いた曲がり角に模型屋があるなんて経験をしたことは有りませんか。そんな店では必ず思わぬ発見が有ります。まるで模型が私を呼んだので足が向いたような気分になります。慣れない道を車で走っていて、曲がる交差点を間違えたらそこに知らない模型屋さんがあった。そんなことも何度も有りました。そこには発売されていたことも知らない宝物たちが有りました。まるでその模型が「助けて、この在庫の山から私を連れだして」と呼んだのが聞こえたような気がしました。そんな幸運に何度も恵まれました。
 ある時リサイクルショップで知人が好きそうなミニカーを見つけましたが、急いでいたのでミニカーとは違う商品が陳列されている棚の大きな商品の後ろに置きました。後で知人に知らせてあげようと思ったのですが、すっかり忘れてしまいました。一週間後、その知人が良い掘り出し物を見つけたとやってきました。その戦利品は私が隠したあのミニカーでした。それはミニカーコーナーではない戦隊モノロボットの後ろに隠してなかったかと尋ねると、まさしくその通りに隠されていたと答えます。どうしてそこがわかったか聞くと「何故かそこが気になった」と彼は言います。彼も模型に呼ばれる人だったのです。リサイクルショップさん、商品の置き場所を変えてごめんなさい。買うべき人が買ったので許して下さい。
 実のところ自分に何か特別な力があるとは思いません。神様が模型を好きな私にくれた幸運だと思うようにしています。「望み続けなさい、そうすれば与えられます」と神様は言われました。せっかく神様がくれた幸運ですが手放したことが有ります。マラソン大会で何度も迂回を強いられた際に見つけたお店で買ったサイバーフォーミュラの限定ミニカーです。千円で買ったミニカーは2万7千円を超えました。どうしてそんな化けたか未だわかりません。このときは子供の学費で苦労していたので神様はきっと学費を助けてくれたと思いました。

懐かしい未来
 私は外で野球をしたりして遊ぶのが嫌いな変な少年でした。1960年代の終わりごろ、ビデオデッキもインターネットも無かった頃に少年だった私は図鑑ばかり見て過ごしました。航空機の図鑑には「これが未来の超音速SSTだ。マッハ3でアメリカまでひとっ飛び」と紹介されたボーイングSSTが描かれていました。私は大人になったらこんな超音速旅客機に乗ってアメリカに行けると信じていました。当時実用化されつつあったコンコルドはマッハ2でしたが、可変翼で機体規模も速度もコンコルドを凌駕するボーイングSSTはまさに未来の飛行機でした。
 ボーイングSSTは米国レベル社がプラモデルを発売していました。大きな機体は1/200でも箱の長さ60センチを超え飛行形態と着地状態の2機分のパーツが入ったデラックスキットです。こうしたデラックスキットは模型店の高い棚に置かれ、握りしめた百円玉では買えない少年には見上げることしか出来なかった憧れのキットです。
 そのキットが近所のリサイクルショップに並びました。「パーツ欠品のため880円」の値札が掲げられています。どのパーツが無いのかわかりませんでしたが私は賭けに出ました。私はギャンブルや博打をしませんが、稀にヤフオクで勝負に出ます。この価格を落札金額で回収できるか試してみるのです。最悪売れ残っても自分のものにすれば良いもので勝負します。副業というより面白半分です。ギャンブルが本当に好きな人はお金儲けではなくて競馬にしてもパチンコにしてもそれ自体が好きと言いますが、私もこうした状態では、収入ではなくヤフオクで勝負すること自体を楽しいと思います。
 果たしてパーツは揃っていました。この時代のキットはランナー外枠が無いためパーツがランナーから外れやすく、パーツ有無を調べるのが面倒な店員がパーツ欠品として店頭に置いたと推測されます。「パーツ欠品」としておけば、パーツが無くてもクレームにはなりません。クレームと面倒を避けたい店員さんの生きる知恵ですね。
 ボーイングSSTはヤフオクで見る見る価格を上げて一万円を超えました。この博打は勝ちでした。ヤフオクをやっていて何が面白いかと問われれば、それは入札価格が仕入れ価格を超えた瞬間の狂喜に尽きます。落札手数料を差し引いても利益に転じた瞬間に、私は博打に勝利するのです。実際に得られる収入は知れています。この例では一万円近くを儲けましたが、数百円程度の利益に終わる場合のほうがはるかに多いです。しかし金額は問題では無いのです。博打に勝ったという爽快感が重要なのです。
 私の友人はパチンコで一万円勝つと飲みに行き、数万円勝つとお姉さんが待つお風呂屋さんに行きました。勝っても負けてもお金は残りません。多くの場合は負け、たまに買っても飲食店や風俗産業に流れてしまうのでお金は出ていく一方です。彼はそうして数百万円の退職金を一年間の就職活動中にパチンコで溶かしました。なんとも非生産的な生き様でしょう。私はヤフオクで勝ったお金は娘の学費に使います。博打気分で爽快感を味わいながらお金儲けが出来るヤフオクは、なんて建設的なのでしょう。
 あまりに開発費用が膨れ上がったボーイングSSTは開発が中止され、今では図鑑の航空史を彩る懐かしい未来に過ぎません。幼いころ模型店で見上げたキットは一週間だけ私の手元に居ました。半世紀前にこのキットを見上げていた少年の頃を思い出し、私は一度でもそれを手に入れた満足を味わいます。憧れだったあのキットは今ここにあります。私はそんな些細なことでも人生の勝者になれたような満足感を得られる小さな人間です。  
 ボーイングSSTよ、ありがとう。君は純真無垢だった少年時代の私の夢をかなえてくれた。そして博打に勝つ爽快感をくれた。私はボーイングSSTを梱包しながらそんな感慨に浸ります。そうして私にとっての懐かしい未来は落札者のもとに旅立って行きました。

何でも詰めちゃうオバサン
 近所のリサイクルショップでは不思議なことに何度も掘り出し物が見つかります。その店は最低価格が110円で、箱が無いものや正体不明の玩具は何でも110円の値札が貼られています。本やDVDが主力商品らしく、模型は片手間程度に扱っています。模型に詳しいスタッフがいないらしく市場価格数千円のチョロQや京商のミニカーが110円の袋に詰め込まれています。トミカも箱が無ければ問答無用で110円です。しかもミニカーなど小さなものは一個では袋が埋まらないので、ご丁寧に何台もまとめて詰め込まれて110円です。袋に入りきらない大きなトランスフォーマーやフィギュアも110円の値札が貼られています。私はこの店には「何でも詰めちゃうオバサン」がいて価値も調べずに機械的作業でオモチャを袋詰めして110円の値札を貼ると勝手に想像していました。
 何でも詰めちゃうオバサン最大の偉業は奇譚クラブのジンベイザメでした。ヤフオクでは4万円超に大化けしました。海遊館限定ガチャポンだったのが大化けの理由です。フチ子さんのような脱力系のイメージが強い奇譚クラブですが、リアル系を作らせても海洋堂にまけないところが受けたのでしょうか。これで娘の学費が払えます。私は姿を見たことが無い何でも詰めちゃうオバサンに深く感謝しました。
 ある日、そのリサイクルショップではミニカーが大漁でした。京商やコナミの絶版ミニカーが複数詰まった袋が再び110円で陳列されていました。私が猫にマタタビ状態で物色していると、見知らぬ店員から声をかけられました。「今日ミニカーを陳列しきれないほど買い取りしました。今日はもうバイト上がりの時間ですけど、明日また頑張ってたくさん陳列しますから、ぜひ来て下さいね。」その店員は若いお姉さんでした。何と嬉しい言葉なのでしょう。「もちろん明日もおじゃまします」と告げてその日は数十台のミニカーを購入して帰りました。翌日も大量のミニカーを購入したのは言うまでも有りません。
 何でも詰めちゃうオバサンは私が想像していたよりはるかに若くて可愛いお姉さんでした。何でも詰めちゃうお姉さん、これからもわき目もふらず価値も調べないでひたすら袋にオモチャを詰め込み続けて下さい。私はこれからもずっと貴女のお店に通います。貴女はこの店の女神様です。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す