『望みと価値観の不一致』

記事
コラム
妹家族の家に遊びに行って
出前を取って皆んなでおしゃべりしながら
食べていたら

幼稚園に通う甥っ子から皆んなに
「食事中はおしゃべりしちゃダメだよ」
と注意がありました

たしかに… 笑

きっと幼稚園でそうしてるんでしょうね
もちろんこれは 感染を防ぐために大切な
対策として今一時のものではあるだろうけど

こうやって観念や価値観は
創られていくんだなぁと思いました

今までなら
「食事中は、家族で会話を楽しむ」が
良しとされる傾向にあって

「食事中はテレビをつけるな」という
ルールを採用するお父さんがいたり

「スマホを触りながら食事をするな」だったり

「立って食べるんじゃない、座って食べなさい」
これは遊びたいけど食べなきゃいけない状態の
子どもに言われがちですが

立ち食いそば屋もあれば
立食パーティーもありますよね

こういった価値観も元はといえば
「目の前の人と会話を楽しむ」
「ありがたみを感じながら食べる」という
誰かが大切にしたいと思うことがあって

それを大切にしたいと思う人が多かったから
広がって行き、社会の中で
「当たり前」や「常識」になっていった

ところがそれが段々と
「べき」「○○しなきゃ」になり
それに沿わない人に対して「不快」を感じたり
時に批判したくなったりすることも

それは皆んなが調和して上手くやっていくために
必要なことだと思っているからですが

批判が湧き、正さなきゃとまで思っている時
相手の言動によって
「自分や誰かの何かが脅かされるのではないか」
とか
「自分の大切な子が
誰かから白い目で見られるのではないか」
といった不安や怖れが混じっていることも
多いと思います

でもそれらの
「教え」「ルール」「価値観」も元は誰かの
「これがいいよね」
「これが楽しいよね」
「これが心地良いよね」というピュアな望み

それがいつの間にかズレて
「○○じゃないと大変なことになる」
「迷惑がかかる」「嫌な目に合う」
とネガティブを避けるための行動になる

「望み」と「恐れ」のどちらを視ているかで
乗る感情、言い方、伝わり方が全く違ってきますね

すでに「当たり前」として染み込んでいるので
大抵感じる時には反射的に
「イラッ」とすること
「ザワッ」とすることと化してます

でもそれは
本来の自分の望みに目を向ける
チャンスでもあります
というか、それでしかありません 笑

誰だって好き好んで誰かに否定的な感情や
批判を向けているのではないんです
勝手に浮かんでくるものですから

たとえそれを楽しそうにやっているように見える
あの人でさえも…笑

それはただの
望みにフォーカスを当てるためのサインだった
と気づけた人から

自分の望みや希望を
「私はこれがいいと思うんだけどどう?」
といったニュアンスで
提案だったり、温かく促すような気持ちで伝えられる

自分の希望は伝えつつ
相手はそれを「選ぶ」のか「選ばない」のか
だけの話になってくる

誰かに対して圧をかける必要も無くなって
自分が緩まる
謎に背負っていた重荷が降りる

逆に誰かからの圧のようなものを
感じることがあったとしても
それも「相手からの提案」と捉えていけば
ちゃんと自分の心と照らし合わせていける

お互いが自立していて自由な感じ♪




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心のモヤをすっきりさせて今日も心地よく☆

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