【心のデトックスライン】 にしだみゆです。
今日はスプーンとフォークが出てくる話です。
でも、テーブルマナーのお話じゃないですよ。
心の持ち方のお話です。
これは20代の頃に、当時50代ぐらいのバーのママから聞いた話で、いろんなことに悩んでいた私の心にストンと落ちた話です。
「人ってね、多くを望み過ぎるから苦しむの。たとえばスプーンを持っている人は、スプーンで食べれるものだけ、フォークを持っている人はフォークで食べれるものだけが自分の食事だと思っていれば不満はそれほど感じない。だけど、スプーンしかないのに、パスタ食べたいってなると悩むし、フォークしかないのに、スープ飲みたいってなると不満を言う。ときどき、どっちも持っている人がいるけど、あんたはどっちかしかないわね(笑)もしスプーンを持ってて、どうしてもパスタが食べたいなら、スプーンを捨てて、フォークを選ぶしかない」
当時私は、仕事の激務に耐えられず、何度も長期休養で仕事に穴をあけ、同じ仕事を飄々とこなす同僚を見て、劣等感を感じていました。
さらに、それが一緒に住んでいた彼との生活にも影響していました。
しなくてはならないことに追われている気がしてイライラして、ちょっとしたことで嫌な顔をしたり、「私は忙しい」アピールをするようになっていました。
当然、彼のほうもそんな私に優しくできるわけもなく、家の中は常に不穏な空気が流れていました。
ママの言葉を聞いて、すぐに決心がついたわけではありませんが、気持ちに整理がついたのか、しばらくして勤めていた出版社を退社しました。
「さきの見通しが全然ないけど、仕事辞めるよ。フリーになっても今までみたいには家にお金入れられないかも。ごめんね」
彼にそう話すと
「俺も辞めてくれないかなと思ってたけど、好きな仕事なら口出しできないし。どうせ結婚したら財布はひとつなんだしいいんじゃないの」
結局その後、この彼とプロポーズもなく結婚しましたが、今思えばこれがプロポーズだったのかもしれません。
まぁ、もっと後に離婚することになるんですけど、当時はありがたかったです。
私は、仕事でも認められたい、家のこともある程度はしっかりやりたい、そして彼にもやってることを感謝してもらいたい…と、スプーンしか持っていないのにパスタもラーメンもと欲張りました。
仕事と恋愛が両立しないと言っているのではなく、私のスプーンには、各パーツがちょっと重すぎただけです。
ひとそれぞれ許容量は違いますからね。
スプーンとフォークの話は、仕事と恋愛だけでなく、好きな相手のここは好きだけど、ここは嫌という場合にも言えます。
たとえば、あなたが刺激的な楽しさをくれる人に惹かれると、相手は常に楽しいことを求めているので、あなただけを構ってくれず、寂しさを感じるときもあるかもしれません。
この「自分だけを構ってくれる人」というのが、この場合の、あなたの持っているスプーンでは食べられないものです。
彼を矯正することができればお見事ですが、総合的に見て、楽しい時間が寂しい時間を上回るのなら「自分だけを構ってくれること」を自分の食べ物と思わないようにしたほうが楽です。
妥協とか、あきらめと思うと寂しい気がしますが「足るを知る」という老子の言葉にもあるように、満足するという気持ちこそが精神的な安定や豊かさにつながるのです。
どうしても「自分だけを構ってくれる人」が良ければ、スプーンを捨てて、フォークに持ちかえたほうが食べやすいです。
と、偉そうに言っていますが、私もまだまだ悟りきれずにスプーンでカレーを食べたあとに、さらに「パスタ食べさせろ~!」と言ってるクチです。
でも、心のなかに、この言葉を持っているだけで、現状で食べられるものがたくさんあることを思い出すこともあります。
さて、本日の1曲。
スプーンを連呼したので、そのまんま「Spoon」という曲を。
Cibo Matto
Spoon
これを歌うCibo Matto (チボ・マット)は日本人女性2人組のユニット。
主にアメリカで活躍している世界的知名度の高い日本人女性ユニットです。
チボ・マットはイタリア語で、食いしん坊、食い意地が張った人という意味だそうです。
まさにカレーを食べたスプーンをもって「パスタ食わせろ!」と言ってる私はチボ・マットですね(笑)
そんな食いしん坊な自分を抑えきれないで、恋愛に翻弄されているかたは、その不満をぶわーっと吐き出してみませんか?
もしかして、私に話すうちに彼(彼女)のいいところを再認識したり、なにが原因で離れられないのかを確認できるかもしれません。
それとも、そのスプーンをフォークに持ちかえますか?