気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その69~

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本日もお読みくださり誠にありがとうございます。今回もどうぞ宜しくお願い致します。
今日は、背骨と呼吸の関係を書いてみます。
これまでは混乱を防ぐ意味で、意識的に敢えて触れずに来たことです。
体は息を取り込む時に、当然のことながら膨らみます。このブログの初期の頃には何度もそれを確認しています。肺だけが膨らむのでは無く、体の全てがその肺を邪魔しないように柔軟に対応しながら膨らむ傾向を示していること、それが重要であることを繰り返し述べました。
しかし背骨だけは例外、というよりも真逆、息を取り込む際には縮んでいるというのが本当のところなんです。
これはこのブログで言うところの第一パターンの呼吸でも第二パターンの呼吸でも共通の事実です。
その動きは何かに例えるならば、ちょうどリボンの結び目のような役割に近いと思います。
肋骨や脇腹をリボンの花の部分、背骨を結び目として見ると、その意味が明確になって来ます。
リボンの周囲が放射状に広がるには、中心部分を結んで絞らなければなりません。そうしなければ、窓に掛かるブラインドのように単なる線の重なりにしかなりません。
そのような意味で肋骨や脇腹も、背骨が縦に縮んでくれることによって、より放射状に広がり易くなるのだと思います。
それで、ここからが大切な内容です。
背骨は吸気時にはいつも縮む、そして、呼気時には伸びます。
普段の呼吸、寝ている時も含めて生きている時間の殆どを占める第一パターンの呼吸は、吸気で体が膨らむようにエネルギーを使い、呼気では全ての作業を放棄し脱力している。詰まり呼気では体が萎んで重力に引かれるがままに小さくなる傾向を示す訳ですが、その時も背骨だけは逆に伸びていることになります。
こんなことは、改めて知識として認識でもしない限りなかなか気付けない事実です。実際の話、有名な禅宗の僧侶の方でも、ご自身の坐禅中の体感に関してこの事実とは逆のことを書いておられたりもする位です。
この点で見ますと、第二パターンの呼吸こそが、このリアルな背骨の働きに即した呼吸ということが出来ます。
脱力が吸気となり、そのことで一旦緩んだ姿勢の再構築が呼気となりますから、正に背骨が伸びることが呼気となる訳です。
この真実が意味するところを考えるにつれ、ついつい生きる目的という事になぞらえてしまう自分が居ます。
豊かな呼吸で全身の細胞を潤わせて潤わせてそれはそれは充分な程に、そのような時間を多く持って、そして、準備をして条件が整った時にはいつでも外界へと積極的な働き掛けをする。自分自身と他の両方を満たす為にエネルギーを発揮する。
人生の総時間に於けるパーセンテージが如何に少なくとも、自他共に全てを満たす為に働き掛けることが本来の意味目的であることを、この背骨の動きの真実は教えてくれているような氣がします。
もしも重度の障害や病によって寝たきりだとしても、体から自発的に呼吸が起きている限り、どの人の背骨も例外なく皆この動きで呼吸を助けているのです。
今、色んな文化的活動が不要不急の扱いを受けています。
これではまるで、お金だけを集めて何にも使わずに人生を終えるのと同じ位、命を何の為に使うかが蔑ろにされているように感じて仕方がありません。
この騒ぎが落ち着いたら、コロナが収束したら、等と言っている間にも大切な時間は経過し、その時間は二度と戻っては来ません。
そんな今、人生の目的を改めて背骨に問い掛けるように、呼吸を味わってみるのが良いかも知れません。
今しか出来ないことが、自分にしか出来ないことが、貴方にしか出来ないことが、今だから必要なことが、きっとあるように思います。

つづく

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