気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その43~

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先ずは50回を目指しましょうか。それから100回を。
ここまで辛抱強く読み続けてくださっている方には、本当に何度でも感謝申し上げます。ありがとうございます。
とは言え、初期の頃から高らかに宣言しておりますように、呼吸を極力いじくり回さないことを信条としておりますので、はっきり言いまして、そんなに書くことは無い。
宜しければ今一度でも二度でも何度でも、最初の頃に書いてある、呼吸のホントの姿を読み返して頂けると有難く思います。
書いてる僕も有難いし、皆さんの心身が有難がってくれると思いますから。
僕はちょっと変わったタイプのヴォイストレーナーでもありまして、音声や表現することに関しても相談を受けています。
それで、冒頭で白状しましたように、もう随分前の段階からこのブログはオプショナルな様相を呈しておりますので、ここから気が向く間は、声という面から呼吸を語ってみたいと思います。
緊張して声が出難くなったり、肝心な場面でよく通る説得力のある声で話せれば最高と思いながらも、上ずったり擦れることがよくあると思います。
子供の頃も、人前で本読みさせられて自信無さ気に小さな声で読もうもんなら、休み時間のあの元気な声は何処へ行ったのなどと配慮無き扱いを受けたこと、おありの方も結構いらっしゃるんじゃないですか。
そんな時は、呼吸も恥ずかしくて閉じてしまってるんですよね。
厳密に言うと、恥ずかしいのも当たってるんでしょうけど、それをやる必要性、この場合ですと大勢の前で一人で声を出して本を読む必要性を、心身が納得して感じていないから、それに見合った呼吸も当然しない、ということになります。
一部の、先天的に、或いは後天的に、色んな原因で声が自由に出せない方を除いて、人々は普通に声が出て当たり前と思って生きています。
しかし、きっと声の歴史なんて呼吸の歴史に比べたら、まだまだ本当に浅いものでしか無い。
最初の頃の記事に書いたかと思うのですが、呼吸とは全身の細胞を壊死させないための営みです。
声とは、その廃物利用です。
体内各所でのガス交換が済んだ後の排気ガスが出て行く際に、声帯の作用を加えたら声もついでに出せる、というのが本当のところです。
よく世間では、発声の為の呼吸法などとまことしやかに謳ってますが、そんなもんは無いです。
確かに真面目に歌ったり歌の練習をしている時、本人や先生はその場で歌う為に呼吸してますし、歌う為の呼吸を教えている積もりでしょうけど、その呼吸が、吸った後そのまま声の為だけにまた口から出て来ることはあり得ない、そんなことを人間は出来ない。
どんなに歌詞やメロディーを大切にという心持で歌っても、今吸った息は(歌う人は余りにも息を吸う人が多いです)、100%体内を血流と共に巡ってから出て行きます。
そこを疎かにして、心身が共通認識として醸し出す中身を伴った声はあり得ません。
なので、声はその時々でコンディションが気になるようでしたら、逆に呼吸を見詰め直すバロメータとして活用するのが良いと思います。
そうです、簡単に言えば、歌のこの部分で息継ぎを入れるとか、ここは物凄く長く延ばさなければ歌の解釈が変わってしまうとか、それによって大事な自分の体の何処かにしっかりと酸素が行き届いてない個所が出来るなどという本末転倒な事態が起きているのだとしたら、そんな馬鹿なことは一旦やめるのが良いということです。
そんな事よりも先ず、心身から思わず溢れ出してしまうような声を思い出してみるべきだと思います。
気持ち良くお風呂に浸かった時に、喉が乾いた時に大好きな飲み物を飲み干した後に、絶妙のタイミングで最高の料理を食べた後に、どんな声を思わず出して " しまう " でしょう。
そこには必ず、そもそもの呼吸と一致した必然性、無理の入り込む余地の無い、心身の叫びがあります。
僕達の周りには、その叫びを萎えさせるような仕組みが多いと感じます。
それが意識的にそう仕組まれたものでなく、開かれた呼吸や声を後押しする積もりが認識不足故にそうなってしまっていることの多さに、ちょっと危機感を感じながら、ちょっと変わったヴォイストレーナーをやっています。

つづく
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