中小企業経営のための情報発信ブログ34:パーパス経営

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ビジネス・マーケティング
今日もブログをご覧いただきありがとうございます。
今日は「パーパス経営」について書きます。
2021年を代表するビジネスワード「パーパス」、パーパス経営が世界中で注目されています。これには、次のような外部市場の変化が背景にあると言われています。
Ⅰ:顧客市場・・・倫理的な消費が台頭し、地球や社会に負をもたらす企業は市場から締め出される。
Ⅱ:人材市場・・・ミレニアル世代、Z世代といった若者たちは、「働きがい」を求め、いくら働き方改革を行っても、地球や社会に優しくない企業には、良い人材が集まらない。
Ⅲ:金融市場・・・ESG(経済・社会・ガバナンス)が投資や融資の基軸になっている。企業が社会的責任を果たしていることを評価しながら投資する「社会的責任投資(SRI)」という考えが前提にある。
パーパス」という言葉は「存在意義」と訳されます。
日本でも、英米で流行っている「パーパス経営」を導入して自らの「存在意義」を定義しようという動きが目立つていますが、英米とは前提となる状況がまるで違います。
欧米の経営理論や戦略論を環境や文化・慣習が異なる日本に直接導入してもうまくいかないということは多分にあります。まずは、違いを明確にしておかなければなりません。
1.日本のパーパスブーム、米英の動きとの違いは?
 英国や米国では、2010年後半以降、株主至上主義への疑問を背景にパーパスを巡る議論が活発化しました。多くの企業で「社会的な価値を生み出すことが長期的な成長につながる」「従業員など他のステークホルダーの価値を重視すべきだ」と考えるようになってきたのです。
 これまでは「株主とそれ以外のステークホルダーの利益が対立する場合には、株主価値が優先される」という考え方でしたが、それが「場合によっては株主価値が劣後することもありうる」という考えに変わってきたのです。
 英米の動きは「行き過ぎた株主主権の揺り戻しとして企業が自らの存在意義を規定した」ものですが、そもそも日本では株主主権が十分に実現されていません。日本において、安易に英米の動きに追随するのはおかしいのです。
 先ほども言いましたが、欧米で流行った経営理論が、日本でももてはやされてそのまま適用しようとするケースは枚挙に遑がありません。しかし環境も文化も慣習も異なる日本に英米の理論をそのまま適用するのは間違っています。
2.「世間」の範囲は昔と違う
 日本企業におけるパーパス議論の際によく持ち出されるのが近江商人の精神、三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」です。
 日本には、もともと株主以外のステークホルダーを重視する文化がありましたが、半面、本来「売り手」の中に含まれるはずの株主が「売り手」から抜け落ち、株主が軽視されてきていたように思えます。
 英米では「強すぎる株主のガバナンス」が問題視され、日本では「株主が弱すぎるために事業の入れ替えや、結果としてROE(自己資本利率)の改善が遅れ、保守的な経営が蔓延している」という状況で、お金をため込むばかりでリスクを取って積極的に投資を行わなかったことが「失われた20年」の一因だとされています。
 株主の力を高め経営に関与させることで、こうした状況を変え長期的な成長力を高めようとしたのがアベノミクスですが、その効果は限定的でかえって格差を引き起こしました。ガバナンス改革でリスクを取る経営に転換しようというのは過大な期待で、むしろ間違いです。
 日本において、リスクを取った経営ができないのは、従業員を簡単にクビにできないからという点もあります。長期雇用の前提や労働市場の流動性のところに手をつけない限り、変われないのです。「45歳定年制」について書いた時にも言いましたが、人生100年時代には、労働者はかつてのように企業に固定された存在ではなく、移動可能な存在になっています。自分の強みや仕事の仕方を活かし、自分の価値観に合致する企業へ移動することで、更に自己を成長させることができます。変化が著しい時代において、企業も事業再構築・再編成を行わずして持続的に成長できません。
 ステークホルダーの概念自体も大きく変わってきています。「世間」と言っても、近江商人の時代の狭い世間ではありません。すべてがグローバルになっています。
 三方よしもアップデートが必要であり、安易な日本型モデルへの回帰が、株主価値追求を怠る言い訳になってはいけないのです。株主主権が弱い日本では、まずは株主の地位の向上が先決だということです。
3.日本企業がパーパスを再定義することに意義がある
 そう言っても、パーパス経営が日本で無意味だというわけではありません。日本企業がパーパスを再定義することには意義があります。マーケティング戦略やたんなるキャッチフレーズで終わっては意味がありません。本気になってパーパスを再定義しなければならないのです。
 例えば、地球温暖化やプラスチックごみを課題と考えるなら、社長自ら真剣に考え、ただ考えるだけでなく、それに沿った形で事業を構想したり、組織内部に刷り込む、さらにガバナンス体制を変える、ここまでやってはじめてパーパスの再定義です。パーパスというのは企業の存在意義です。経営者が本気になって再定義しなければ、パーパス経営などできるものではありません。
4.パーパス経営の落とし穴
 経営者が、本気になって「パーパス」「存在意義」を再定義しなければならないのに、「パーパス経営」を掲げる日本企業の多くは形だけで終わっています。その理由として次のような落とし穴があると言われています。
⑴落とし穴1:定義の勘違い
 「パーパス」「存在意義」には、自社なりの定義が必要ですが、サスティナビリティ(持続可能性)・SDGsをパーパスに掲げている企業の多くは、サスティナビリティをパーパスとはき違えています。自社ならではの本質的な価値創造ストーリーが何ひとつ語れていません。楠木建教授の「ストーリーとしての競争戦略」ではありませんが、パーパスも、すべてのステークホルダーが聞いて「ワクワクし面白く、共感し、やる気になる」ものでなければならないと思います。
⑵落とし穴2:投資の勘違い
 パーパス経営を掲げるだけでは、掛け声倒れに終わります。未来を拓く無形資産を見極め、そこに非連続的な投資を続けることで、はじめてパーパス経営が企業価値向上をもたらします。人材への投資も必要ですし、顧客がパーパスへの共感を醸成するために顧客との双方向のコミュニケーションを図り、共感を広げる「仕組み」づくりも重要です。
⑶落とし穴3:社員への浸透の不徹底
 経営陣だけがパーパスに思いを託していても意味がありません。すべての社員に浸透することが重要です。社員に浸透しなければ、社員以外のステークホルダーに浸透するはずはありません。インフラネットやミーティングなどを通じて、ことあるごとにパーパスを発信することです。経営陣が思いを込めて魅力的な言葉で発信し、社員の共感を得ることができなければなりません。社員に共感が生まれて初めて、社員はほかの社外の人に語ります。そして広がっていくのです。
 社員が共感するためには「ワクワクするような面白いストーリー」でなければなりません。
 繰り返しになりますが、単に経営者がパーパスを持っているだけでは何の意味もありません。社員に浸透させることです。
稲盛和夫氏の「成功方程式」というのがあります。「経営者が強い意志を持って『目標(考え方)—注:これがパーパスに当たります』を立てて、従業員から『情熱』を引き出し、従業員が持っている『能力』を最大限に引き出して経営目標を達成していくことが重要」なのです。
従業員にもいろんなタイプがいます。大きく分ければ、「不燃型」(燃えない人)、「消火型」(燃えようとしている人を燃えなくする人)、「自燃型」(自分でどんどん燃える人)、「可燃型」(皆がやろうと言えば燃える人)の4種類です。
「不燃型」や「消火型」が主導権を握っているようでは、意思の共有はできません。「自燃型」や「可燃型」が中心となって盛り上げなければなりません。
まずは、経営者が思いを込めてパーパスを魅力的な言葉で語り、「自燃型」「可燃型」の従業員に伝えていくことです。最初は小さな火種かもしれませんが、それが次第に大きく燃え上がり、「不燃型」「消火型」の従業員にも広がり、彼らも「可燃型」さらには「自燃型」へと変わっていくはずです。
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