人は意外と怒らない 

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みんなが怒る人に見える。
ちょっと怒ってるように見えたらもうだめ。フリーズしちゃう。
怖さに飲み込まれて心が身体が動かなくなる。もう人間として使い物にならない。心で泣きながら生きてる。

そしてその恐怖を抑圧してまた笑顔を作って見せる。そうやって他人の歓心を買うことで他人の笑顔を引き出し、「嫌われてない」と安心する。
かわいそうな生き物。
そうやって繰り返しているうちにみんなのことが嫌いになる。
大嫌いになる。演技してるから。自分を出してないから。
どうせ本当の私なんて嫌いなんでしょって気分になるから

だけどあんまり怒らない人がたぶん多い。
もはや現実認識をきちんとできてないので、よくわからないけど。たぶん怒っても私を嫌いになってはいない。
私の母親とは違うのだ。その話を一切できなくなる母親とは違うのだ。その会話がタブーになるうちの母親とは違うのだ。違うのだ。母親とは違うのだ。
前にカウンセリングにかかってるとき、カウンセラーに言われた。「お母さんと現実を切り離したらどうですか?」と首をかしげながら言われた。殺意を覚えた。それができないから死ぬほど苦しんでいる。

死ね、と思った。それ以降は笑顔で「もう大丈夫になってきました」と笑顔でカウンセラーのせいじゃないからと終始伝えてカウンセリングを断った。

言いたいことが言いたいときに大切な気持ちを伝えたいときに、怒りの気持ちを特に伝えられない。何かなってしまったら、この場がどうにかなってしまったら、相手が激高してしまったら、相手の怒りが手に負えないほどになってしまったら。そんなことを瞬時に考えて出せない。怒ってそのまま怒りを出すということにどうしてもブレーキがかかる。本当に本当に我慢できないときは出るが我慢できるときは出せない。
我慢できるくらいなら、出しちゃいけないって思ってるのかも。母もそんなふうに思ってるような人だった。いい人な犠牲者を演じながら、突然ヒステリーに感情キレをする人だった。

我慢できる範囲の怒りをだすことはわがまま。いけないこと
我慢できるのに怒りをだすことははしたない。下品 そう裁く声がする。
わがままなのだろうか、わたしは?

出さないと苦しい。モヤモヤする。しかし、出すとモヤモヤする。
出していい。出したほうがいい。そこにいる他人に下品な人と思われたら?
そこにだれがいようがいまいが、本当は言えない。言えないのだ。言うことがとても難しいのだ。言おうとすると声が出ないのだ。口だけパクパクするのだ。声が奪われるのだ。言うことを許可されていない。

怒りを出せば声を失われる。

怒りは悪いもの。主張は悪いもの それをする私は悪い子
相手との関係にヒビが入る。

たぶんだけど、言いたいことを言い切れる相手には信頼を抱けるのだ。
言いたいことを言える安心。人はやはり安心できる相手を信頼するのだ。
言いたいことが言えてない人、言えない人には信頼を抱けない。
言えないのは「言うな」と言われたわけではなく、自分で「言えない」と判断してるのだ。否定されそう、言い返されそう、拒絶されそう、そんな推測から言えないのだ。相手の普段の感じから推測しているのだ。

言えない人には本当に言ってはいけないのだろうか?
本当に拒絶するのだろうか?

拒絶する人もいる。母のように。しかし似ているからといってその人も拒絶するのだろうか?それは事実か?試したか?途中できめつけて諦めてない?
拒絶されるって色眼鏡で見てない?

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