気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その47~

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今日も読んでくださり誠にありがとうございます。
第二パターンの呼吸、具体的にどんなものかをご説明していかなければなりませんね、そろそろ。
でも、少し何処かで述べてはあるんです。
パンチを打つとか、ボールを投げるとか、スポーツの中にはたくさんあります、第二パターンの呼吸が。
どんな競技でもスタートダッシュは必ず第二パターンの呼吸、相撲の立ち合いなんかもそう。
とにかく、自分の内なるエネルギーでもって、積極的に外界へと働き掛ける必要に迫られた時、それは現れます。
スポーツの例は本当に分かり易いと思います。
パンチを打つ前から腕や体に力を入れてしまっては打撃力が減少するどころか、打ち辛いのは容易に想像出来るのでは無いですか。
パンチ以外でも上に挙げた色んなシーン全てに於いて、一番肝心で最もエネルギーを集中しなければならない瞬間に備えるように、その一つ手前に静かで脱力した瞬間がある方がパフォーマンスが向上する感じ。
よく「もっと力を抜いて」などというアドバイスを耳にしますが、正確に表現すると、「最も力を発揮するべき肝心なその時に備えて、その瞬間を迎える手前ギリギリまで、その場に倒れてしまうことすら厭わない程に怖がらずに一度力を抜くこと」となるでしょうか。
そうすることで、究極の弛緩状態が自然の摂理に則って必然的に呼び寄せてくれる究極の緊張=この場合は外的指向性のある運動エネルギー、を体験することが叶う、のです。
それで、人と競ったり争ったり比べたりが絡んで来るスポーツは、本当にその力のやり取りが明確で、正しく取り組めば弛緩→緊張の流れが分かり易いですし、緊張→緊張では所謂肩に力が入った状態となって本来の力がとても発揮できないこと、更に緊張→弛緩ではお話にもならないことが分かり易いと思います。
そしてごく一般的な日常生活ではどうか。第二パターンの呼吸を体験している瞬間はあるのでしょうか。
はい、あります、きっと。
勿論先に挙げたスポーツの動作の縮小版のようなこと、例えば人に何か物を渡す時とか、ちょっと離れたゴミ箱にゴミを捨てる時とか、横着して投げることもあるでしょう。
水たまりを避けるようにちょっと飛び越えるとか、思い荷物を持ち上げる時とか、数え上げたらきりがない位です。
そして、もっと細かく見て行くと、ここからが面白い。
電車やバスなどで、全く迷うことなく咄嗟に席を譲ってあげられた瞬間とか。
落とし物にいち早く気付いて「これ落ちましたよ」と拾ってあげた瞬間とか。
無理なく自然に「どうぞ」という気持ちで贈り物を手渡せた瞬間とか。
「やばい、遅刻や」と言って飛び起きた瞬間とか。
これまた数え上げたらきりがありません。
これらを、いちいち練習するかというと、普通はしません。
大好きな人に告白するとしましょう。
何処かでその人が来るのをドキドキしながら待っている間、深呼吸をして心を落ち着かせているとして、その呼吸は第一パターンの呼吸です。
でも、勇気を出してしっかりと告白出来たなら、その瞬間は第二パターンの呼吸です。
歌も、自分が今ここで歌うという必然性を心身で納得してその場に臨んだならば、見事な第二パターンの呼吸として前向きに、ひたすら前向きに、表現の波に乗っていくことでしょう。
昨日執拗に訴えていたよくある歌の為の呼吸の訓練といった類のものは、このような呼吸の自然変容を邪魔するものですよと伝えたかったのです。
今日は昨日の補足兼、明日の前置きだけになってしまいました。
昨日の勢いだと、呼吸の変容を滑らかにする何らかの工夫に付いて書くように思われてたかも知れません。
だって、僕もそうでしたから。
でも今日の内容は、これはこれで書いて良かったと思っています。
明日は必ず、具体的な取り組み、今考え得る最良の工夫に付いて、考察を深めて参ります。

つづく



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