気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その2~

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コラム
前回は、呼吸という営みの最も単純で基本的な意味は、体を構成している細胞という細胞の一つ一つに新鮮な酸素を運んで壊死させないことだと書きました。

坐禅や瞑想では先ず呼吸への集中を導入とすることが多いように、そこから進んで、呼吸の世界を正しく学んで深く深く入って行ければ、高い精神性へと導いてくれる崇高なツールとも成り得る、数ある生理現象の中でも呼吸にはそういった特別な意味付をされる方も多いと思うのですが如何でしょうか。

呼吸は確かに、不思議な二面性を持っています。
殊更に呼吸のことなど意識していない全ての時間、まったく不随意な生理現象として、体が生きている限り勝手にずっと動き続けてくれます。
起きていようが寝ていようが、本を読んだりテレビを視たり、考え事をしていたり、歩いていたり。勿論その時に脳が感じたり考えている内容や、運動量によって呼吸の量や速度は常に変化していますが、それを、不随意に体がオートマチックに制御してくれているということです。
ところが、呼吸に意識を介入させようと思えば簡単に出来て、操作も可能です。
息を何秒間止めていられるか、とか、歌を歌う時なんかでも呼吸をコントロールするような訓練をすることがありますね。
瞑想のテクニックでも数をカウントしながら呼吸したりと、こういったことは、例えば心臓の鼓動とか脈拍では通常は不可能な意識の介入を、呼吸は意外と容易く受け容れてくれます。
それで、実際にそのような意識の介入を駆使して、上手くいけば人間性や魂の成長へと繋がることがあるようです。
そうやって、ある意味人間離れした存在へとこの世に居ながらにして進化している方は実際に居られると思います。

それで、今、この記事でお伝えしたいのはもうちょっと、というか、かなり単純で簡単なことでして、物凄く飛躍して超訳すると、上に挙げたような崇高な精神世界への導入ツールの代表格的な呼吸というものも、意外な盲点とも言える事実として、あの世へは持って行けないものでもある、ということなんです。
よく、お金や名誉はあの世までは持ってけないなどと言いますが、呼吸もそうです。
呼吸は、肉体を纏ってこの世で生きているからこそ必要な営みであって、肉体が無くなればその時点で必要が無くなるものです。

それでここでのご提案は、呼吸の原点である、体中の細胞に新鮮な酸素を程好く運んでくれること、に焦点を当てたいということなんです。

我慢して止めたり、長引かせたり、深いとか浅いとかのジャッジを一切せずに、そういった価値基準からは一旦距離を置いて、楽~~~に呼吸を眺めてみませんか、ということです。

それは、上手くできる人と上手くできない人、などという差が生まれ得ない世界とも言えるのです。

つづく

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