レイプサバイバーとしての生き方 後編

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コラム
【心のデトックスライン】 にしだみゆです。

前回私のレイプ被害者としての体験をお話しましたが、今回は私がそのトラウマや後悔などから解放された経緯についてお話したいと思います。


事件後の自分自身の変化

私はかなり楽天的というか、目先の楽しさを捨てられない性分のため、あんなことがあった後も、外出は続けていましたし、男性とのおつきあいが怖いといった後遺症もありませんでした。

ただ、今思えばですが、無意識にこのころから、女性的なファッションを避けるようになっていました。

露出度の高いものやボディラインが出る洋服は着なくなり、長い髪は常にまとめる、化粧はほぼせず、ヒールは履かなくなり、パンツスタイルが多くなりました。

当時の音楽的趣向が変化したことにも影響されていると思いますが、もしかしたら無意識に男性から声をかけられにくい外見を作っていたのかもしれません。

自己責任という忌まわしい後悔

今になって、一番くだらないことで悩んだなと思っているのは「自己責任」とう呪縛です。

大人は「もっと高校生らしい行動をしていれば」「夜に出歩いたりしなければ」「見知らぬ人に近づいたりしなければ」と、二度とこんなことが起こらないようにとの心配から、自己責任を怠ったという後悔に誘導するような苦言を投げつけてきます。

当時は反発心もあって「わかってます」と生返事をしていましたが、心の中はズタズタでした。

みんな私が悪いと思ってる・・・

もちろんそんな言葉だけじゃなく、私を慰める言葉も同時にもらってるのですが、その一言だけが頭に残って、徐々に苦しめられていきました。

「私が悪い」の思考は、現在でも私のなかに根付いてしまいましたが、そこを中和してくれたのも、また男性でした。

サイコパス彼氏に救われた価値観の変換

事件後、何年かして結婚し、また何年かして離婚するまで、私は特にセックスに嫌悪感も恐怖感もありませんでした。

夫婦生活も普通だったと思います。

ただ、セックスに悦びがあったかといえば、安心感と愛情の交換という意味でしかなかったように思います。

離婚間際にC型肝炎という血液の病気が発症し、性行為での感染は非常に低い病気とは言われるものの、やはり心配はあるので、その告知を受けた以降は、離婚後も誰かを好きになる気にはなれませんでした。

その治療中に、ある男性と知り合いました。

彼は私の病気を知ったうえで「注意さえすれば恐れることはない」と、おつきあいがスタートしました。

この彼が、とにかく自己中(笑)

人の評価、他人の視線、利害関係のない人からの中傷など、とにかく他人のことがほとんど気にならない強さの反面、こういうことをすると人がどう思うかという配慮がほとんどない。

自分のしたいこと、自分の意思、自分の都合がすべて。

いつかまた書きますが、私はこのタイプのサイコパス彼氏に当たる確率が高いようです。その一人目が彼でした。

その彼が「もっと綺麗になれるのに、なんでそんな恰好ばっかりするの?」と、かなり具体的なイメチェンプランを提案し、実際に洋服を買いに行くのにも、靴を買うのにもついてくる。化粧やヘアスタイルにまで注文を出すといった感じになりました。

1か月後にはクローゼットのなかは女性らしい服で埋まり、ヒールも復活。長い髪はおろし、化粧もしっかりするようになりました。

その彼が私に「誰も自分のことを後回しにしてまで、みゆの心配なんかしてないよ。みゆの人生に責任がとれるのはみゆだけ。俺も責任は取れない。友達や家族だってそう。だから人がどう思うかで自分が苦しんだり、したいことを我慢したりするのはバカげてる」みたいなことを、しょっちゅう言っていました。

この彼の言い聞かせが効いたのか「自己責任」を投げかける人は、私を心配しているように見えたけど、確かに私を救ったこともなかったと思うようになりました。

そして「自己責任」を唱える人達への認識が変わったことによって、「自分が悪かった部分もある」という刷り込みから解放されたわけです。

性の価値観とリセット

いろいろな気づきをくれた彼でしたが、心の奥は結局見えずじまいで別れました。

でも「好きな人だからあるべきものですよね」という位置づけだったセックスに対して、男性が優位なわけでも女性が優位なわけでもなく、その行為に真剣に向き合った者が主役になるという意識に変えてくれたのも彼でした。

未成年の方にも目に触れるブログなので、詳しい内容は避けますが、そのことによって奥深い性の世界のなかで、あの加害者たちが「性的に未熟な、とるに足らない者」という認識になった気がします。

セックスの価値観も変わり、この彼との出会いが、私の「自己責任という忌まわしい後悔」からの脱却、そしてあの事件から被害者のままだった私をリセットする分岐点になったのです。

さいごに

たとえ、あなたを思って言ってくれた言葉でも、傷ついたあなたをさらに悩ませる言葉を投げかけられたら「聞かなくていいよ」と私は思っています。

その人を排除するわけじゃないのです。

その人のその言葉が自分には必要ないと思って捨ててください。

これはレイプ被害に限ったことじゃなく、恋愛や家族関係などでも同じ。

傷ついて余裕のない時に、さらに自分を追い詰めて、心が回復できなくなっても、誰も責任を取ってくれませんから。

それでもやっぱり自分を責めたり、不条理な恐怖に脅かされるようなら、自分をリセットできる自信と自己価値を高めてくれる何かを手に入れてほしい。

それは性的なことだけでなく、仕事や家庭や趣味や容姿、人間関係、なんでもいい。

私は否定しましたが、女性として事件の体験を人前で語り、同じ苦しみを持つ人をサポートすることだって、自分の自信につながるひとつだと思います。

どうか、あなたが望まなかったことで、あなた自身を傷つけ続けることがありませんように。


いやぁ、長くなりましたね。

でも今日の1曲はやりますよ(笑)

自信をもって極端に強くなった女性の曲(笑)かな。

サディスティックロックの女王という別名を持つ、スージー・クアトロのヒット曲。

Suzi Quatro
The Wild One

私は自分が得たものを知ってるし
誰もそれを私から奪えはしない
よく聞いて、私は私なの!

いい子でいたのは昔のこと
あんたが私を乱暴に扱ってずっと押さえつけてきたときのこと
私はワイルドな女になった
そう、強い女になったの

この曲、日本ではBOØWYがカバーしてます。

なんと本人とのツインヴォーカルで。

Marionette のB面として収録されています。


こんな強い女になれないよ!もしくはこんな女に振り回されっぱなし(泣)っていうかたはこちらでお悩みをお聞きします。

私を救ったサイコパス彼氏のような例もありますが、人の痛みに共感できない人とおつきあいするのは本当に大変。
そんな悩みをお持ちのかたはこちらへどうぞ。

そして、レイプ被害に悩まれているかた、その身近で悩まれているかたがいましたら、どの窓口でもお話お聞きします。





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