気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その78~

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今日もお読みくださり誠にありがとうございます。
昨日の長文の最後に、健康法の種類だけがどんどん増えていくばかりでそれに見合う健康な人の人数は増えているようには感じられないという意味のことを書きました。
ダイエットの方法なんかもそうなのでは無いでしょうか。僕は生まれながらの痩せ体質な上に、こんな呼吸のことなんてやってますから、ダイエットの苦労とは無縁です。とうとう中年太りというものも一度も体験せずに済みそうです。
他には英語などの勉強法とか、教育論とか、新しいやり方がどんどん増え続けるということは、言い換えるとどれも決定打に欠けることを意味しています。
情報は真面目に手広く貪欲に集めれば集める程、正反対・真逆の考え方に行き当たってしまい結局は迷います。
事例とは、一つ一つ其々が全くの別物と捉え直してみることが大切です。
カモノハシという生き物がありますが、あれをどうしても哺乳類に分類しなければいけない理由が僕にはよく理解出来ないのですが、嘴を持ち卵を産む哺乳類も存在するということを学者という分類の人達は一応認めている訳です。
けれども中には異を唱える学者もきっと居ることでしょう。
成績優秀な教え子を排出した先生のところには当然のように同じ恩恵にあやかりたい人々が押し寄せます。
スポーツでも名監督と呼ばれる人が居れば、是非その方の下で学びたいと志願者が増えます。
それで結果、母数の上昇に合致した成功例の増加が確約されるかと言えば、決してそんなに甘いものでは無いことを皮肉にも証明する形となってしまいます。
こういった、優秀な指導者にフォーカスした話で見落とされがちで、実は最も大事な事というのが、本当は当たり前のことなのですが、事を成した本人、教え子の方のセンスです。
その世界で実践家としても成功した指導者の中には、自分がこう教えられて成功したから自分も同じ教え方をする、といったタイプの方が居ますが、これは大きな間違いです。
もしそれで良いのであれば、その人の同僚や兄弟弟子も全員がその人と同等の活躍をし、同じ方向性で成功していなけらばならない筈です。
しかし、横一線で同じ教えを受けていても、必ず明暗が分かれます。
もしもほんの一握りの人しか頂点に立てないような世界であれば、殆どの人はその方法ではモノにならなかったということです。
そんな方法を、自分が上手く行ったからと言ってそのまま伝えることはちょっと無責任に思えます。
なのでこの場合この先生が自分の教え子に伝えなければならないのは、自分が習った方法の外見では無くて、自分が自分の先生からその方法を通して全ての同僚が気付き得なかった要点を体得するに至ったプロセスと同等かそれ以上の何かを、真新しい全く別の事例として自分の教え子にも起こせる権利と自由が与えられている、それを伝えることです。
僕たちは科学や化学の実験材料のように、同じ条件の下で比較される優性劣性のサンプルとして生きているのではありません。
自分の健康に関することも同じ、たまたま手に取った健康本の著者が歩んだ道、それを選び気付きを得たプロセスといったものが、自分に置き換えると一体どのようなことになるのかを、自らの体を通して感覚的に捉えることが大事です。
物事を分けて考えること自体が区別差別ですが、そのような分類では無くて、そもそも一つ一つが全く違う、似ている、ということは実は違う、と捉え直すことは、分け隔て様が無い根底での共通点に目覚める為の、遠回りなようでいて実は最も近道であると感じます。
このような視点を経て、今一度呼吸や体の成り立ちに触れ直すと、また違った味わいが出て来るように思います。
明日は自立とか自律に付いて書いてみようかと思っています。
呼吸のことも久し振りに何か書きたいとは思ってます。

つづく
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