気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その93~

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本日も愛想を尽かさずにお読みくださっている皆さん、本当にありがとうございます。今回も何卒宜しくお願い申し上げます。
昨日の記事はいつもより少しばかり短かったと思いませんか。
当初はもっと露骨に辛辣な表現を書き殴っていて、二倍位の文章量があったのですが、自分の呼吸がちょっと高い位置にあって書いていたことに気付き、落ち着いて推敲をし、削ったり直したりしていたらあんな感じに、ちょっと少な目になりました。
昨日消してしまった表現は、それでも余程腹に据えかねているようなことであれば、これからまたきっと再浮上して来ることもあるでしょう。
とにかく、" 消毒 " は程々にということが言いたかった、伝えたかった。
西洋医学ではその昔、脾臓という臓器は特に何もしていない、何の役にも立っていないと見なしていた時期があり、取り除くことに何の躊躇も無かったと聞きます。
盲腸とか虫垂炎という名目の下に切り取ってしまわれることもある虫垂という部位も、以前は特に意味を成していないと思われていたようです。
常在菌といわれるような極身近に存在している菌、それにウイルス、バクテリアといったものの中の幾つかの種類が、これまでの研究の範囲では人間の命や生態系に取ってどのような意味を持つのかが分かっていなかったとしても、自然全体としての命の営みに取って、本当に全く無意味なものである筈など絶対に無いと思います。
今、人間の最先端の知識を結集しても分かっていないことが即ち " 無 " ではありません、あり得ません。
サプリメントを精製する際にも、お目当ての有効成分だけを抽出して、捨てている " カス " の中に、いっぱい宝物が残っている可能性は?なんて言うと、きっと、「これだから素人は困る」なんて一笑に付されてしまうのでしょうけれど、僕には、そこに無駄が含まれているようには到底感じられないのです。
このように人は頭で捻り出したアイデアで、元からある絶妙のバランスを崩すのが好きな生き物のように感じられてなりません。
ダイエットという大そう立派な名の下に多くの人々が躍起になって体から追い出そうとしている色んなものも、果たして本当に全部が全部無い方が良い悪者なのでしょうか。
とにかくこれら全て、宣伝文句や偏った報道に煽り立てられて取り組むのでは無くて、一度は体に尋ねてみても良いことのように感じます。
科学や医学が推奨して来るのは、あくまでも、これまでに分かっていること、しかも当然ながら、科学的見地や医学的見地から見てこれまでに分かっていること、それだけですから。
そして、その界隈の中でも常に、数的優位な声とその真逆も含む少数意見に分かれていて、新しい発見によってそのパワーバランスが逆転する瞬間がいつ来てもおかしくないという世界です。
今の世の中どんな時も、多かれ少なかれ脳が興奮させられているようです。
「放っておくと大変なことになってしまいますよ」というメッセージは身の周りに溢れていて、考える暇(いとま)さえ与えない算段で色々と仕掛けて来ますから、体が感じていることに気付いている暇なんてものはもっと与えないように情報は侵襲して来ます。
ですが、昨日お伝えしましたように、本来、感じるのに時間の概念は必要ありません。
感じたことを認識したり気付いたりする為の、その時間が必要である場合がある、というだけです。
自分の体に触れて感触を味わい確かめて、呼吸を眺め感じる時間をほんの少しでも増やすだけで、その認識したり気付いたりする為の時間を省略出来るようになり、瞬時の感覚を取り戻してあげることが可能です。
暇を与えないようなやり口に対しては、暇が必要ない能力、元から備わった感覚というもので冷静に捉え直してみれば、その後に取る行動にも何らかの違いが見出せるかも知れません。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
次回もまた、どうぞ宜しくお願い致します。

つづく


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