インプットがなければアウトプットができない

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インプットとは何か?
別に何か見たらインプットなんですが、でもぼっーと見ていても何も得られないことってないですか?

というわけで、インプットもコツがいるし、アウトプットもコツがいる。そしてコツが要らないものはない・・・ので、結果的に全体を何度も練習して少しずつうまくなるしかないと。それが結論だと。

今回はインプットの話です。

インプットは基本的に知ること

インプットって学ぶとか色々言えるんですが、多分基本でいえば知ることじゃないかと。知識ってことですね。

知識を馬鹿にする人は知識から色々考えていることを知らずで。多分、情報として知っていても使えないことを笑うシーンがあるんでしょうが、それって知識としてなければ始まらないわけです。

つまり、
・知識がある
・知識がない
・知識があっても使えない
みたいな感じかなと。
そして、知識は情報→知識→知恵みたいな変遷があると思っていて。

つまり、「CTRL+Cでコピーができる」は情報ですが、別に使っても使わなくてもいい。そこで「時短できるし何度もやるなら楽」っていう考えがついてくると知識かなと。例えば、「CTRL+C」ができない状況があったり、または推し間違えがある時、違うキーにするとか。この場合もキーの割当という情報がいるし、知識かもしれない。

さらに知恵だと、「CTRL+Cでコピー」って何かとなります。つまり、Windowsの話になるんでしょうが、テキストだけなのか、オブジェクトや画像もいけるのか。実際はいけますよね。出来なくても、CTRL+Cが削除となることは仕様的に悪意ですからまずないですよね。知恵だと、多分CTRL+◯というわけで、他のキーでショートカットできることを見つけたり踏まえて、試したり覚えたりをするという感じですかね。多分ですが。

そういう意味では知識があっても使えないは、知識の定義次第ですが、「情報があっても使えない」方がしっくり来ます。で、まあ使えないとは、使えない結果だけを見ただけなので、それって「資格があっても活かせてない」とかと似ていて。そんなのいくらもであるんですよね。ですが、そういう状況を持ってして、「情報、知識、知恵」が役立たないとは言えないというか、無関係かなと。

話を戻すと、インプットによって、情報、知識、知恵なんでもいいので、入れようと。知識量の問題がすぐ出てくるのですが、検索すればいいとか、聞けばいいが遅いんですよね。あと、仮に丸暗記だと知識化、知恵化ができないのでそれも無駄です。よって、生きた知識(知恵)は、そこそこ覚えてそこそこ使える、つまり、知識として頭にあってそれを使える(ノーインターネットで)という感じかなと。エコですよね。伝わりますかね?

少なくとも、インプットがなければ、学習や成長は終わります。多分ですが、ChatGPT古いのは2021年くらいで止まっているみたいなのがあって、それと一緒で止まっている。今を知りたくないという欲求は否定しませんが、何か学ぶとかがなければ、アップデートはされない。取り残されるとかではなくて、純粋にそれで面白いかどうかだけでしょうか。僕はやなので、楽しんでインプットする。そういう感じです。

逆にいえば、インプットがなくてもなんとかなるよ。なっているよ。という現状が明らかにあれば、学ぶ必要がない。本当それだけです。だから、学ばない人を笑えないしどうともいえない。それが学習を促進したり、インプットをしたらいいよというアドバイスが無意味化される理由です。だから僕もこう書いていますが、やれとは言えなくてやったほうがいいよくらいです。でもこれも無意味で、必要としなければ全部消えてくんですよね(笑)

それは分かっていても、アイデアとか色々なアウトプットはインプットからしか生まれないんですね。あなたがそうではないと思っていても、分解してけば、先人の知恵や教科書、体験、遊びとか色々なことからインプットしているから。当然インプットの仕方もあるので、同じ遊びでも全然つまらなくやっていれば学習効率も悪いですし、学べてないでしょう。遊びでなくてもなんでもいいんですけどね。

寿司屋は美味いネタがあるから美味い

寿司屋さんのネタは上手いので美味い。それだけというと、寿司屋の技術がどうってなりますが、技術は当然あるわけですよ。

美味いネタ×高い技術=美味い寿司

なわけですね。

プロは、
まずいネタ×高い技術=そこそこの寿司
もできるはずです。

ですが、技術が一緒ならネタ勝負でしかない。だから、高い価格でも価値があり仕入れてお客に喜んでもらう(その分時価になるだけですが、払えるわけですから)わけですね。

では、
旨いネタ×低い技術=ネタだけは美味い寿司
はどうか?どうかといわれれば、まあ研修生が作ったようなものだから、食べられなくはない。素人の僕よりは美味いけども、ってなるんでしょうね。期待値の話になる。

まずいネタ×低い技術=微妙な寿司

これはもうわざわざ来ないんじゃないですかね。これだとプロではないというか。

当然、そこそこネタで技術をもって美味くとかもあるんですよ。どこを狙うかはおいておいて、ネタが悪い=インプットが悪いことで、良いことはなくて。だから、知って学んでが大事な基礎動作となる。

そして、ここでガリ勉しろってことでもなくて、僕はできないですが、ゴリゴリやるには、楽しいとか面白いとか、止まらないとか、ワクワクするという感情が必須です。だから機械的にインプットして丸暗記とかみたいなことをいってなくて、楽しくて学んで蓄積させていくという基礎動作が必須となるってことなんですね。

もう一度いいますが、ネタがないとか、ネタがまずいので、美味い寿司は出せないだけです。まずい寿司とか微妙な寿司でいいならそれを望むならいいですが、まあ望む人はいないですよね、あえて。食べられないならそれでもいいとかはあるんでしょうが。限定的です。

強いて言えば、そこそこの値段というか安いけど、そこそこの味という世界観はあると。それは技術で、カバーしているので、ネタは正直良くない。工夫ですよね。そういうプロ観もあるので嫌いではないですが、それをやりたいかはまた別ですよねと。

インプットを軽んじてアウトプットまではいけない

インプットの重要性を示したのですが、アウトプットが適当でいいってことではないんですよ。両方大事。でも、スタートはインプットかなと。

なんでサイクルで回していかなくてはならないわけですよね。

インプット→情報→インプット→知識→アウトプット→知識→知恵みたいな感じで何度も何度も回す。

このサイクルとか回す回数は基本多いとか高い方が学習されていると言っていいかなと。少なくて時間がかかるよりも、回数多く短い方が良いに決まっていると。農業は1年に1回ですが、SNS投稿は毎日3回くらいできるというか。最もだから、農業よりSNSが1000倍価値があるとかではないですよ。ただ回数だけみればフィードバックから学べることは多いってことです。当然農業は収穫が数回だけなので、その収穫以前の工程を入れれば「1回」ってことはないんですよね。

またSNS投稿もただやるだけで検証しないならそれもサイクルにならないので、ここが難しいですよね。まあやることが違うけども、抽象化できるところはあると。それはサイクル自体と、その回数と回す時間です。

頭が良いとは何かというところでも、抽象と具体を行き交うこと、その回数、頻度、距離くらいがあって、それはまさにそうだなと。つまり、このインプットからアウトプットまでの、距離が長く(より様々な事象や違うところを関連付けられる)、回数が多く(1回で終わりでなくリレーしていく)、頻度も多い(サイクルで回すイメージ)というところなんでしょうね。

そして明確なのはアウトプットができない、ない人は、インプットが圧倒的にないか足りてないんですね。

他に言えば、インプットがあってもアウトプットできないというところですが、これはアウトプットしましょうと。ハードル問題として書いたり、色々と完成させない病だとなりがちです。高尚な何かではないんですね。泥臭く雑でいいのでやるという感覚がいるかもしれません。保守的な人は苦手な感じがします。拙速は巧遅に優るってやつですけど、アウトプットはそういう性質があるんじゃないかなと。


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