常に第三者でなくてはならない理由

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こんにちは。大学生のみどりです。
タイトルを見ると「なんのことだろう」と思うかもしれませんが、インパクト重視でいきたいなと思いこのタイトルにしました。
今回書く内容は、つい最近自身が体験し、「これはいけない」と感じたことです。
僕がトーク動画を見ていました。内容は「いただきますは、言わない」というものでした。
理由が「本当に毎回毎回動物の命に感謝をしているのか。挨拶のようにただただ言うだけになってしまうなら、やめたほうがいい」というものでした。
コメントには、「屁理屈」、「そういう問題ではない」という否定的なコメントがほとんどでした。
ですが僕は、たしかにその通りだ!と思いました。
その後、母にこの話をしてみると、様々な意見を言ってもらいましたが、一度自分がその通りと思ってしまったことは、どんな意見を聞いても全く思いは変わりませんでした。
逆に言うと、母も僕が正しいと思ったことを話しても全く同意しませんでした。
その時思いました、人間は一度正しいと思うとその思想を変えることは自分一人では困難ではないのかと。
一度、ある人を好きになると中々忘れられませんよね!!!そんな感じだと思っています。
結局何が言いたいのかといいますと、どんなことにもこれだけが全てではない。と思うことが大切なんだということです。
極論ですが、すべての意見が正しいと思うのもいいのかもしれません。
常に物事を客観的に捉えた行動発言が人間関係を良いものにし、新しい自身のスタイルを築き上げてくれるのではないかと思います。

文章的におかしなところが多い気がしますが、これが正しいと決めつけず常に正解を決めないということですね!!

ですから、僕が書いた内容も正しいとも間違っているとも思わないことが大事ということですね(-_-;)
少しこの内容にしたことを後悔しています、、。

最後まで読んでくださった皆様ありがとうございました!!

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