気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その72~

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本日もお読みくださり誠にありがとうございます。
昨日の続きで、ジャンルというものへの囚われとエネルギーの齟齬に付いて書こうとしています。
縺れた糸にも色んな解き方や解消の仕方があります。
何れにしても、今まで出ていた声が同じようには出せなくなるという事は、心と体からの何かに気付いてくれというメッセージ、ドンドンとドアをノックして来る現象です。
それはきっと大きな視点に立てば、生き方の転換点を示してくれているのだと思うのです。
ただ、そのような事はご本人にしてみれば早く何とかしてもらいたい厄介な一時的トラブルでしかありませんから、結構僕なんかは「面倒臭い奴の所へ相談に来てしまった」と思われてたと思います。
確かに面倒臭い、出来れば無かった事にして早くこれまで通りの普通に、元に戻して欲しいというのが正直で真っ当な望みな訳ですから。
でも、やっぱりここでも大切にしたいのは根本的なこと、今、心が体がどうしたがっているのかというこの一点です。
ジャンルを上っ面だけで解釈していると、例えば、ロックやブルースはハスキーヴォイスでとか、クラシックはマイクを使わず生声でとか、〇〇らしさという幻影に惑わされることになってしまいます。
しかし、本当に聴衆に対して届けなければいけないのは、今という空気感、社会的、時代的なことも全て含めた空気を取り入れたその人の体が発するエグゾーストノート、排気音なんです。
自分の深い処まで表現の種を確かめに行くその深さというのは、数学の座標軸のような世界観では到底表せない意味での深さです。
ここで大きな味方になってくれるのが、自分たちは決して完璧に成長し切った存在では無く、弱さも悪さも全て持ち合わせた発展途上の人間であるということです。
怒りも悔しさも悲しさも、軽々しくは口には出来ないようなドロドロしたものも底流にいっぱい流れている存在であるということ。
もしもこれを否定したり、もしもこれが実際には無いのだとしたら、殆ど全ての芸術活動は消えてしまうと思います。
名優と呼ばれる人の素晴らしい演技。
名優と呼ばれる人達は、皆、与えられた役柄と同じ人生経験を経たのかというとそんなことあり得ません。
悪役の人が皆前科持ちな訳は無く、そのような経歴の人が居たとしても圧倒的に珍しい少数派だと思います。
スポーツの戦力や能力分析で、レーダーチャートというのがあります。
攻撃力=何点、守備力=何点、戦術浸透度=何点、それを蜘蛛の巣のような形のグラフで表すものですが、人間の性格や性質でこのようなチャートを作るとしたら、皆さん、何項目思い浮かびますか。
優しさ、怒りっぽさ、妬み、泣き虫度、凶暴性とか、数え上げれば色んな項目を設定可能です。
それで大事なのは、その色んな項目の中で数値が0の項目がもしあったとしても、項目そのものを無くすことが出来ないのが人間ではないかということです。
怒っているのを一回も見たことが無い仏さんのような人格者でも、今は未だ生きた人間である以上、怒りの項目自体は消すことは出来ません、例え結果的に残りの人生で0を全うしたとしても。
イメージ通りに歌えなくなってしまった時、昔のような声が出なくなってしまった時、それは、憧れや尊敬からくる一種の物真似時代を卒業して、不完全な存在だからこそ出せる自分だけの咆哮を発する時なんだと思います。
そしてそのことは、愛着のある古い皮を脱ぎ捨てることで一抹の寂しさを味わうことともなりますが、これまで歴史に名を残した全ての芸術家達が通った道、詰まりそのジャンルの初代になることすらある位に、本当のオリジナリティーに辿り着くという意味にもなります。
恐怖心を振り払って自分の深い処にある表現の種を確かめてみて、迷っていた心が確信を得て、これまでのスタイルに新たな自信を伴い再浮上するということもあれば、最早既存の世界観には収まり切らない憧れを超越する存在としての役割に気付いてしまうこともある、ということになります。
本当のオリジナリティーは一見孤独で、何処へ向かうか分からない、先頭の人にしか理解し得ない新たな不安を生みますが、これらが何処から始まり何処で繋がっているかをもう一度確かめると、呼吸という普遍性、生きている証に改めて気付かされることになります。
明日は自由と即興について書いてみたいと思います。

つづく
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