気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その24~

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今回は、余計な手を加えないありのままの呼吸を認識し眺める為に誤解を解いておきたい大事な言葉に付いて語ろうと思います。
このブログのかなり初期の記事でさり気なく予告したことでもあります。
それは、息を " 吸う " という表現です。
吸うという言葉は動詞です。無意識の内に能動性の高い印象で多くの人の頭は捉えていることと思います。
確かに、体の外にある空気を体内まで引き込む作業な訳ですから、そういう意味では確かにかなり能動性の高い運動の一種と言えるでしょう。
しかし、体内に必要としている酸素量が欠乏しないようにとの反応によって起こる運動と捉えると、逆にかなり受動性の高い営みとも言えます。
この受動的な反応としての呼吸という観点を得たならば、かなり一回一回の呼吸の効率を上げることが叶うと思います。
前回、腕を伸ばすと実は体が息を取り込むという事を書きました。
伸ばさなくても、挙手するだけで胸郭が広がって空気が肺まで流れ込んで来ます。
息を吐こうとか吸おうとかを先回りして頭で決めてしまわないで、ちょっと腕を挙げてみるのです。花粉症などで両方の鼻が詰まってでもいなければ、科学的に説明可能な原理が働いて、新しい空気はもう肺の中に在ります。
「わたしが息を吸う」という感覚は、もうそれだけで本来なら呼吸に協力可能な色んな体の各部位を、呼吸とは縁遠く切り離してしまいます。
落ち着いて、ただ腕を挙げるだけです。私の意志とは関係なく、それで息は取り込めています。
腕を大きく、そして時間的にも少し長く挙げていれば結構大量の空気が、そっと小さく短く挙げればそれに見合った少しの量の空気が、そう、動きに見合った分だけの空気が肺に流れ込んでいます。
このような感覚と、体の動きをやめて、ただ自分の意思に任せて息を"吸う"という行為を行った時の感覚の違いがお分かりでしょうか。
或いは、先程のように腕を挙げながらでも、そこに自分の意思で息を吸うという行為を足してみると、体にはどんな感覚・感じが起こるでしょう。腕を挙げるプラス・アルファーの効果を、息を吸うという行為はもたらしますか。
多分、その逆ではないでしょうか。意識的に息を吸い込もうとすると、何処か限られた部位だけで呼吸しようとし始める為、締め付けるような緊張が体を走ると思います。
黙って見守ってあげさえすれば、体全体の協力体制でバランスを保ちながら、決して体の何処か一部にだけ負担が来ないように呼吸は営まれている筈なのですが、そこに " 吸う " という能動性・過度な積極性が加わることで、無くても良い余分な緊張を体は抱えることになってしまいます。
動きも硬くぎこちないものになってしまいます。
これは、前回までの何処かでもお話しましたように、胸であろうがお腹であろうが、その動きに自分の意思で吸うという行為を上乗せすることは、余分な緊張を誘発し、無駄に体力も奪うこととなります。
今一度冷静にご自身の呼吸を見てあげてください。
体は本来、スペースを広げて優しく息を体内まで迎え入れてくれている筈です。決して吸い込んでなんかいません。

つづく
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