こんばんは。ひかり★です。
たまぁ~に、まじめなことも書こうと思って・・・。
書いております。。
今日のお題は【人に愛してもらうためには・・・】
です。
どうすれば人から愛してもらえると思いますか?
私は神道を謳っておりますが・・・。
イエスキリストも聖母マリアも慕ってはおりませんが・・・。
人に愛されるためにはまず【自分が無償の愛】を捧げること。
そしてその【無償の愛】を捧げるためには【自分自身を愛すこと】
これがとても大切なことなんじゃないかと思っています。
【自分自身を好き】でいられない人がどうやって人に【無償の愛】を捧げることができますか?
【無償の愛】・・・それは言い換えると【見返りを求めない愛】です。
よく、ご相談者様で「私はコレもアレもしたのに相手は何もしてくれない」と言われる方がいます。
もうそこで【有償の愛】になってますよね。
そういった方に限って【自己肯定感が低い】んです。
「私はアレもしたしコレもした。でもどうせ私なんか・・・」
といった言葉が付いてくることが多く感じられます。
まずは自己肯定感を上げましょう。
そのためには【自分を愛して】あげましょう。
これは例えですが、一般的に 母親が子どもに見返りを求めますか?父親が子どもに見返りを求めますか?
いくら愛しても子どもは解ってくれず、反抗したりしますね。それでも愛を与え続ける【どんな形であろうとも】のが親ですよね。
【親孝行 したいときには 親は なし】
という言葉があります。
子どもが親の無償の愛に気付いて反省し恩返しをしたいと思ったときにはもう親はいなかったりするんです。
その無償の愛を子どもは忘れず自分が親になり自分の子どもに無償の愛を捧げるんです。
この例は【親子だから】と言われればそれまでです。
じゃ、【自分好き】ですか?と聞かれて 「好きです」と即答できますか?
即答できる人は少ないはずです。
そして 即答できる人は自己肯定感も高い。自分の愛し方が解っている人です。
自分すら愛せない人が赤の他人に【無償の愛】なんて捧げることができますか?
自分自身を愛し 人に【無償の愛】【見返りを求めない愛】を捧げることができる人が【人から愛される】ことができるのではないかと思います。
確かに難しいことだとは思います。
見返りなんて求めていないと思いつつも無意識に見返りを求めていることだってあります。
その時、ちゃんと自分自身で【あれ?】と立ち止まって考えることができるようになりましょう。
未来は何も決まっちゃいない。
未来はいくらでも変わる。
その未来を変えるのは自分自身。善くも悪くも・・・。
今日はこの辺で・・・。