行き渋りと不登校

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こんばんわ、わたねこ(綿崎ねこ)です。
今日はちょっと真面目なお話。

え?いや??!
いつも真面目だけどもーーーー!!

はい!!
今日も始まりました!
わたねこの独り言ブログ!
イェイ!ぱふぱふ〜!

内容は真面目だけれど、一発書きで堅苦しい言葉遣いをすると手が止まって思考が先へ先へ行ってしまうので、口調はいつも通りで参りますぞ。(……ぞ?誰w)

さて!
本題に参りましょうぞ。(だから誰w)

今日は、とあるSNSに流れてきた「学校への行き渋り」の記事についてです。
夏休みが終わって、「学校いきたくない」って毎年恒例で話題になるやつです。

「この1回がきっかけで不登校になるのではないか」
「頭が痛い?お腹が痛い?……仮病なんじゃないか」

大人だって毎週「月曜がきた」「仕事行きたくない」って言っているのにね。
この時点で、ちょっとおかしな話だと私は思っています。

つまりは、「もっと休みたい」「休み、楽しかったなぁ」「ずっと休みならいいのに」ってことの言い換えでしょう??
まず、そういう軽いノリの「行きたくない」もあり得るのです。

そんなときに、「どうしたの?」「なにが嫌なの?」「いじめられているの?」「お勉強ができないから?」とか矢継ぎ早に言われたら、もう……

「行きたくないって言っただけやんかぁ。そんな過剰に反応せんといてーな。この先ガチで行きたくなくなったときに言いにくくてしゃーないわぁ。」ですよ。

私だったら、エセ関西人みたいなノリでしか受け流せないかも。


まぁ、今回の記事ではその軽いノリの話は出てなかったんですけどね。(出てないんかい)
そして、ココナラさんは外部リンク非推奨なようなので、一番気になったとこだけサクッとまとめますね。(最初からそうしろ)

朝は「体調が悪い」と言っていたのに、休ませた午後にはケロッとしている!何だよ、仮病じゃないか!!嘘つくなよ!!!

という意見に対して、「子どもは自分の体の不調をまだきちんと言語化できない」「自律神経の乱れが原因で朝は体調がすぐれないこともある」「だから、親は働きかけを続けて!諦めないで!」という内容でした。

何とも抽象的な話でモヤモヤしたので、その先を改めて具体的に考えて言語化する良き機会になりましたよ。

そして、某SNSで私は、
子どもの口から出てきた言葉が何であれ、本音は「もっと甘えたい」というSOSかもしれない。言語化するのが苦手なのは体の不調だけでなく心の不調も。
「仮病じゃん?!」「嘘つくな!」と言わずに、どうか、子どもが発する言葉の真意を「聴く」ことを諦めないでほしいなと思います。SOSかもしれない。
と、呟きました。(原文まま)

10人いたら、10パターンの行きしぶりや不登校があります。
でも、「甘えたい」はその全員に少なからずあるものだと私は考えています。
じゃなきゃ、「家にいる」という選択をしないからです。

私は小学生の頃、いじめに遭っていました。
床に広がる牛乳を舐めたりもしました。
毎日大泣き。

それでも、学校を行き渋ったことは一度もありません。
小学校卒業の時に母がくれた手紙にも、そう書いてありました。

でも、それは私が強かった訳ではありません。
家にいると四六時中ピアノか勉強をしなければならなかったし、家では私は「しっかりしたお姉ちゃん」という役割をカンペキに演じなければならなかったので、「甘えたい」という気持ちはカナリ早い段階で葬っていたように思います。

そして、20歳前後で爆発。
そこまで行くともう何が火種になって引火したのかも、何が起爆剤になったのかも、わからんのですよ。捜査が難航するパターン。

あ、で、話を戻しますと、私は家から学校に逃げていたんです。「学校に行きたがらない子」ではなく「学校から帰りたがらない子」でした。

そこで、あえて問いたいのです。
どちらが良いですか?
「家に帰りたくない」って言われるのと「家にいたい」って言われるの。

あえてハッキリと言い切ります。
子どもが「甘えたい」を我慢するのは!
絶対に!心に毒!!!!!!

「甘えたい」は「無償の愛が欲しい」ですから。勉強ができなくても、落ち着きがなくても、それでも自分という存在を愛してくれているよね??と。

大人でもありますよね、見返りを求めない愛が欲しいとき。
それでも大人は、それまでの長い人生経験があるから、1度拒否されたくらいじゃあへこたれないかもしれない。

それに対して子どもは「はじめての拒否・拒絶」かもしれないわけです。
誰かと大恋愛して一喜一憂する経験をする前だったら、確実に「自分は、無償の愛を与えてもらえないのだ」と感じるのは初めてであるはずです。
この世の終わりと感じても仕方がないと思いませんか。

もちろん、子どもたちは言語化はできないのだけど。
そして意識もできないかも。
心の傷は目には見えないもんね。

そして、そこで湧き上がる「不安感」は、頭やお腹が痛いのと同じくらいに痛いのです、心が。だけど、そんなこと言語化できないし意識もできないから口では「お腹が痛い」とか言うんです。

だから「なんで?」とか「なにが?」とか聞かれてもわからんのです。
自覚がないから。

だから、何をするでもなくそばにいて背中をさすってあげるとか。
一緒に何かをするとか……。
小さい頃に一緒にやったこととかも良いですね。
お菓子作りとか、絵を描いたりとか、公園行ったりとか。

何でも良いです。「あなたのことを愛しているよ」と伝わる何かなら。そしたら、お子さんの声が聴こえてくるはずです、心に。

……と、何かスピリチュアルな感じになっちまいましたがw

塾でも何人かみたことがあります。学校には行けないけど、塾には来られる子って昔に比べて増えました。塾だとほぼ必ずと言って良いほど、「親御さん」「お子さん」「先生」の三角関係で学習をすすめるので、必然的に「親御さん」と「お子さん」の接点も増えるんです。塾側も、学習をきっかけとした関わり方のアドバイスもさせて頂きますし。

だからって「塾に行くといいよ!」ということではありませんよ!「うちの場合は何ができるかな?」と思ったら、気軽に連絡してみてください。ひとまず一言DMとかでも良いですよー。

お待ちしておりまーす。


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