自分のアウトプットを調整することで罪悪感が生まれる?

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ビジネス・マーケティング
これ自分に対して少し思ったのですが、「そこまで」はないなと。

どういうシーンかというと、お客さんとか誰かに何かを提供する時に、得意な人とか自然にやっている人は「つい沢山出してしまう」ということです。それで感謝されて終わりなら「パチパチ」で終わりです。ここではそうではなく、「やりすぎて過剰になっている」「相手はうんざりしたり、お腹いっぱいになている」ということですかね。

つまり、食べ過ぎになるというか(食べなさすぎはここではイメージしづらいので省きます)、そういう時に、まさに「調整」したほうがいいと。

ですが、この調整をすることで「あれ、俺は手を抜いてないか、さぼってないか」という自己内省、自己へのツッコミがあると。それってどういうことかを少し考えてみました。

結論としては「調整」がめちゃくちゃ大事

結論としては、調整が大事ということです。えっと、調整が大事というのは、バランス良くとか、適したパスをするという意味合いです。

それが出来なくて苦労しているという声はありそうですが、そこは今回は無視してます。

そして、なんで調整ができないかですが、これは過度な期待→できない自分の否定→より優れた人間になろうみたいな感じで、ハードワークみたいな結果になって、最後は倒れる(心身共に不調になる)というイメージです。

適度な期待はいいですが、過度な期待はここでは自分を滅するってことですね。怖いですけど、多分「完璧主義」という人はこういうことにハマっていそうです。

ライトでいえば、ON/OFFしかない。そこに調整機能があるかどうか

ライトとかでスイットのON/OFFは一般的です。一方でリモコンとかであれば、調光機能とかもある、つまみとかですね。ラジオならチューニングとかですが、ボリューム調整のつまみでもいい。音が大きい!かしないではなくて、音の大きさを調整していますよね?デジタルでもアナログでも。

それがないと、「全力でやる」「何もしない」というしかできない。これはめちゃくちゃ思いあたる人が僕の中にしっかりあるので、なかなかしんどいなあと思いながらですけど。

この場合、全力でやる時はハイになると。躁傾向ですね。そして楽しい。でも、ここで問題は、鬱というか、OFFになると、0でなくマイナスになるというか。スポーツをやっていた人ならシャトルランみたいな、ダッシュを何本も繰り返す、しかも全力で、負荷が高いですよね。あれをやっている感じですよね。でも、適したスピードならそこまで疲れない。体力をつけるためのトレーニングとしての有効性は僕は分からないですが、体力がつくかは主眼でなく、疲れるというのがポイントですね。そして、得なくて良いネガも得てしまうと。

ここで、自己否定が生まれると。全力でやり続けてない自分は「駄目なんだ」と。これは怖いですよね。全力がそもそも期待のハードルが高いのでさらに高まると。更に上を目指す。または今やれていることを誰もが「完璧だね」ということに評価されることを期待している。それってないんじゃないかと。そんなきっちりしなくてもいいと僕は思いますが、そうではないんですよね。

冷静に見れば自分のことしか考えてない

ここで、冷静になりましょう。

調整しているのに、自分のアウトプットをサボっているということでの罪悪感は一瞬くらいあってもいいですが、これってよく考えると以下の点でいえば、自分のことしか見てないなと思ったんですね。

1.相手をどこまで見られるか(観察)
2.相手の状態に応じたものを出す(調整)
3.自分の状態監視(自己評価)
4.自分の理想、期待への挑戦(完璧主義)

こういう視点がある時、今の話って、自分がどうかの3と、自分があるべき姿であるとかの4で、ハードワークしている俺すごいとかになっているかもですね。そういうのって、自分の話でしかないと。

商売とかビジネスとか、人に喜んでもらうことで価値を得てお金を得ることっていうのは、1,2なんですよね。世界が閉じていて自分がどうかしかない。なので、「他人に喜んでもらう」が僕は感じたのは「虚しく」すらあるかもしれない。虚しいとは「本人は嬉しいけど、それは自分の評価や完璧のための人柱みたいなもの」でしかないんですよね。つまり、完璧な自己の理想のためにやり続けるということにおいて、そこがまずあって、というかそれしかなくて、そこに乗っかる他人の評価でしかない。

最も職人気質とかってこれに近いかもなので、完全否定ではないです。ただ、調整がないとき倒れるまでいくんじゃないかと。行ったらさすがにアウトかなと。そこまでやれとかでもなく、そこまでするのはどうなのかなというところです。

そして、僕が提案したいのは、1,2の話です。調整とは、相手を見て適したパスをする。なので、1と2がいるんですね。それがないならば、自己満足の自己評価「おれすげー」でしかないと。「おれすげー」はありなんですよ、自己評価低い人もめちゃくちゃいるから。でも、ここでの「俺すげー」って、やはり「俺すげーからの相手の貢献」とかでなく「俺すげーさらに俺すげー」でしかなくて(笑)そこで完結しちゃうのが怖さですね。

というわけで、もしアウトプットをサボるとか、減らすことで罪悪感が生まれるとか。一瞬くらいなら全然普通かなと。ただ、それによって「減らすと駄目なんだ」みたいなことがあれば、それは結構まずいかなと。またはそれによって、ハードワークし続けるとかもちょっとなあと。僕は少なくともどうなんだろうなと思ったりします。

ここで、相手にことを考えずに常にステーキを提供してお腹いっぱいなのに無理といってもステーキを出す。これは拷問といってもいい。それくらい、調整って大事だなという気づきです。

というわけで、適した調整をどんどんやろうという話です。相手に応じたパスができるか。ここは僕もぶっちゃけ課題なんですが、調整していきたいですね(笑)



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