結婚生活25

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携帯電話を自分でもったことによって、私の世界は広がった。

ポケベルすら持ったことがないから、見るもの触るもの全てが新鮮だった。

同年代の人達や様々な人たちとの繋がりができた。
次第に「旦那なというどいなくてもいいや」という気持ちになっていた。

けれどそこまで私にとっての携帯電話は大切なものになった。

育児が辛いわけではない。
ただ、まともに人と関わりあってこなかった私には私を大切にしてくれる人がそこにはいた。

スーパーのレジをしながら仕事仲間も増えていった。

そうこうしてなんとかやり過ごしていたが、
その年に、舅が出稼ぎから帰ってくるということを聞いた。

私は車の免許を取らせてくれたのも舅だし、車を買ってくれたのも舅…
と思うと舅は私の味方なような気がしていた。

これで少しはマシな生活になるんだろうか…
と期待していた。

そして、その年の4月、舅は
「定年退職」
という節目を迎えた。

しばらくは、普段いない人がいるので、生活リズムが崩れそうになったが、
息子の面倒は良く見てくれたが、娘には少し態度がちがったように感じた。

4月といってもまだ東北は寒い、
その家では「薪ストーブ」だったが、一応ストーブガードのようなものはしてくれていた。
が、舅が娘の手を払った瞬間、娘がストーブの煙突に触れてしまった!

泣きじゃくる娘…
私は早く冷やさないと!
と氷などを準備していたが、舅は
「なに!大したことない!おれが悪いというのか!」
とキレ出した。

そういう問題ではない。
なぜ「人の心配ができないのだろうか」
私には全く理解ができなかった。

娘の手はだんだん皮膚が捲れていくようだったので
急いで病院に行く準備をした

「大げさな!」
と舅はまだ切れているようだったが
そんなことには構っていられなかった。

ましてや女の子…
痕が残ったらどうしよう…
それだけが心配だった。

病院に着くと、看護師さんは診察までの間の応急処置をしてくれた。

そして、診察が終わり家に帰ると
家は真っ暗だった。

確かに夜は遅くなったが、病院にいったのを知っていて、家を暗くしているのはどういうことなんだろう…
私は呆れ、諦め、怒りもでてきた。

その時以来、舅と話すことはなくなっていった…

旦那は、都合のいい時にだけ帰ってくるという生活を送っていた。

とうとう私のパートの収入では借金でギリギリの生活になった。

仕事仲間が増えるとおのずと出費も増える…

それでもなんとか切り詰めて生活していた

ある日、旦那が帰ってきた日
いつになく大喧嘩をした。
髪を捕まれ、引きずられ、殴られ…
私は子供にそういうところを見せたくなかった。
ここでもまた同じ扱いなのか…

そして、私はこの頃から離婚を考えるようになる。

私は咄嗟に娘を連れて家をでた
娘を車に乗せて息子は保育園に後で迎えに行こうと思っていた。

とにかく「逃げねば!」
その一心だった。






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