自己肯定感という呪い

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私は相談を受ける中で「自己肯定感を上げようとすることをやめて下さい」とお伝えすることが多いです。

え?なんで?
と思われる方も多くいると思います。
「自己肯定感が低いから生きづらいんだよ」という方は大勢います。

それはその通りです。
その考え方が間違いということではありません。
ただ、"無理に自己肯定しようとする"というのをやめて下さい、という意味でお伝えしています。

では無理な自己肯定とはなんでしょうか?

ズバリ"自分を肯定しようとすること"全てです。

これが自然的に苦もなくオートモードできる方は問題ありません。
ですがそもそもそんな人は「自己肯定感が低い」ということで悩みません。

「自己肯定感をあげよう」とする方の多くは、このタイプではなく、むしろ自分を肯定しようとすること自体に苦が生じるのです。

例えば、遅刻してしまった時のことを例にします。

"遅刻した"という事実に対して、後悔や罪悪感、自責の念を感じると思います。

それが仕事であれば、こんなことをした自分の評価が下がるのではないか?と不安に襲われたり、友達との約束であれば、嫌われてしまったらどうしようという恐れを感じることもあるでしょう。

このときに「自己肯定感をあげよう」としている人がやりがちなのが、これに対して無理矢理に前向きな解釈をしようとすることです。

「遅刻しちゃったけど気にしないようにしよう!」
「相手も怒ってないしこれは小さなことだ」
と自分に言ってみたり、
「遅刻なんかでいちいちこんなに落ち込んじゃだめだ」
「自分に厳しい考えをやめなくちゃ」
と思ってみたり。

これらは一見するとポジティブな解釈を自分に入れているようにみえます。
しかしながら実際それで気が楽になるかといえばNOではないでしょうか?

なぜならば、
こうした考え方をしようとすること自体がすでに「自己否定」であるためです。

"自己肯定しよう"とすると、同時にそうではない自分に対する"自己否定"が生まれているのです。
二重のエゴの罠にハマって苦しみを感じてしまいます。

過去の私自身もこの罠に長年ハマっていました。
なんでこんなに頑張ってるのに楽になれないのだろうと感じていました。
そして、自分はこんなに頑張っても変われないんだという自己否定感すらも覚えていました。
これではいつまで経っても自己肯定感は養われないですよね。

さて、
ですから皆さんにはこのような間違った自己肯定はしないようにお伝えしてます。

私自身の体感では、自己否定をやめることが自己肯定への最短ルートです。
「自己否定をやめる」ということは、すなわち「自己受容する」ということです。
言い換えれば「ありのままの自分を認める」。

この言葉は色々な場面で聞かれるフレーズではありますが、とても大切で少し難しいことだと思います。

まずは"無理矢理自己肯定しようとしていないか?"ということを自分に問いかけてみて下さい。
それこそがあなたの自己肯定感を下げる行為になってる可能性が潜んでいるのです。


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