気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その70~

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皆様、いつもいつも本当にありがとうございます。70回目です。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
昨日はホントに好き勝手に生意気なことを書き連ねました。
背骨は常に呼気と共に伸びる。
眠っている時でも何時でも何処でも、背骨は息を吐きながら伸びている。
自分の根幹を成す背骨、正に生きる上での中心軸だけは、どんな時でもアウトプットに備えるように、いつでもロケットの発射台のように、エネルギーが進むべき方向のガイドとしての動きを続けているという訳です。
前々回までの結構な回数を費やして、自分を大切にするところから始まって、呼吸が本当の意味で深くなって、その真の深さから必然性を持って折り返し上昇するエネルギーは生まれ、その象徴として声があり、表現があるという内容を順を追って説明した訳です。
そしてそれらの試行錯誤は、やっておいて決して損は無いとも思っています。
ただ、そのような試行錯誤は上手く行けば行くほど、比較対象としての存在感が肥大するという最大の欠陥をも抱え込む皮肉な結果をもたらしたりもします。
これが、大きな脳を発達させた人間の最大の弱点かとも思えることです。
印象的な成功例であればある程それは、最も肝心な “ 今 ” を委縮させてしまうのです。
そんなことになる位だったら一切のリハーサル的思考はやめて、意味や目的を考えずにひたすらに背骨を感じながら呼吸を味わう方がよっぽど " その時 " に役立つ、相応しい即興の表現を発揮出来るのでは無いかと最近は特に考えます。
そうなんです、リハーサルとか予行演習とかあの類は、その必要性の無い時に恰もその必要性があるかのように自分をコントロールする世界です。
詰まり、リハーサルの精度が上がれば上がる程、自分を騙すのが上手くなっているということです。
このことを僕はよく、避難訓練なんかも想像しながら考えます。
想定通りに災害が進行する時にはそれが役立つでしょうが、想定通りに行かなかった時、無意識の咄嗟の行動が大正解だった、というような結果に繋がる感性を育てる時に、果たしてそのリハーサル的な準備、本当はそうでもない時にそうでもあるように振る舞う行いが、大切な命を守ってくれるのか、常に心配してしまいます。
それと同じで本当にやるべき事とは、心と体は、もう一歩踏み込むなら魂は、今どうしたがっているのか、そこに感性の焦点を合わせて過ごす時間を増やすことが物凄く大切なんじゃないのかと強く強く思います。
その象徴の一つとして、背骨の動きに今一度心の眼を向けてみてもらいたいのです。
誰かに自分の背骨に触れてもらっても良いですね。
仙骨から段々と頭部に向けて、二~三度呼吸する度に掌を少しずつ移動させながら温かさを感じてみてください。
本当に背骨に意思を感じるかも知れません。
それ位にこの場所この部位は、考え以前の反応を発揮するチャンスを伺っているようです。
" 骨抜きにされる " の逆を行きましょう。
背骨は何時何処でどんな時も、貴方が本気を出す瞬間をサポートすべく、準備してくれているのです。

つづく
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