原文で味わいたいドイツ語④ テレジエンシュタット

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コラム
私、戦争が絡む作品って駄目なんですよね。小説でもドラマでも漫画でもダメ。ゴールデンカムイは大丈夫なんですけど・・・。多分、戦争絡みだけど、戦争で失った人間性を、杉元さんとか谷垣さんメインキャラは取り戻していくから、アシリパちゃんとかコタンのお婆ちゃんとか、地に足のついている生き方に救われていくからじゃないでしょうか。

戦争ものって、人を家畜として扱う国家、人がその中で人間性を失っていく過程、それに個人がどう抵抗しても踏みにじられる様子が描かれるので、見るのつらいんですよね・・・。

本当に、日本は、様々なアニメや漫画を積極的に国外に輸出するべきです。クールジャパンに大金つぎ込むなら、外国語に翻訳、吹替してアニメ普及に力を入れた方が多くの人を救えると思います。
「こんな世界があったらいいな」「こんな世界に住みたいな」って希望だけでも感じることができたら、少しだけ眠るのが楽になるから・・・。
それで漫画家さん、アニメーターさんたちの待遇もよくなったら素敵☆
みんながすばらしい作品を作っていける環境を構築する方が人助けになると思います。

ドイツ関係でもナチス系はほんっとダメで。ヒトラー側、支配層サイドからあの時代を見た本やドキュメンタリーも無理なら、当然ユダヤ人や迫害されて収容所送りになった犠牲者側からのものなんてもっと無理。
ミリタリーオタクというんでしょうか、ドイツ関係で、ナチスドイツの制服だとか武器や兵器、戦略、プロパガンダの手法、またはゲッペルスとかアイヒマンとかヒムラーとか・・・割とキャラが濃いですからね、そっちに興味を持ってる人も多いです。
・・・私は、鳥肌立つくらい全力拒否!ですね。大学のころに、授業で色々見せられたくらいで、ダウンです。もう勘弁してください。

あれ系のダメージ受けた後、お肉って本当に食べられなくなります。
お肉好きだから、しばらくしたらまた肉食生活に戻るんですけど!
一瞬無理ってなります。

そんなわけで、今回は、ナチス系、収容所とかああいうお話がダメな方は、せっかく閲覧してくれてありがとうなんだけど、読まない方がいいです。ゴメン☆
また今度楽しいテーマの時に遊びに来てね♡

まずは、ユーチューブの動画をご覧になってみてください。
いろんな人がカバーして歌っているので、いろんなバージョンがあるようです。
ご興味のある方は、曲名で検索しなおしてみてください。


たまたま偶然、別件でドイツ語検索していたら、この曲が出てきて、初めて聞いたのですが、すごく素敵だったので、ぜひ皆様にもご紹介したいと思ったのです。
そして、調べてたら収容所に行きついたというわけです。知ってたら深追いしませんでした・・・。
ちょっとCM。
ドイツ語検索承ります。

作詞作曲したのは、イルゼ・ヴェーバーさん。ユダヤ人で詩人だったのですが、ナチスの収容所で殺されてしまいました。なんという時代だったのでしょうね!
この曲を聴きながら、彼女の経歴などを見ておりましたら、悔しくて泣きたくなりました。

Ich wandre durch Theresienstadt
テレジエンシュタットをさまよって

Ich wandre durch Theresienstadt,
テレジエンシュタットをさまよっているの。
das Herz so schwer wie Blei.
心は鉛のように重たいわ。
Bis jäh meine Weg ein Ende hat,
dort knapp an der Bastei.
 突然、私が歩いていた道は行き止まり。
だって、すぐそこが要塞なんだもの。
Dort bleib ich auf der Brücke stehn
und schau ins Tal hinaus:
橋の上で立ちつくし、そこから下をのぞき込む
ich möcht so gerne weiter gehn,
私、もっと先まで行きたいの。
ich möcht so gern nach Haus!
 私、おうちに帰りたい!
Nach Haus! -- du wunderbares Wort,
おうちに帰る! 君ってなんて素敵な言葉。
du machst das Herz mir schwer.
君が私の心を重たくするの。
Man nahm mir mein Zuhause fort,
私からおうちを奪ったものがいる。
nun hab ich keines mehr.
 もう私にはおうちがない。
Ich wende mich betrübt und matt,
so schwer wird mir dabei:
悲しくてやりきれない。
つらすぎるんだもの。
Theresienstadt, Theresienstadt,
wann wohl das Leid ein Ende hat,
wann sind wir wieder frei?
テレジエンシュタット、テレジエンシュタット
この苦しみはいつ終わるの、いつまた自由になれるの?

テレジエンシュタット、収容所があった場所だそうです。
そこに彼女は収容され、夜間看護師として働き、子供たちに歌を歌って聞かせたり、ギターを弾いたりもしたそうです。
行き止まり感、半場ないですね。
橋の上にいて、その先は収容所。下は深い谷になっていて降りられない。帰る家も奪われてしまった。戻ることもできない。

テレジエンシュタットは、チェコにあります。
1780~1790年に、当時のオーストリア皇帝ヨゼフ二世がこの土地に要塞を作ったのが始まり。
大きい要塞と小さい要塞があり、ナチス時代は、大きい方はゲシュタポの駐屯地として使われ、小さい方が収容所として使われたそうです。
ここから、多くの人がアウシュヴィッツなどへと送られていった・・・。

Ich wandre durch Theresienstadt
タイトルと、最初の歌詞。「さまよって」と訳してしまいましたが、もしかしたら「テレジエンシュタットに送られて」という感じかもしれません。
前置詞のdurchがあるので、町の中をめぐる、さまようという感じかなと思うんだけど、収容所の外へ出ることはできないわけですから、別の意味がありそうな気がします。

nach Hausと、Zuhauseの使い分けが不思議ですね。メロディーや節回しの関係でしょうか。
Man nahm mir mein Zuhause fort,「私からおうちを奪ったものがいる」のところです。
Zuhauseは、自宅、住まい、在宅しているという意味になりますかね。Haus=家、建物としての家とはニュアンスがちょっと違うかも。家にいて、くつろいでいる状態までも意味に含まれている感じがします。

歌詞の中で特に注目したいのが、「おうちに帰る」という言葉をdu(お前、あんた、君)と擬人化しているところ。
Nach Haus!(家へ) –Du wunderbares Wort,(君って、素敵な言葉)
du machst das Herz mir schwer.(君が私の心を重くする)
「おうちに帰る」という行為を表す言葉を擬人化したくなる時の心境ってどんなんだろうって考えたら、そんな君が私の心を重くするんだが・・・。

「おうち」がもうない状態で、「おうちに帰る」という行為を擬人化、「君」と呼びかける・・・。
「おうち」が物質的にないわけです。「おうちに帰る」という行為だけが、観念としてある。実際に、心に思い浮かべられる「おうち」はもうない。安心してくつろげる場所なんてないのです。

「おうち」本体じゃなくて、「おうちに帰る」という行為を表す単語が、擬人化の対象なんです。
そう考えると、Zuhauseも、「おうち」、帰る場所というだけの意味じゃなくて、「おうちに帰る」という行為そのもの、おうちがある状態、おうちに帰ろうとしている時の気持ち・・・
お母さんのごはん、おばあちゃんが作った服、おじいちゃんが座っていた椅子、お父さんのお気に入りのレコード、兄弟と一緒に見たテレビ、友達と一緒にクッキー焼いた台所・・・・おうちと関連する思い出も全部。
そっくりすべてごっそり奪われてしまった。

どこにいたとしても、どういう状態に置かれているとしても、帰れる場所があるのとないのとでは、大違いです。

「もうおうちに帰る」って、子供の時、言ったことがあったでしょう。
ここはイヤ、もうおうちに帰りたいって泣いたこと、あるでしょう。
そこに帰れば、守られるってわかる場所のこと。

無意識に「おうちに帰りたい」って言葉が口から出てしまい、「あれ?私、帰るおうちなんかないんだった」って気づいたら、突然足場がなくなるような不安感に襲われたことでしょうね!その背筋のぞくっと凍り付く感覚、みんな想像できるはずです。

自分がただの客体、ただの肉片に過ぎない存在だと思わされる時、どうやって抵抗していけばいいんでしょうね。
歌を歌い、詩を作る。それでも超えられない。渡れない橋。

「おうちに帰る」という言葉を言葉通りに使える状態であることを、感謝します。

うっかり、ドイツ語検索でとんでもないのを釣り上げてしまって、私がウツっぽくなってしまいました・・・。
こんな時は忍たま乱太郎見ます。一緒に「そうさ!100%勇気~」って歌います!
・・・みんなが、おうちで忍たま見られるといいよね。
ちらっとネットニュースで見たんですが、忍たま乱太郎、今年の12月に映画公開されるらしいですね!土井先生、大活躍みたいだね。うわぁ、すっごい楽しみです!!

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