気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その77~

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いつもお読みくださり誠にありがとうございます。
本日もどうぞ宜しくお願い致します。
昨日は、痛みなどに代表される体の不調が、実は当人に取ってはお守りになっていることもある、といった観点からお話ししました。
僕は主に声の不調をきっかけに人と出会う仕事ですから、その相談を受けて呼吸のレベルからその人に寄り添うことをやって行きます。
僕がまだ呼吸のワークのアシスタント的立場だった頃に、一回の施術と簡単な補助的ワークのみで、長年自分の声を失っていた人が見事にそれを取り戻す瞬間に立ち会ったことがありました。これは昨日の記事に少し出て来たテノール歌手の方です。
僕も何度かこの方の体・呼吸を補助したことがありましたが、その印象と言えば、とにかく不自然なまでに胸を張っている、常に胸をグッと前方へ突き出しいる姿勢でした。
ベンチプレスで大胸筋を発達させたような胸の張りなんかとは全然違う、腰を反らして胸全体が前にあって、当然の如く背中は締まった状態。
その過剰で異常とも言える胸の緊張は、仰向けに寝ても全く鎮まらず、天上の方へ向かって突き上げ、それにより何かを訴えているかのようでした。
そしてその僕が目撃した、この方が声を取り戻した瞬間とは、何らかの理由で胸にばかり集中していた呼吸、現役のテノール歌手としてのバイタリティーに溢れるエネルギーが、見事に下半身を始めとした体全体に分散され、フツウ~の体に戻った瞬間でもありました。
本人も、施術してくれた先生や傍らで見ていた僕に向かって、「わたし、普通に話せてますよね?」と信じられないような、余りの驚きに喜びも直ぐには表現出来ないような独特の間で会話したのを今でも鮮明に思い出します。
本来であれば、この話はここで目出度く一件落着となる筈ですが、そう簡単には行かないのが人間の超複雑なところです。
とにかく一応成功例の施術後に時間を置いてこの方に起こったことは、不調の再来と、そして、成功した筈のこの施術とワークには二度と来なくたったことでした。
この時に感じたことは幾つかあります。
昨日書いたことの繰り返しで、症状を消してしまうことが心配性の脳に取ってはどれ程残酷な事なのかということ。これで又、人生で最も大好きで大事なことで真正面から勝負しなければいけなくなってしまう。厳しい評価の眼に晒されることになる。
それから別の観点では、この方に取ってはあの萎んでしまった胸の中には、これまで半生掛けて築いて来たトップランナーとしてのプライドがパンパンに詰まっていたこと。生物としてごく自然な意味でのヒトからははみ出ること、超人的存在として舞台に立つことこそが、この人に取っての歌手像であって、そこをペシャンコにされて傷付いてしまった可能性。
更に加えて、この声の不調とは実はこの方の生まれてから一繋がりの、歌手とかそんなことも抜きにしたもっと大きな人生の課題に分け入って行く為の方便、きっかけに過ぎなかったのかも知れない、ということ。詰まり、症状が消えてしまったことで、その話の続き、メインテーマに入って行く筋道を絶たれてしまった、そう感じたのかも知れないということ。
とにかくその後この方は、この日の施術と “ 好結果 ” を一切無かったことにして、別の医師の下でボトックス注射などの治療を受け続けたようでしたが、勿論それらの方法で、元通りのテノール歌手の位置に戻れた訳ではありません。
今の僕だったら、当時のあの方に、もう少し体に勝手に歌わせる楽しさを伝えられたのかどうかとか、時々思い返します。
時効という考え方の一つに、かつて犯人だった者をその罪を逃れてとはいえ長年に渡って新たに構築しすっかり組み込まれてしまった周囲の人間関係や社会性に於いて、それを徒に逮捕し引き抜いて存在を消し去ってしまうことによるコミュニティーバランス崩壊のデメリットの方を寧ろ憂慮する、といったものがあるように、心身の不調も、それが突然消失することで起こる全体としてのバランスの変化と、そのアンバランスに新たに対応することの方が更に大変だと感じてしまう人間の習慣性を充分に考慮して掛かる必要があります。
ケアする立場の人も、ケアされる本人も、そこを充分に知っておくことは重要だと思います。
でないと、大きな書店の健康書籍のコーナーには新しいあの手この手の健康本の種類だけがどんどん増殖していくのみで、健康な人は一向に増えないといった奇妙な状態がずっと続いてしまいます。
気楽に読んでください、ましたか?

つづく


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