偏差値表を捨てなさい!(「二月の勝者-絶対合格の教室-」から考える中学受験)

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(有料設定の更新により再構成しました)

(この記事はマンガ「二月の勝者-絶対合格の教室-」(以下「二月」)を読んでいることを前提としているが、読んでいなくとも中学受験の全体像がつかめるように構成している)

0. マンガ「二月の勝者-絶対合格の教室-」から考える中学受験の問題点
1. 中学受験の現状とその対応塾
2. 受験させる・させないの判断基準
3. 受験で成功するとは何か
4. 親が持つべき考え方とすべき行動
5. 最後に



0. マンガ「二月の勝者-絶対合格の教室-」から考える中学受験の問題点

まず、結論から延べよう。

「二月」に関しての私の感想は「かなり実情に沿ったものであると思うし、だからこそ古臭い」。
先に述べておくが、このマンガの内容が古臭いのではなくて、中学受験の実情そのものが古臭いのである。

自分は個別指導専門で、完全なる『中の人』ではないが、「二月」の内容が中学受験の状況をかなり正確に反映していると捉えて良い。が、同時に「いつまでこんなことやってるの?」とも正直思っている。自分が中学受験をした30年前の「ハチマキ締めて『エイエイオー!』」的な受験からなんら進歩がない状況であることにとても落胆している。

一方で、東大などの難関大学に合格者をバリバリ出している中高一貫校に行くにはこの状況に身を晒さないとならないことは確かである。つまり、中学受験というステージそのものが硬直してしまっているのである。後述するが、公立中高一貫校の「適性検査」が変革をもたらすものと期待していたが、現状、全くの期待外れになっている。

別に、受験塾のやり方や「二月」で描写されているような考え方を持つなと言っているわけではないので、そういう考え方で子供を導いていくことは悪いことではないと個人的には思う。
ただ、受験を考え始める時期の子供を持つ親が「二月」を読んで、(これが中学受験の全貌なんだ!)と思われるのはやや不本意ではあるので、別の切り口や考え方があることも知っておいてもらいたいと思う。

一方で、「二月」には受験する側(特に親)の苦労が強調して描写されていて、ファッション感覚で受験をしようと考えているライトな層を敬遠させる効果があると思われるので、そこは期待している。(これも後述するが、決して「ライトな受験」をするなと言っているわけではない)


1. 中学受験の現状とその対応塾

 (ア) 中学受験の現状
① 私立中学のメリット・デメリット
よくある持たれがちなイメージは「公立は玉石混淆で教育レベルが低い。私立はカリキュラムがしっかりしていて教育水準も在籍している生徒・先生の質も比較的高い」というものだ。

教育水準という視点では比較的上位クラスの私立学校はそれに該当するのであるが、人の質的な差異に関しては多少存在するものの、玉石混淆の度合いが違うだけで、その観点では両者は大差ない(私立でも「石」はいくらでもいるし、逆に公立でも「玉」はいくらでもいる)。
教員も同じ。公立学校の教員は公務員であり、解雇がない分緊張感に欠けていることも多々あることは確かであるが、私立だからと言って質の高い教員ばかりが集まっているわけではない。
カリキュラムもしかりで、上を見るばかりで自分たちの現状を鑑みずにカリキュラムが組まれ、足元をすくわれるケースなど星の数ほどある。(実際に私立に入学した生徒から「自分の学校は質がとても良いから他の人にも来て欲しい」という声を聴くことの少なさには非常に驚く)

では、私立のメリットとは何か。それは「高校受験のスキップ」と「比較的良い環境が『準備されている』こと」。
逆にデメリットはやはり「お金がかかること」と「地理的に遠く、多かれ少なかれ通学に時間が取られる」、そして「その学校の方針に従うことが義務になる」ことである。

15歳前後になると、将来のことを考え始める時期になり、受験という目先のことに囚われずに先を見据えることができる。さらに大学受験など自分の目標が定まり、いざ向かって行くとなった時に進学に関しての環境が整っているので身を振りやすいことがあげられる(自分の意思でそれを活用しようとしない限り何の意味もないが)。高校受験がなく一貫した教育ができるので、6年というスパンでカリキュラムが設定されていることは中・長期的に見ると非常に良いことである。
加えて、中学受験では男子校・女子校の人気が高いが、成長の性的差異を考えたときに中学~高校は別学にした方が下手に周りに影響されずに成長させることができる。現実、大学進学実績も男子校・女子校が上位を占めている。男女が別学になっていることも「良い環境」の要素になっていると考えてよいだろう。このように私立を選択することは客観的には利点が多い。

一方、授業料が高いなど金銭面での負担は言うに及ばずだが、徒歩圏内で通える公立学校に対し、私立は電車通学になってしまうことがほとんどで、そこに時間を割かなければならない。また、私立学校はそれぞれの「教育方針」と「必須学力」があり、それにそぐわない・満たない生徒は学校生活そのものが脅かされることになる。
たとえば英語。その学校の謳い文句として「国際的」とか「グローバル」などがよく見受けられるが、英語に力を入れているということはそれだけ高い英語力が要求されるということでもあり、うまくその流れに乗っていければ良いが、苦手にしてしまうと相当苦しい学校生活になってしまう。女子校は概して語学に力を入れている学校が多いが、すべての女子が語学が得意になっていくわけではないのだ。

② 公立中高一貫校について
まず、公立中高一貫校は「学力検査」という名目では入試を行っていない。あくまでも「適性検査」。
それは、建前としては学力を測っているのではなく、その子がどの程度の思考力を持っているか、自分たちの教育方針に対してどれだけの「適性」があるのかを測っているのである、という主張なのだ。確かに実際に出題された問題はいわゆる入試問題とは一線を画すものとなっている。
ところが、合格者のほとんどは難関中学を狙う子たちで占められ、「受験勉強はしてきていないが、論理的思考力ができる子」は合格の対象になっていないのが実情なのである。受験生が持つような前提知識を持たずに適性検査をパスすることは相当難しい。

前述した期待外れとはそういった「隠れた才能」を発掘するはずの検査が本来の意味を全くなしていないことにある。しかも、その試験によって知識も論理的思考力も兼ね備えた生徒を集めているはずにもかかわらず、大学進学実績は期待通りになっているとは言い難い。残念ながら「比較的安価に質の良い教育を受けさせることができる」というイメージばかりが先行してしまっている。

③ 競争原理が働いていない
競争率や受験者数の推移を見ると、上位クラスの学校の希望者が益々増え、中~下位クラスの学校の志望者が激減していて、いわば一極集中が極端に進んでいる。少子化が進んで、進学するキャパシティに対しての希望者の比率が下がっているはずなのに中学受験競争が過熱しているのは何故か?

それは、保護者・生徒が学校選択をしていく第一歩が偏差値の一覧表を眺めることに端を発している。志望校は偏差値の一覧表から学校を絞っていくパターンがほとんどで、その弊害がモロに出ているのであろう。

また「偏差値表の上の段に行けばいくほど良い学校」というイメージを塾側で植えつけて過度に競争心を煽っていることも要因の一つである。本来、過当競争になればそれを避け、自分たちの身の丈に合った学校選びをしていく家庭が多く表れ、受験者が別の学校にスライドしていくはずが、全く持ってそうなっていない。これがいわゆる「偏差値信仰」なのだ。

それぞれの学校には、数字に表れない「クセ」や「匂い」があって、その学校のクセがその子に合っているかどうかは慎重に判断しなければならない。偏差値表の中段以下の学校でも質の良い学校はたくさんある。塾からもたらされる情報も重要だが、それを盲信しないこと。
偏差値表の上の段に行けばいくほど質の良い自分たちに合った学校である、といった「偏差値信仰」という幻想を捨て、それぞれがどういう学校なのか自分たちの目と耳と足でしっかり情報収集をするべきであろう。

④ 大学付属校は要注意
「大学が繋がっている」ことは必ずしも良い面ばかりではない。
確かに大学までつながっていることは環境的には良いように思える。しかし、学校や生徒がそれに胡坐をかいてしまうことが往々にして見られ、教育の質の低下を招く、緊張感を欠くといったことが多く、必ずしもその子にとって良い環境とは一概には言えないのである(一般的には大学では外部入学の学生と内部進学の学生では学力の差が大きいのが実情)。

にもかかわらず、近年の大学受験システムそのものへの不信から低リスクの進学先としての受け皿になっていて、過大評価されているのが現状である。ハッキリ言えば、学校そのもののレベルと入試偏差値が乖離しているのだ。

また、大学との繋がりが強い学校では「上の大学にこういう学部学科があるので、その中からどれを選ぼう」という閉鎖思考に陥ってしまう。本来、大学選びは「自分のやりたいこと・勉強したいこと・興味のあること」が先にあって、それを満たすためにどの大学・どの学部・どの学科を選ぶかということが立脚点になるはず。なまじ大学が繋がっているが故に、その有利さを最大限活用することに固執し、本人の身の振り方と思考を制限してしまっているのだ。これは非常に勿体ない。


 (イ) 中学受験専門塾とは
中学受験対応塾には大きく、中学受験専門塾・大手進学塾の中学受験コースがある。どちらも大差はないので一括して「中学受験塾」と呼称するが、まず中学受験塾は「中学受験をして合格を勝ち取ることがゴールである」というスローガンのもとに動いている、という認識を持つことが必要。
その根底は「中学受験することが『人生の勝ち組』への最短距離である」というエリート意識の啓蒙を家庭に(特に保護者に対して)行い、それをエサに『商売をしている』ということ。その子が将来大きく花を開くためにその時点で本当にすべきことは何かという視点が大きく欠落している。「二月」の中にもあるように「中学受験塾の関係者は教育者ではない」のである。保護者が中学受験を考えるにあたって、まずそこを熟慮すべきであろう。

なお、中学受験するには中学受験塾に通わなければならないといった固定観念が蔓延しているが、そんな必要はない。中学受験は特にそうだが、やるべき単元とレベルが決まっていて、そこに到達するための道は一つとは限らない。本来、どのように受験勉強を進めていくかは自由だ。もちろん専門塾に勉強のペースを作ってもらったほうが計画的に進められることは否定しないが、個別指導の立場から言わせてもらうと、専門塾でないと中学受験はうまくいかないなどということは全くないのだ。


2. 受験させる・させないの判断基準
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