運も実力のうち⑧~ソムリエが語るウイスキーの話~

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コラム
融資を受ける際、必ず事業内容を言わなければならないですが当時、蒸留所を建設しウイスキーを造るといっても融資は中々してもらえません。

政孝は北海道に工場を建設し、表向きはリンゴジュースを造る会社としてスタートします。こうすることで寿屋(サントリー)に対して競合しませんよというアピールに。そしてウイスキーを熟成の間、リンゴジュースを売ることで難を凌いでました。

創業時の会社名、大日本果汁株式会社。ここからも表向きの事業が分かりますね。そして後に、ニッカウヰスキー変わっていきます。

肝心のウイスキーですが、当時の日本人の趣向に合わずサントリー同様あまりうまくいきませんでした。少しずつ認知されていき人気が出てきます。そして宮城に2つ目の工場を建設し、ウイスキーづくりを加速させていきます。

国内でのニッカウヰスキーの地位は不動のものになります。そして政孝が亡くなったあと世界に認められるウイスキーとなったのです。頑固に信念をもってウイスキーを造り続けた結果、現在のジャパニーズウイスキーの礎となり現在は世界中で飲まれています。

この素晴らしい物語は、いくつか書籍となっておりますが、今回はこの写真の本を参考にさせて頂きました。今回のシリーズはこれで終了です。ウイスキーへの認識が少しでも深まってもらえると嬉しいです。


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