あなたが泥んこで傷だらけならば、ピカピカの勲章を

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コラム
人間は、他の人と自分を比べながら生きていきます。
本当は、比べたくはないんだけれど。

比較することで発生する感情に、嫌な気持ちになったりもします。
卑屈になったり、悲しくなったり、何もかもを投げ出してしまいたくなったり。

比較することで嫌な自分が現れたりします。
優越感に浸ったり、他人を蔑む自分が居たり、虚栄心が溢れてしまったり。

自分に自信が無くなる時、大抵、誰かと比べた後です。
才能、素質、継続力、誰かより劣っている自分にげんなりすることがあります。

生きてく上で躓(つまず)く時、やっぱり周りと比較します。
こんなことで躓く自分は駄目なんじゃないか。
他の人はしっかり歩いているのに、自分は情けない人間だ。
下を向いていじけたくなります。
棒切れで、地面をほじくり返したくなります。
(私だけでしょうか 笑)

けれど、沢山の方と出会い、言葉を交わすと気付きました。
みーんな、躓いたり、怪我したり、泥がついたりしてる。
ただ、歩くのに苦手な場所が違うものだから、自分だけが転んでるように見えるのです。

確かに、転び方の下手な人、大ケガをする人、余分に汚れてしまう人、その差はあります。
けれど、それは恥ずかしいことでも、自分を貶(おとし)める理由でもありません。

よちよち歩きの頃、皆、転んで痛い思いをして、徐々に歩くことをマスターしていきます。
テーブルの角で頭を打つと、ぽろぽろ涙が出るほど痛いと学びます。
気をつけよう、と幼心に芽生えます。
その頃は、誰かと自分を比較などしません。
ただただ自分が行いたいことに夢中。

そうやって、成長してきました。
ずいぶんと歩くのも上手になりました。

そんな風に成長出来るのに
なぜ他者と自分を比べるようになるのでしょう?
それは自分を知りたいからではないでしょうか。
これで良いのかなと、不安も顔を出したりします。
その不安を拭いたい欲求もある。

自分の劣っている点が見えた時、なぜか優れた点が色あせて見えます。
本当は劣っている点があっても、優れた点は輝いたままなのに。

自分がみすぼらしく感じたりもします。
実はちっともみすぼらしくなんてないのに。

私はうつ病になった自分をずいぶんと長い間、ダメで弱い人間だと蔑んでいました。その思いがあるうちは元気になどなれません。
とてもとても長くて真っ暗なトンネルでした。

同じ精神科に通う知人がそんな私に言いました。
「強いから自分を追い詰めたったい、こんなに病むまで。それに強いだけの人間なんておらんたい?いいとよ、出来損ないのロクデナシでも。格好いいやん、ロックたい。」
私はブルーハーツというバンドが好きでしたので、この言い方が凄く気に入りました。ガツンと腑に落ちました。

人と比べて劣っていても、自分らしく生きてきたのだから、それは格好良いことかも知れないと胸がじわじわと温かくなったのを覚えています。

例えばあなたが、劣等感を抱えていても、普通に生きれていないと落ち込んでいても、嘆くことはありません。それは人生に価値をもたらすかも知れません。
ダメージジーンズは破れているから格好良くて、唯一無二の価値となっています。

泥んこで傷だらけならば尚更、その胸にはピカピカの勲章をぶらさげて良いのではないでしょうか。
胸を張って顔を上げて、堂々と勲章を見せびらかせましょ!

今日1日、お疲れさまでした。
の~んびりお過ごしくださいね (*´▽`*)ノ


私もピカピカの勲章を胸にぶらさげています♪
泥んこ人生は時に心への負担も大きい。
私にも共有させてくださいね^^
本日21時半まで待機中。

「比べる」をテーマでも大丈夫です^^
ひと時、チャットでお話ししましょう!

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