台風の思い出話Part3

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沖縄での修学旅行1日目のスケジュール
沖縄到着
・ガマ洞窟体験
・ひめゆりの塔
ホテルへ

1日目の予定としては上記の予定となっていて、この日は台風の中でも特にスケジュールの変更はなく、那覇空港からガマ洞窟までバスで向かったそうです。那覇空港からすぐ近くに基地があってオスプレイや輸送車が見れてたり、訓練をしている姿が外からでも見ることができました。そのような風景を見る機会がなかったので、貴重な体験でもありました。

空港からガマ洞窟までは約1時間近くだったと思います。空港から離れていくにつれて周りの景色も変わっていたような記憶があったとZは語っていました。クラスによって行ったガマ洞窟は異なっていて、Zが行ったガマ洞窟は特に斜面が厳しく天井も低かったので、奥に行くまでにとても苦労したそうです。地元のガイドの人はカッパと長靴で台風の対策には万全な姿でした。相変わらず台風の影響で雨も激しく傘もさせる状態ではなくずぶぬれになりながら懐中電灯を片手にいざ、洞窟に入っていきます。

ガイドの人を先頭に急斜面な階段を下りました。洞窟に入る直前に鶏がそこら辺を歩き回っていたのが鮮明に記憶に残っていたそうです。さて、洞窟の中はどうなっているかというと、天井が非常に低く人ひとりがくぐれるのがやっとというレベルの道があったり、雨の影響で足場が滑っていたりなど油断すれば転んだりして怪我をする場合も十分にあり得たので慎重に進んでいました。戦時中は命に係わる事なので、そんな転ぶとか軽い傷で済むレベルではなくひたすら奥に進まなければ死んでしまうと考えたり、当時の状況を想像しながら進むと一歩前に進むのに足が重くなりました。

奥に進んでいると右側に小川のようなものがあったような気がします。避難生活で使っている水はここから補っているのかなと思いました。洞窟内はとても暗く常に懐中電灯で前を照らしながら歩かないと見えない状況でした。

ついに洞窟の奥にたどり着きました。洞窟の奥はやっと大人数でいられるスペース程度でさらに奥は大岩で斜面になっていました。その斜面の奥はどうなっているかはあまり見えなかったのですがZは洞窟の奥についてからその斜面の奥がずっと気になっていたそうです。

洞窟の奥についてからは、ガイドの人が当時の状況などを説明してくれました。ガマ洞窟に避難して生活していた人の状況などを詳しく解説してくれていたのはよく覚えています。説明で一区切りついたところで、ガイドの人が「皆さん、今持っている懐中電灯を一度消してください」との指示がありました。

約30人が持っていた懐中電灯を消すと洞窟の中は当然、闇に包まれたかのように真っ暗になりました。そこでガイドの人が再び、解説を始めました。ここでZはある体験をしました。その時の内容は鮮明に覚えていてその時の流れは以下のような感じになります。

ガイドの人「ここでは、多くの人がこの暗闇の中で避難して長きに渡り生活をしていました。当時の食料は殆ど軍人さんの兵糧になっていて、一般の人は食べるものが少なく、食べれたものは残っていたサトウキビやイモだけで小さい子供たちもこれしか食べられなく飢え死にした方達もいました。毎日がこの状況で本当に苦しい日々を過ごしていたそうです。」

ガイドの人が上記のような説明をした直後にZの右後ろから

??「・・・・・・うん・・・」

というほんの僅かな小さい声が聞こえました。Zはこの声を聞いた瞬間、とっさに後ろを向きました。しかし、後ろには誰もいなくZが聞こえたのは右後ろ辺りでした。

この時Zは思わず
「えっ...」と声を漏らしました。

何故かというとZは洞窟の中で一番右側に座っていてそれより右側に座っているクラスメイトはいなかったからです。いつもクラスでふざけていたりする子たちは左側の後ろにいてその時だけ真面目に話を聞いていました。

声の主は小学校低学年くらいの女の子の声だったとZは語っていました。恐らくガイドの人が当時の説明をしているとき、ちょうど子供の話をしていたので、本当に苦しかったんだと誰かに訴えたかったのではないかとZは思っていたそうです。そのような現象は本当にあり得るのか私にはわかりませんがZが真面目に語っていたので恐らく本当の出来事だったのでしょう。

ガイドの人の説明も終わり最後に戦時中に亡くなった方々への祈りをしてから、洞窟を出ました。洞窟を出るときは入る時より苦労したそうです。とにかく上に登っていくので天井の低さに気を付けながら上へ登っていきました。外に出ると相変わらず外は大雨と突風のコンボでまた服がずぶぬれでした。

バスに戻り次に向かったのは「ひめゆりの塔」でした。そこには、当時の戦争での遺品や写真などが飾られていて1時間近く館内を見学していました。

Zはこの時の事についてはあまり語りたくないらしくとにかく空気が重く感じ長く館内にはいたくなかったとだけ言っていました。一体何を感じたのでしょうか。

一日目のスケジュールが終わり、ようやくホテルへと向かいました。18:00くらいにホテルに付き荷物を部屋に置いたり少し休んだりするとあっという間に夕飯なり外の食堂へと向かいました。

夕飯はバイキング形式になっていて好きな料理をもっていって食べる感じでした。ここでZは野球部の友達や柔道をやっていた友達と大食い対決を始めました。茶碗からはみ出るくらいに白米を持ったり、肉やフライをこれでもかというくらいに皿にのせてバク食いをしたそうです。しかし、食べ過ぎた影響もあり30分くらいZと野球部の友達は硬直していたそうです。周りのクラスメイトは次々と食べ終えて部屋に戻っている中、一番最後に残っていたのはZのチームでした。最後にレストランの人から、フルーツポンチのカップが余っているから部屋で食べてほしいとのことで、10個くらいのカップをお土産に部屋に戻ったそうです。その時にZは野球部の友達を抱えながら部屋に戻ったそうです。

1日目からハードな日を終えて明日の予定としては

午前中
磯遊び
遊覧船

夕方
民泊

という感じになる予定だったそうです。
さて、1日目から台風が迫っている中でそのようなスケジュールはこなせるのか。2日目ではまた思いもよらぬトラブルが発生するそうです。

Part3では、1日目と2日目の前半までの話をする予定でしたが1日目までとなってしまいました。実は2日目の内容としてはそこまで濃厚な回ではないので次回のPart4で2日目とできれば最終日と完結できるようにします!

次回へ続く・・・








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