気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その71~

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いつもありがとうございます。今回もどうぞ宜しくお願い致します。
以前にも何度か述べましたように、僕の元々の本業は、声にトラブルを抱えた人を呼吸の面から見直し助けることです。
もう下積み時代を含めると20年は余裕で越えてしまう年月をこの事に費やしています。
これだけ長く同じ事を続けていますと仕事っぷりにも歴史のような変遷が見られて当然です。
そして割と最近まで僕がワークショップで伝えようとしていた事と言えば、大切なその時を想定して上手く声を出すシミュレーションだったように思います。
しかし冷静に考えると、それは大変な間違いであることにある時気付いたのです。
例えばその日のワークショップに5名の参加者が居たとします。
講師である僕を含めると6名で、この6名の中でその日のその時間に本気の表現力を発揮しなければならないのは、実はたった一人僕だけです。
参加者は何かの表現をしに来たのでは無く、情報を得る為に来た、インプットが主目的の人達です。
その人達にこのブログでもご紹介したような二種類の呼吸のシステムを説明し、体験してもらうことは決して無駄では無いでしょうし、役立つ面もたくさんあるのは事実です。
そもそもが自分の声に何らかの不調や違和感、疑問を抱いて集まった方々ですから、真新しい観点で呼吸や声を捉え直して解決の糸口が見付かり易くなることも事実です。
しかし、そのような一見大事に見えてワークショップらしい光景とも言えるものよりも比較にならない位に大事なことがあります。
それは例えば、受講中に疑問に感じたことや、質問が思い浮かんだ時に、我慢せず素直にそれを声に出して伝えられるかどうか、そんなことです。
このような状況の時に初めて、表現者としての講師とインプットする受講者の立場は一時的に逆転し、受講者の体は普段とは違う方の呼吸のパターンを使って、伝えるべき内容をアウトプットすることとなります。
本番を想定して上手く歌えたり読んだり話せたりすることなど、それがどれだけその時に良く出来たとしても想定はあくまでも想定、本番ではありません、残念ながら。
しかし、どんなに些細な内容でも、今すべき時に口に出せた意見やちょっとした質問は、その時が正真正銘本番です。
このような瞬間が如何に大切か、いくら伝えても伝え足りないと思う位に、多くの方に、色んなコーチやアドバイスをされる立場の人に理解してもらいたいことです。
加えてこのことは、ちょっと飛躍になるかも知れませんが、ジャンルという魔物との向き合い方にも参考になります。
声の調子を崩す場合に結構あるのは、例えば歌であれば自分を何らかのジャンルに拘って仕分けしてしまっているパターンです。
私はハードロックをやっています、私はソプラノです、民謡をやっています・・・などといった具合に。
答えや憧れや、伝統芸能であれば家系など様々な条件が先に厳然とあって、それに見合った表現をしなければならないと頭で思い込んではいるけれど、果たして自分の根本的な場所に、その花や果実の成る種は植わっているのかという話になります。
この続きは明日書かせて頂きます。
これは一見同じような悩みを抱えている方に取っては余りにもシビアで残酷な内容に感じられるかも知れません。
もしも自分の深い深い処へ蒔いてある種を確かめに行って、夢や憧れや現職業とは全然違うのが植わってたらなんて想像したら、それはそれは怖いですよね。
確かにちゃんと見なければ、中途半端にしか向き合わなければ怖いだけです。
でも、ちゃんと確かめた方が良い。
人間の呼吸とは、表現力とは、そんなヤワじゃない、そう思いますから。

つづく
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