気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その52~

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今日もお読みくださっている皆さま、本当にありがとうございます。いつも心より感謝しております。
今、いよいよ現れた蚊と闘いながら更新作業中です。刺されると如何にも痒そうな黒いボディのヤツです。
蚊よ、頼むから刺さないでくれ。
でないと、第二パターンの呼吸でお前を仕留めなければならない。
昨日までかなり簡素化したモデルとしての第二パターンの呼吸、その実際とエネルギーの方向性や活用性に付いて書いて来ました。
本当に簡単に書いてあります(文章は複雑です)。
実際、第二パターンの呼吸だって、昨日書きましたように長くかかってもほんの数分で意識的に再現出来ます。
膝・仙骨・背中、これらを緩めること。
しかし、その質を追求した場合、なかなか本当の意味では緩まないのもこの、膝・仙骨・背中なんです。
一番簡単な理由は、皆さん普段から頑張り過ぎてるからです。
殆どの人は自分の頑張りが足りないと思って生きておられるのかも知れませんが、僕がワークショップで出会う人は総じて、その頑張り過ぎが背中の柔軟性を奪っています。
多くの方は体の柔軟性と言うと、体前屈や上体反らしや又割り・開脚を思い浮かべるかと思います。他にはヨーガのポーズなんかもそうですね。
それはそうなんですが、今ここに出て来た背中の柔軟性とは、そのようなものとはちょっと異質のものです。
体が脱力のターンに入った瞬間、椎骨の一つ一つがまんべんなく優しいアーチ状になるように前傾し、腰や腎臓の辺りも総じて滑らかな曲線の生成に一役買うような、そんな地味~~~な柔軟性です。
今の世の中で、" 仕事 " とか、" ライフスタイル " と呼ばれるものの殆どが、このような柔軟性を損なわせているようにも感じます。
背中の力を抜いてもらうと、多くの人は肩を前側にすぼめて首から頭部だけを前に倒そうとします。
本人はそのように体を使っている自覚は無いのですが、肩甲骨の下辺りから仙骨辺りにかけての慢性化して自覚すら出来なくなってしまった硬さが、可動域を限定し、そのような動きにさせてしまうのです。
「第二パターンの呼吸で力を抜くのは、猫背になるってことですか?」
と時々質問されますが、違います。
仙骨から頸椎までが非常に(※今、蚊を仕留めました)バランスよく緩やかなアーチを描くだけです。
ここからは体と精神の話に進んで行きます。
背中の硬さと、時間軸の話です。
大事な告白や、歌などの晴れ舞台でなかなか本領を発揮できないことが多い話とも繋がって来ます。
第二パターンの呼吸とはアウトプット対応の呼吸だと述べています。
発信者の想いは、声や身振りによって届かせたい対象に向かうことになります。
それは人間の体で言うと、後ろから前へのベクトル(もう一つ、地から天への方向性も)、背中から取り入れた活力の素を胸襟を開いて前方へ開花・解放させることとなります。
この時の背中が象徴的に表す意味、文字通り背中が背負うもの、それは、今まで生きて来た過去に他なりません。
頑張りが足りないと常に思ってしまうのも、この過去を全てに於いて良しとしない自分だからなのかも知れません。
本当に背中を柔らかくして、それによって本当の意味で豊かな吸気・訴える力の素を得て、前方へ送り出す。
それには、自分の過去に触れ、労わるという意味での背中へのケアが必要となって来るのです。
これは、何もそんなに大袈裟に無理やり心理的なことと体を結び付けなくても良いという人には正に無理してもらいたくない内容ですが、本格的な精神分析とか心理療法のような、時には生々しいい再体験も辞さない、そんなことともまた違っています。
感覚として自分の背中を改めて捉え直そうとした時、そこに織り込まれ重なった時間を自分が受け容れることで、重荷だと潜在的に追いやっていたものまでが、いや、寧ろそのようなものの方が、燃料としては良質である可能性が高い、そんなお話なんです。
あなたが伝えたいこと、訴えたいことが真剣であればあるほど、そして、それを伝えたい相手が大切であればあるほど、この背中から連綿と繋がる今その瞬間の声を想いを届けたいとは思いませんか。

つづく
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