気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その3~

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人生の全てが完璧に近い位にうまく運んでいる時に、人は呼吸に興味を持ったりするもんなんでしょうか。
するかな。
することもあるか。
そうですね~、この導入はちょっと失敗しましたね。

結構人生にゆとりがあって、更にもっともっと充実させたいと思って、それでヨガとか瞑想とか坐禅とかをやってみようという方は、ここで紹介しているような呼吸のおはなしはちょっと物足りないかも知れません。
何せこのブログで書き進めようとしていることは、簡単ですから。
読者様の顔が鬼の形相に変わる瞬間の恐怖心を振り払って、思い切って先にお伝えしときますと、やっても何も得しませんから。
(上の行の末尾に、想像でムンクの叫び絵文字を入れてください)

と言いますか、損得でものを判断しなくなる、に変えますね。

で、呼吸のことなんかに取り組まなくても割と人生充実しているような人がやるとちょっと物足りないタイプのおはなしは、今ちょっと上手く行ってない感じの人とか、色んな意味で弱っちゃってる人には良いかも知れませんと、ホントはこう言いたかったようです。そのようにマッチングが整えば、得した感を味わえることもあるでしょう。

過去2回の記事で、呼吸で肝要な事とは、如何に全身の隅々にまで程好く酸素を供給するかに尽きると述べています。
これは言い換えれば、呼吸の内面(ウチヅラ)のことを言っていまして、皆さんがきっとよく見聞されているであろう、腹式とか胸式の呼吸、鼻で吸って口から吐く、とかの話は、呼吸の外面(ソトヅラ)の話です。

呼吸って、吸った息はどうなるかちょっと思い巡らしてみて欲しいのですが。あっ、その前に、今、何気なく当たり前のように使ってしまった“吸う”っていう言い方も、今後言及してゆくことになると思います。意外と神経質でしょ。
今は横道に逸れると収拾がつかなくなるのでグッと堪えて。
あんまり呼吸の出入りする様、吸った吐いたに気を取られ過ぎると、あたかも呼吸は肺の中でとんぼ返りして出て来るだけと勘違いしてしまう危険性があります。
どんなに胸やお腹が呼吸と共に活発に動いて大量の空気を吸い込めていたとしても、それが血液に乗ってしっかりと頭の天辺から手足の指先にまで運ばれていなければ、あんまり本人の機嫌や気分は良くはなりません。なんか頑張って我慢して努力した達成感みたいなものは味わえることもあるのかも知れませんが。

人によっては何だか気楽には読めなくなっちゃってますか。
そもそも今回は出だしの所で"やっても何も得しない"などと言って、真面目にお読みくださってる方の怒りを既に買ってしまってますもんね。

ちょっと明日の夜まで冷却期間を。

つづく


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